没落寸前の実家を再興するためなら、婚約を破棄を選びます。

ただ巻き芳賀

第一話 婚約者のたくらみ

「サラーメ・ディ・ファブリアーノ! 今この場でお前との婚約を破棄する!」




 ついに、このときがやって来た……。




 硬い表情のサラーメは、先程婚約者に呼び止められたときから、自分へ向けられる拒絶の言葉を確信していた。


 目の前には今も恋焦がれ愛おしく想う人。

 学園の生徒に囲まれ見守られる中、愛するその人に婚約破棄を言い渡された。




 ああ、スキレット様……、とうとう私を……。




 スキレットの婚約者である男爵令嬢サラーメは、その彼から発せられた縁切りの言葉を声も出さずに黙って聞いていた。


「お前が当子爵家の地位や財産をかすめ取るためによからぬ輩と接触を重ね、あろうことか俺との婚姻後に物取りに見せかけて、盗賊に殺させようと画策しているのはとっくに承知している! それだけに飽き足らず、たくらみが失敗したときを考え毒薬を作って準備しているとは、なんと恐ろしい女か! 早く婚約破棄を受け入れろ!」


 サラーメの画策を真実と疑わない様子のスキレットは、婚約破棄の了承を迫っていた。


 断罪が敢行されているこの場所は二人が通う魔法学園の中庭で、沢山の生徒たちから注目を浴びていた。


 午前の魔法授業が終わったサラーメが、赤い髪を揺らして食堂へ移動しているときに、中庭で話があると婚約者のスキレットに強い口調で呼び止められたのだ。


 大声で婚約破棄とその理由を言い渡したスキレットの横には、なんとこの国の第二王子ノバルティスの姿があった。


 子爵令息であるスキレットの身分を考えると、第二王子ノバルティスと普段から学友として行動をするのはいささか違和感がある。

 第二王子の後ろには公爵令息と侯爵令息が控えていることから、ただこの婚約破棄を見届けてもらうために第二王子に立ち合いを頼んだのは、誰の目にも予測のつくことだった。




 一体なぜ私が、あんなに愛したあなたを殺そうだなんて思うでしょうか……。




 スキレットから放たれた婚約破棄の理由に、サラーメは心の中だけでそう反論した。

 彼の発言のように、婚姻後にスキレットの殺害を計画するなど、サラーメには全く以てあり得ないことでそれは完全に事実無根だった。



◇◇◇



 軍人であるサラーメの父が存命のとき、ファブリアーノ家を繁栄させるため、八歳の男爵家令嬢サラーメは、十二歳の子爵家令息スキレットと婚約した。


 二人は血縁のある親族同士だったが、貴族同士の婚約に珍しく互いのことを大切に想っていた。

 特にサラーメはスキレットを心から慕っていた。

 スキレットに夢中になったのは、彼が四歳も年上で大人びて見えたせいもあるし、初めて意識した異性だからでもあった。


 そんな二人は国の推薦を受けて魔法学園に通いだした。

 貴族の血筋に多い固有魔術の発現が起こったからだ。

 サラーメに発現した固有魔術は人心を操作する強力なもので、彼女はそれを恐ろしく感じて授業以外での使用は控えた。


 そんなサラーメにとっては、魔法の勉強よりも学園でスキレットと会える方が何倍も楽しかった。


「スキレット様。私が貴方へ向ける愛は心からの、そう『真実の想い・・・・・』です」

「分かっているよ、サラーメ」


 二人はお互いの気持ちを確認し合い、婚約者同士で幸せな日々を過ごした。




 ところがだ。

 サラーメ十三歳、スキレット十七歳のときに事件は起こる。

 サラーメの父が獣人族との異種族闘争で戦死したのだ。

 さらに不幸が続く。

 サラーメの兄、長男カプレーゼが、王から正式に爵位継承の下命を受ける前に流行り病で命を落としてしまった。


 この国では女性が爵位を継ぐことはできず、子息もしくは親族への継承となる。

 しかし、ファブリアーノ家は度重なる不幸で、病気がちの母と長女のサラーメの二人だけになっている。

 父の両親、弟は既に他界していてこの世にはいない。

