第79話 かえせ
傘ごしに幽霊を視たことがある、とKは言った。
小学校六年生の頃、道端に落ちているビニール傘を拾ったのだという。
急なゲリラ豪雨に見舞われていたKは、これ幸いと拾って差した。
コンビニで売っているような透明なビニール傘で、古いのかそれとも元の持ち主の扱いが雑だったのか、金属製の骨組みはところどころ錆びついて内側のビニールもなんだか薄汚れている。
まじまじと汚れを眺めていると、透明な膜の向こう、道路の中央に女が立っているのに気がついた。
しかしこの女、どういうわけかビニール傘を通してでしか姿が見えないのである。
肉眼では道路には誰もいないのに、傘を目の前にかざすとその向こうには確かに女が立っている。
怖いよりも不思議だという気持ちが勝り、Kは傘を何度も上下させた。
ビニールが眼前を往復するたびに女は現れては消えを繰り返し、まるでコマ送りのようにカクカクと動く。
上体を揺らし、長い髪が顔にかかっていて表情は見えないが、何かを探しているようにも見える。
やがて女が動きを止めた。
傘をいくら上下させても、微動だにしない。
すっかりテレビでも見ている気分になっていたKは、これ以上は何もないと判断して女に背を向けた。すると、
「――」
誰かに声をかけられた気がして振り向くが、誰もいない。
まさかと思い傘を目の高さまで下げる。
「かえせ!」
眼前に女が現れた。
顔の大半を覆う黒髪の隙間からのぞく肌は赤黒い血に塗れ、割れた頭蓋からは粘性の強い液体とともに小さな固形物が流れ落ちていく。
「がぁえぇせぇぇぇ!」
女は覆いかぶさるようにして傘にへばりつき、まるでひび割れたスピーカーのような声で叫ぶ。
Kはビニール傘を捨てて、泣きながら逃げだしたのだった。
* * *
不思議なことに、後にKはあの場で似たような出来事や原因となるような事件がないかを調べたが、いっさい見つからなかったらしい。
「返せ、って何のことだろうな。まさか傘のことじゃないと思うけどさ」
Kは肩をすくめる。
彼が後日その場を通った時にはビニール傘はどこにもなかったらしい。
同じような出来事も噂もなく、謎は謎のままである。
しかし少なくともKは、その件以来、向こうが透けて見えるような透明の傘は差せなくなってしまったのだそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます