第78話 わたしの地元の民話
田舎にある不思議な言い伝え。
<エンコ>
ある時、どこからともなくエンコ――河童――がやって来て、里にある池の中島に巣を作った。
それからというもの中島の巣から出てきては田畑に悪戯をするので、困った里の人たちは一計を案じた。
「おうい、そこの中島はもともとうちらの里の
相撲好きなエンコはこの提案に飛びついた。
さて、勝負の日。里から選び出した力自慢の力士と、エンコが対峙した。
力士が高々と四股を踏むと、エンコも真似をして足をあげる。すると、大きく傾いたエンコの頭から皿がころころと転げ落ちてしまった。
皿がなくなってしまえばエンコは神通力を失う。
とうぜん勝負は力士の圧勝である。
「この里の人間はなんて強いんじゃ。こりゃあ、かなわん」
エンコは約束通り中島を明け渡し、里からそそくさと去っていったのだった。
<たぬきの変化>
里に続く山道の一つで、たぬきが人を化かしては悪戯をすると話題になった。
「そんなたぬきなんぞ、ワシがこらしめちゃる」
豪胆な猟師が夕暮れ近くにその道を通ると、なんとも可愛らしい娘が現れ見事な舞を踊り始めた。
あれ、これが噂のたぬきかと猟師は察したが、急激な眠気に襲われてどうにも頭が働かない。
このままではいかんと自分も踊り始めた。
しばし踊っていた両者だったが、隙を見て猟師は縄で娘を縛り上げることに成功した。
娘を家へと連れ帰り「さてどうしたものか」と考えていると、
「もうここで悪さはしませんから、どうか助けてください」
たぬきが深々と頭を下げるので、猟師はよくよく言い含めて縄を解いてやった。
それ以来、里の近辺でたぬきが出ることはなくなった。
<針女>
隣里へと続く山道を一人の男が歩いていたところ、赤子を抱えた濡れ髪の女に声をかけられた。
「この子を抱いてやってくれませんか?」
男は少々怪しいとは思いつつも、断り切れずに赤子を抱いてやることにした。
始めこそ何事もなかったが、やがてどうしたことか赤子はしだいに石のように重くなっていく。
たまらず男は赤子を置くと、その場から逃げ出した。
すると濡れ髪の女がとてつもない形相で追いかけてくるではないか。
男は這う這うの体で自分の家へ逃げ込むと、大戸をたてて閉じこもった。
家の外からは女の凄まじい叫び声と、ガリガリと大戸をひっかく音がする。
やがて静かになり夜も明けた頃、男が家から出ると、大戸には針でひっかいたようなおびただしい量の傷ができていたという。
* * *
「こっわ! 最後の話めっちゃ怖い! その前の、昔ばなしっぽいちょっとほのぼのしたヤツとの落差が激しすぎない?!」
「えー、そうかなぁ」
十畳程度の室内にケラケラと姉の愉快そうな笑い声が響いた。
ここはとある田舎町の図書館である。
『館』などと呼ばれてはいるが、実態は町役場の建物の中に設けられた、資料室とか図書スペースと形容した方が正確だと思えるような狭い一室だ。
ここに入るのは小学生以来だろうか。
室内の半分を占有する読書用の長机と、もう半分に設置された数台の書架。
本棚の内容はさすがに変わっているだろうが、大まかな光景はまったく変化がないように思える。
そもそもわたしがここへ来たのは、自治体単位でまとめられている郷土資料にはその土地にまつわる怪談話のような伝承も載っている、というのをとある小説で知ったのが始まりだ。
大学の夏休みで実家に帰った拍子にそのことを思い出し、ちょうど買い物に出かけるタイミングだった姉に頼んでこの図書館まで車で運んでもらったのだが…………そこからどういう流れでこうなったのか、いつの間にやら彼女による土地にまつわる民話語りの会となっていた。
「そういや『小豆とぎ』ってのもあるよ」
「小豆洗いじゃなくって?」
小豆洗いとは、その名のとおり小豆を洗う妖怪である。
何をするかといえば…………なんか、川辺で小豆を洗っている……それだけだったりする。
まあ、真面目に答えるならば、誰もいないはずの河原でシャコシャコと正体不明の音がする。その正体として当てはめられた、いわゆる”音の怪“というやつである。
そもそもは虫の声であるという説もあるし、はたまた男女で連れ立って歩いている時にその仲間が河原でシャコシャコと音をたて「あれ、小豆洗いだ!」と怖がった女性が抱きついてくるよう仕向けるという軟派な手段に使われていたという話もあったりする。
「……うん。男女ってのはあってるけど、そういうのじゃないかな。
この小豆とぎってのは…………
