第16話 両手を内股に挟んで白目むいていただけよ

「シザーリオ・トゥェルフスナイト。ただいま戻りました。領主様」


 街を固く囲む城壁の奥深く――街の中心よりやや北寄りの地に、この地域の領主の屋敷があった。

 人々が肩を寄せてあって暮らすような都心の中で、そこだけは門から向こうに広い庭を有した屋敷がある。

 屋敷の執務室。威厳に満ちた服装で、この屋敷の主人にしてこの地域の領主の男性が窓から外を見ていた。

 年の頃は五十をやや越えたところ。伸ばしたあごひげの半分は白くなり、毛髪も白髪が目立っている。


「シザーリオか? 魔女様は屋敷に?」


 男性は背後からかけられた声に振り向きもせずに質問を投げかける。

 シザーリオが部屋に入ってきた姿は窓にうっすらと映ったものだけを彼は見ていた。

 そして今も、シザーリオが部屋の入り口でこうべを垂れているのを窓の写り込み越しにしか見ていない。


「……振り返ることもなければ、ねぎらいの言葉もなしですか……」


 シザーリオが頭を下げながら一人呟く。


「どうした? シザーリオ。聞いているのだぞ」

「はっ。魔女様はお連れのお弟子様と、道中救助した少年を保護する為、ただいま寝室でお休みをとっていただいております」

「少年?」

「はい。川で溺れておりました。空白の魔女の手の者に、追われていたようです」

「空白の魔女だと!?」

「はい。今は、屋敷で休ませています。それと……」

「それと? 何だ? はっきりしろ」

「はっ! 少年は男の娘と呼ばれる装いをしています。魔女様のお連れ様――ティナ様と同じです」

「男の娘だと? なよなよした男子の風上にも置けぬ連中のことか?」

「……」

「せっかく男に生まれながら……嘆かわしい連中だ……」


 領主は窓の向こうを見つめながら右手で拳を握りしめた。


「領主様。魔女様のお弟子様も男の娘。ご存知で、それゆえにご招待したのでは?」

「突如現れた魔獣も、その男の娘とやらを狙っていると聞いた。腹立たしい限りだ」

「……」

「せっかくの男らしさも出さず、ただ女のように振る舞う男など、何の意味があるのか?」

「りょ、領主様!」

「ただでさえこの国は今、王子失踪で混乱してるというのに。空白の魔女に狙われる男の娘など、迷惑なだけだ」


 領主が少しだけ窓から目を離し、壁に掛けられたタペストリーを見た。

 そこには全身に炎をまといながら、自身も火を噴く魔獣があしらわれた紋章が縫いこまれている。

 国章か王家の紋章のようだ。


「それは……」

「何だ? 言いたいことがあるなら、はっきりしろ」

「いえ……」

「男なら――この家の跡取りなら――もっと凛としろ。我が息子シザーリオよ」

「はい。父上」


 ずっと窓の外を見たまま握った拳も開くことなく話し続けた領主。

 そして入り口で頭を下げたまま一度も顔を上げなかったシザーリオ。


「以上だな。後で魔女――様との懇談の席を設ける。任せたぞ。行け」

「はっ!」


 シザーリオは背を向けたままの領主に応えると、そのまま出口に向かって身を翻す。

 二人の親子は一度も目を合わせることなく会話を終えた。



 同時刻。領主の屋敷の一角。


「ん……んん……」


 ティナは屋敷の一室――来賓用の寝室で目を覚ました。

 傾き始めているがまだ明るい日差しが、窓からティナの顔に光をさしている。

 ティナは特に寝巻きに着替えることもなく、ベッドに横になってシーツをその身にかけられていた。

 その横ではゾウのパオパオがティナと枕を並べて寝ていた。


「目が覚めた、ティナ?」


 ベッドの横で椅子に座っていたブラッディレイクの魔女が微笑む。

 魔女の手はシーツから出ていたティナの左手を握っていた。


「あっちの娘も大丈夫だから、安心なさい」


 魔女は手を自然に放すと、もう一つ室内にあったベッドに目をやる。

 そこには同じように外着のままでシーツをかけられ寝かされているリンの姿があった。


「お師匠様、ここは?」

「領主様のお屋敷よ。とりあえず二人の為に、寝室をお借りしたわ」

「ご領主様のお屋敷? ボク確か悶絶して……運んでいただいたんですか?」


 ティナがベッドの上でゆっくりと上半身を起こさせる。

 その動きにパオパオが揺さぶられ、慌てて体を起こすと眠気まなこできょろきよろを辺りを見回した。


「そうよ。感謝しなさい、ティナ。気を失っている男の娘二人を、私たち二人で運んだんだからね」

「二人? リンちゃん!? リンちゃんまた気を失ったんですか? 大丈夫なんですか?」

「心配いらないわ。ちょっと私の名前を聞いたら、卒倒しただけよ」

「何してるんですか、お師匠様?」


 ティナが呆れたように横目でじろりと師匠を見る。


「あら? そのおかげで、ティナはシザーリオ様にお姫様抱っこされたんだから。師匠の悪名の高さに感謝して欲しいものだわ」

「お、お姫様抱っこ!? お姫様抱っこって、王子様抱っこのことですか!?」


 ティナは突然真っ赤になり、まだ寝ぼけた様子のパオパオを思い切り抱き寄せた。


「パオッ!」

「そうよ。ティナの感覚からすれば、王子様抱っこね。私が気を利かして、その娘を先におぶったから、シザーリオ様はあなたを両手で抱えあげてくださったのよ。馬車までだけどね」

「ええ、そんな!? どうしよ! 覚えてない! せっかくの男の娘憧れのシチュエーションだっていうのに! 思い出せ! 思い出せ、ボク! あっ!? なんか……ほんのり両腕の感触が……」


 ティナは頬を赤らめたまま、更にパオパオの横顔にその頬をうずめていく。


「そんなに、必死に思い出さなくっても」

「てか、ボク変じゃなかったですか?」


 パオパオに半分顔を埋めたまま、ティナが上目遣いで魔女に問いかける。


「変じゃなかったわよ。ただ顔面蒼白にして、脂汗かいて、両手を内股に挟んで白目むいていただけよ」

「ギャーッ! 忘れたい!」

「忙しい娘ね」

「う……うぅ……」


 コロコロと表情を変えるティナの向こうで、リンがうなされながらも目を覚ました。


「あら。目が覚めた?」

「ひっ……ブラッディレイクの魔女……」


 真っ先に気がついた魔女が振り返ると、リンがまた気を失いそうになる。


「はい! そこ何度も気絶しない」

「ひぃ……はい!」


 魔女が左手の指を弾いて鳴らすと、その音でリンの意識は正気に引き戻された。

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