第5話 アタシの男の娘珍獣を出すまでもないわ!
ティナが魔獣を退けた翌日。
「ホント、のろまねアンタ!」
真上に上がった太陽。その光も届かないような奥深い森の奥――生い茂る森の葉の高さから、何故か少女の声が轟いた。
「ダメダメって、ホントアンタのことね! あははっ!」
人の手が入っていない方々に伸びた枝の間。そのわずかで不規則な合間を縫って、一人の少女が宙を舞うように飛んでいる。
「ひぃ……ひぃ……ウチ、もう無理……」
空を飛ぶ少女とは対照的に、森の中を息を切らせながら駆ける少女がいた。
根が複雑に盛り上がった森の地面は、ただでさえ走りづらい。
地肌は湿気り、根は互いに押し合うように地面からむき出しになっている。
まっすぐ走ろうにもすぐに伸びた木そのものが進路の邪魔をしていた。
「ブッサイクな走り方ね!」
「ひぃひぃ……」
「バダバタとしてるだけじゃない! それで走ってるつもり?」
「ひぃッ!?」
何より、少女の走りがなっていなかった。
宙に舞う少女の指摘通り、眼下の少女の方は走っているというよりは、なんとか左右の足を前に出しているだけのように見える。
その装いも走るには不向きだった。
足首まであるロングのスカート。地肌の上は長袖のシャツで、さらにその上から目元まで隠れる毛糸のタートルネックのセーターを着ている。
何かと素肌を露出しないような姿だった。
「ホント、ダメダメ! アタシみたいに、浮遊の魔法を使えば? ああ、無理か! アンタの魔力じゃね!」
「ウチは……ダメダメじゃ……」
「あっ? ダメダメってアンタの使い魔だっけ? ああ、あの珍獣! ご主人様そっくりの、のろまだもんね?」
「――ッ! あの子はダメダメじゃ……ないもん!」
地面の少女が不意に足を止めて振り返り木々の間を見上げる。
「あら、リン? 生意気に自分の珍獣のことには、怒るプライドがあるんだ?」
「ルーシアちゃん……」
リンと呼ばれた少女が地面から空を見上げる。
「なんで、先生はアンタなんかの珍獣を、モイだのかしら? ホント、理解できない」
ルーシアと呼ばれた少女の方は、高い位置からさらにアゴを上げた視線で見降ろす。
軽くウェーブのかかった金髪に、赤い瞳の十五、六の少女だ。
清楚な白を基調としているが、ところどころに丁寧な刺繍が施された上質の生地のシャツ。刺繍には金色の糸が使われており、自身の金髪と合わせて豪奢な印象を見るものに与えていた。
スカートは長すぎもせず、短すぎもせずの長さ。奥ゆかしく膝を隠し、上品に靴下を覗かせている。
今はその金髪とシャツが一人陽に映え、赤い目が冷たく地面の方の少女を下に見つめる。
「頼んだわけじゃないもん……」
リンはショートの黒髪を揺らし、茶色の瞳で上空の少女を睨んでいた。
だが今はその黒髪が影に沈んでいる。
毛糸のタートルネックも今の気候には重苦るしく、ルーシアの日の光を受けた姿とは対照的だった。
「はぁ!? 先生のやることに、文句言ってんじゃないわよ!」
「ル、ルーシアちゃんも、今言ってた……」
「黙りなさい!」
「ひぃ……ルーシアちゃん怖い……」
「誰が怖いよ! アンタたちも、遅いわよ!」
ルーシアが宙に浮いたまま背後を振り返った。
「ゴメンなさい、ルーシア様! ああ……ルーシア様にお叱りいただけるなんて……」
「キャーッ! ルーシア様! 凛々しい!」
「るるる……ルーシア様の為にぃ!」
森の向こうからぬいぐるみを胸に抱いた少女の一団が駆け寄ってくる。
ウサギやリス、イヌにタヌキなど。ぬいぐるみのモチーフになりやすい動物たちが、少女たちの胸に抱かれて揺れていた。
「他の男の娘たち……」
リンがその様子にたじろいだように一歩退がった。
リンの言葉通り、少女たちは実際は男の娘の集団だった。
ぬいぐるみを抱く誰の胸にも年頃の少女のような膨らみがない。
「アタシの男の娘珍獣を出すまでもないわ! アンタたちで十分よ!」
男の娘だったのはルーシアも同じだった。
ルーシアはストーンと落ちた胸を張りながら、現れた男の娘たちすら物理的にも、視線的にも見下ろしていた。
ルーシアのスカートが内からゆらりとひとつ妖しく揺れた。
ただスカートが揺れただけ。だがそこには何故か、威嚇や自信、余裕のような動きが見て取れた。
「ルーシアちゃんの珍獣……出さないなら今の内に、逃げないと……何? あっちなの?」
こちらはリンのスカートの裾に隠れた何かが、慌てたように内から外にその生地を押していた。
「逃がさないわ!」
男の娘集団がリンの背中に迫る。
「ひぃ……」
伸びきった
「川?」
リンは森の視界が開けた場所で立ち止まった。
そこは流れの速い川へと続く切り立った崖だった。
「ひぃ……こんなの無理……」
リンが思わず立ち止まるが、スカートの中のものはそれでも川へとそのスカートの裾を内から押していた。
「無理無理無理……こんなところ飛び込む勇気ない……ウチ、ダメダメだもの……」
リンがさらにタートルネックの毛糸の中にその顔を埋めて鳴き声で震え出す。
「追いついたわよ! エレクション! ああ……ルーシア様が見てる前で……嬉しい……」
「キャッ! 見て見て、ルーシア様! エレクション!」
「るるる……ルーシア様の為に! エレクション!」
「キャーッ!」
背後から聞こえた男の娘集団の呪文とともに、リンの全身を電撃や炎が襲う。
背中からのその突然の攻撃に、リンは大きな悲鳴をあげながら川へと落ちていった。
「ちょっと! 川に落としてんじゃないわよ!」
「ゴメンなさい! ルーシア様! ああ……ルーシア様にご叱責いただけるなんて……」
「キャーッ! ルーシア様がお怒りよ! カッコイイ!」
「るるる……ルーシア様が激怒……尊い!」
「連れてこいって、ご命令なのよ! アタシ、川なんか入んないからね! どうせあのダメダメのことだから、しぶとく生きてるわ! 見つけ出しなさい!」
飛んできたルーシアが苛立たしげに声を荒げながら、川の下流の方を指差した。
「領主の屋敷のある街へと続いてるわ! ああ、もっとめんどくさい! アタシは一度先生のところに戻るから! アンタたちで何とかなさい! いいわね!?」
「はいッ! ルーシア様! ルーシア様……ルーシア様のご期待が、わたくしに……」
「キャーッ! ルーシア様のご指示出し! 決まってる!」
「るるる……ルーシア様のご命令! ああ……至福!」
「任せたわよ。ふん……川より、街の方が嫌いよ……男の娘ってだけで、人のことを……」
ルーシアの赤い目が怒りとともに魔力を帯びて光った。
流れてくる川を迎え入れるように出来た遠くの街。それをルーシアはその魔力を帯びた視線でとらえる。
だが宙にすら浮くルーシアの魔力でも、その街に向かう小さな馬車の中の乗客の姿までは見えなかった。
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