一人の武士が山道を歩いてたんだけど、急な雨に降られちゃうの。
ちょどその時、偶然出会った女の人と山小屋で雨宿りをすることになるんだけど。
夜明け前になって女の人が『実はわたしは小豆とぎという妖怪です。一番鶏が鳴けばここを去りますので、くれぐれもわたしのことは誰にも言わないでください』って、言葉のとおり鶏の声と共に小屋を出て行っちゃうんだ。
でもこの武士ってば、出会ったこの里の人に、つい、これこれこんなことがありましたよ、なんて喋っちゃって…………。
それからしばらくした後に、その武士が山の中でズタズタに引き裂かれた姿で発見された。なんて話」
「ハンパないな田舎の昔話!」
怪異の殺意が高すぎる。
あと小豆要素はどこに行った。
「まだまだ、こんなもんじゃないからね。面白い話は他にもいろいろあるよぉ」
姉が自慢げに胸を張る。
「ふうん、なおさら郷土誌読むのが楽しみになってきたかな。…………それより」
「うん?」
「あんた誰?」
すっと室内が暗くなった。
カーテンの向こうの陽が陰ったのだろう。
明かりは点いているが、それでも日暮れ
書架の陰と同化するように佇む姉の姿が、しだいに影法師のようにぼんやりとぼやけていく。
顔の辺りに、下弦の月のような細く白い筋が現れたかと思うと、それはぱっくりと大きく開いて見事に並んだ鋭利な牙をのぞかせた。
「――、――――」
下弦の半月が、ぱくぱくとその太さを変える。
わたしが首を傾げると、影法師は一層笑みを深くしたようだった。
「おーす。本、見つかったー?」
不意に、そんな暢気な口調と共に扉が開かれ、姉がひょいと顔をのぞかせた。
すると先ほどまでの雰囲気が嘘のように、室内が明るさを取り戻した。
部屋の中には私一人だけ。
書架の傍らにいたはずの誰かはすでにいない。
ふと、何もなかったはずの長机にぽつねんと一冊の本が置かれていることに気がついた。
少々くたびれた、郷土史の本だった。
「あとは自分で読めってわけね……」
表面が茶色く日焼けした、辞典のような分厚さのそれを手に取る。
――怖がらなくていいとも、取って喰ったりしないから。
――誰かにこの事をしゃべったら『小豆とぎ』みたいに殺すんだろうって?
――いやいや、ないない。
――むしろ大いにしゃべってほしい。
――今の世の中ならどんな情報もばらまき放題だろう?
彼女の言葉がリフレインする。
土地は変わっていく。エンコが巣を作った中島のある池は埋められ、たぬきが出没した山道はきれいに整備された広域農道へ拓かれた。
住民も変わり、かつての怪異をそらで語れる人はもうほとんどいないだろう。
ならば古臭い妖怪や怪異は風化し消え去るのみだろうか?
いやいや、そうではない。
大いに語り、大いに広めよ。
怪を語れば怪至る。
時代が移り、土地が変わり、人が代を重ねようとも、語る怪があれば消えはしない。
幸い今の世の中にはうってつけのツールがある。
語られる限り怪は残り、あるいは新たな場所と
(やれやれ、田舎の妖怪のくせに
わたしは郷土誌を適当に開く。
モノクロの写真と『唐獅子』という項目が目に入った。
どうやら祭りの催事についての記事らしい。
きっと彼女が語った話がこの中には載っているだろう。
さて、ならば彼女自身の正体は果たしてどうだろうか?
少々愉しくなってペラペラとページをめくっていると、「用事がすんだんならとっとと帰るよ」と姉に背中を押された。
わたしは反射的に本を鞄に入れようとして、はたと気づいた。
「…………ところで、これ、どうやって借りるの?」
表紙のどこにも所蔵データを読み取るためのバーコードがついていない。
ならば表紙裏だろうかと分厚いカバーをめくると、そこには紙製の小さなポケットが貼りつけられ、細長いカードがささっていた。
ボール紙のような厚手の素材で、白地にオレンジ色の枠線が縦横にひかれている。上部の見出し部分には本のタイトルと登録ナンバーが記入され、その下には『会員№』『氏名』『貸出日』『返却日』の項目が並んでいた。
「その貸出カードに名前とか記入して受付に出すの。ここに書く貸出番号とかは、私の図書会員カードのでいいから…………ってあんたが小中学校の時もこの方法だったでしょ」
姉の説明を聞いている間、ずっとわたしの口元は何ともいえない笑みの形にひきつっていた。
「………………………………アナログぅ」
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