第15話 もぎ取って――一生おもちゃにしてあげるわ……

「先生! ルーシア、ただいま帰りました!」


 山の裾野に広がるなだらかな丘。

 そこに建てられた広い屋敷のバルコニーに、空から一人の男の娘が舞い降りた。

 その魔力で空をも飛ぶルーシアは、着地の減速にその金髪をふわりに浮かせる。

 足元ではスカートがこちらも空気を膨らませて優雅にふわりと膨らんだ。

 まるで貴族がする挨拶かのように、ルーシアは膝を上品に膝を折ってバルコニーに降り立つ。


「先生! どちらですか?」


 だが着地するやルーシアは子供のように目を輝かせて元気良く部屋に駆け込んだ。

 屋敷は山々の連なる裾野にそれ一つだけがぽつんと建っていた。

 広い庭を持ち四方を高い壁に囲まれている。

 そしてその周囲には他の家や建物は何もない。

 なだらかに広がる丘の自然が周りに広がっており、そこだけを突然壁が区切り人の手が入った緑で囲まれている。

 まるで街中にあったものを切り抜き、そのまま山の麓に置いたかのようだ。


「先生!」

「おやおや。ここよ、私のルーシア。私のヒバリちゃん」

「先生! ただいまです! アタシの空白の魔女様!」


 ルーシアが部屋の一つに飛び込んだ。

 そして飛び込んだ勢いのままに、部屋にいた一人の女性に抱きつく。

 それは全てが白でできた魔女だった。

 裾野長いドレスの生地も、目深くかぶった魔女らしいとんがり帽子も。

 何よりその肌がどこまでも透き通るように白い。

 例外は長く伸びた銀髪と、白いかんばせに浮かぶ黒い瞳と赤い唇だけだった。

 まさに空白の二つ名にふさわしい魔女がそこにはいた。


「あらあら。私のヒバリちゃんは、本当に甘えん坊ね」


 空白の魔女は飛びついてきた弟子をヒバリと呼び両手で受け止める。

 魔女がいたのは寝室だった。

 全身が白で覆われた魔女は、こちらも純白とでもいうべき白いシーツの上に腰掛けていた。

 部屋の内装すら白い。家具もカーテンも壁紙も、全てが白で彩られている。

 だが今はカーテンが閉められていて部屋は薄暗くその他の景色がよく見えない。

 魔女はその白さゆえに、暗い部屋でも彼女の周りだけがぼうっとだが見えていた。


「先生! ダメダメのヤツったら、川に落ちたわ! でも、エイミーたちに探させてるから安心してね!」

「あらあら。ルーシアったら、私のお願いをエイミーたちに押し付けて帰ってきたのね」

「だってだって、先生! 川なんて、入りたくないわ! どうせあの娘のことだもの。あのセーターのおかげで、無事でしょうし」


 ルーシアは魔女の体に抱きつきながら、甘えた目つきで彼女を見上げる。

 この時ばかりは他の男の娘に見せていたような傲慢な態度は露とも見せず、空白の魔女にまるで子供のように振る舞った。


「まあまあ。この娘ったら」

「失敗したら、エイミーたちにもお仕置きね」

「おやおや。ルーシアったら、お仕置きはよっぽどのことでしょ?」

「はい、先生!」

「まあまあ。この娘ったら、本当に素直。私は幸せね。これであの娘がいてくれたら」

「あの娘? ダメダメのことですか?」

「違うわ。あの娘よ。あの娘。あぁあぁ……思い出せない。あの憎っくき魔女のせいで、最高に可愛いあの娘の名前と顔と姿が思い出せない」

「……あの娘って……アタシがここに来る前に、取り逃がしたっていう、男の娘ですか?」


 満面の笑みで魔女を見上げていたルーシアの顔が一瞬で陰る。


「そうそう。あの娘。私のまさに理想の男の娘。あの娘さえいれば……そうよ、あの娘さえ……あの男の娘こそ……至高の存在……唯一無二の男の娘……」

「先生……」

「あぁ……あぁ……憎い……あの魔女が憎い……名前も顔も、姿形も立ち居振る舞いも……全てが思い出せないのに……」

「先生ってば」

「それなのに……この恋焦がれる気持ちだけは、やけに鮮明に蘇ってくる……あの魔女のせい……」


 魔女は白い顔に暗い陰を落としながら、一人ぶつぶつと呟き続ける。


「先生……例の男の娘の話になると、アタシのことを見てくれない……アタシの話を聞いてくれない……」

「あらあら……私ったら……今、どうしてたかしら?」


 魔女は急に目の色をとりもどすと、小首を傾げて不思議がる。


「先生! 先生には、アタシがいますわ!」

「まあまあ。そうね。私のヒバリちゃん。告天子こうてんし――夜明けを告げる小鳥ちゃん。姫雛鳥ひめひなどりちゃん」

「はい、先生」

「く、空白の魔女様……シーツのお取替えを……」


 ルーシアが笑顔を取り戻し空白の魔女にさらに強く抱きつくと、ドアの外にメイド服の人物が一人やってきた。

 男の娘らしい。

 すっと平たい胸を不安げに両手で抱きながら、怯えるように引っ込めて部屋の様子を外から伺う。


「アナタ! 今先生と二人っきりで話してるの! 邪魔しないで!」

「ひっ! ルーシア様! 失礼しました!」

「先生! あの娘にお仕置きしてあげて!」

「はいはい。あの娘の珍獣はこれね」


 空白の魔女が薄闇の向こうに左手を伸ばした。

 伸ばした手を戻すと、そこには一体のクマのぬいぐるみが握られていた。


「――ッ! 空白の魔女様! それは私の珍獣! お許しを――」

「えい」


 空白の魔女がクマのぬいぐるみの首を掴むと、それをためらいもなく百八十度回転させた。


「きゅうッ!?」


 メイド服の男の娘がその場で悶絶して廊下に倒れこんだ。

 一瞬で白目を剥いて真っ青になり、内股に両手を挟んで痙攣まで始めた。


「ザマァ見ろですわ」

「おやおや。私のヒバリちゃん。美しい声で、汚い言葉はダメよ」

「はい、先生! でも、アタシのお願い聞いてくれてありがとう」

「まあまあ。お仕置きなんかで、喜んでこの娘ったら。本当は、全ての珍獣は愛でられる為にあるのよ、ルーシア」

「はい! 先生! でも――」


 カーテンが揺れて光が部屋に差し込んだ。

 薄暗い部屋にいたのは二人だけではなかった。


「はいはい。もちろん役に立たない男の娘珍獣なら、お仕置きは必要ね――」


 空白の魔女の瞳がその光に射られて輝く。

 そして光が差した部屋には――


「もぎ取って――一生おもちゃにしてあげるわ……ついてるだけ、無駄だもの……」


 壁一面、床いっぱいに――珍獣と呼ばれるぬいぐるみの使い魔で埋め尽くされていた。

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