 他の親族は別領地を管理する貴族であり、親族が爵位を継承した場合、ファブリアーノ領は親族の領地に吸収されて家は取り潰しになる。


 サラーメの父が国軍として戦死したことを王家が考慮して、爵位継承ができない期間は爵位停止として継承までの時間的猶予が許された。

 それでも領主不在の間に領地は徐々に荒れ、治安が悪化し税収が低下しており、少しでも早い領地の相続が必要だった。



「ふふ、運が回ってきた! これで俺も領地持ちだ」


 既にサラーメと婚約していて婚姻間近だったスキレットはほくそ笑んだ。

 次男である彼はもともとサラーメと婚姻したあと、王都内に領地のない貴族として王の宮仕えをするつもりだった。


 ところが、ここに来て舞い込んだ幸運。

 継承者のいないファブリアーノ家に一族として入り込めば、血縁者であるスキレットは領地の相続だけでなく爵位の継承までできる。


 以前までは政略婚とはいえ、サラーメのことを大切にしていたし、幸せにしたいと思っていた。

 だが、転がり込んだ領地の話を境にスキレットの心に汚れた色が混ざり込み、いつしかサラーメのことを領地を手に入れる手段のように感じて、彼女との関係を打算で見るようになってしまった。


 スキレットはさらにその先をたくらみだす。

 彼は最近、ブルスケッタ伯爵の令嬢クロスティーニに注目していた。

 クロスティーニには適当な婚約相手がおらず、伯爵家と親族になるチャンスではあった。

 しかし、スキレットはもう既にサラーメと婚約している。


 そこでスキレットは、ファブリアーノ領を取得したうえで、伯爵家の令嬢クロスティーニと婚姻したいと考えるようになったのだ。


 この程度の乗り換えなど本来貴族たちの中ではよくある発想だった、本当に実行するかは別にして。

 もともと、この婚約が政略的なものであり、サラーメとスキレットの場合もそうしたメリットを計算してのものだった。


 そんなスキレットから見たサラーメの様子は、本物の愛が育まれていると信じているようだった。

 事実、サラーメの振る舞いは大人びたスキレットに夢中としか思えないもので、それは彼女が弱冠十三歳という少女のため、夢見る部分が多分にあったせいだろうと感じた。


 ただ、スキレットの心には変化が生じていた。

 人は欲に弱く、ましてや地位、名誉、金などは男子が特に執着するものである。

 それはスキレットも例外ではなかった。

 一旦欲に目がくらむと今までの価値観ががらりと変化した。


 あんなに慕ってくるサラーメを愛おしいと思っていたのは、もはやそれは過去の気の迷いに過ぎなくなった。




 以前の俺はなんであんな感情を抱いたのか。

 どうせ彼女のあの態度も政略結婚のための打算だろう。

 だいたい『真実の想い・・・・・』なんてものが、嘘にまみれた貴族のやり取りにあるものか!

 貴族の俺が優先すべきは存在のあやふやな愛なんかではない。

 形ある財物、広大な領地、そしてそれがもたらす栄耀栄華ではないか。




 スキレットは自身の心境変化を貴族の生き方という他人の作り上げた観念で正当化し、これが正しい道であると思い込んだ。


 そして、彼は一計を案じた。

 このまま、サラーメと婚姻してファブリアーノ領を相続で取得、その後サラーメを事故に見せ掛けて盗賊団に殺害させ、クロスティーニ伯爵令嬢と再婚しようと考えたのだ。



 スキレットが、計画を成功させるために後ろ暗い組織へ出入りを始めており、もし失敗したときを考え毒薬作りまで試しているらしい。

 さらにはサラーメ殺害後のことを考えて、少しずつクロスティーニ伯爵令嬢との距離を詰めているらしい。


 スキレットの画策したサラーメ殺害計画は、早い段階でファブリアーノ家に長く仕える老執事クラウトの情報網に引っ掛かり、サラーメへと知らされていた。



次回、「受け入れた婚約破棄」

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