第76話 〇〇病院の噂
中国地方の某県某所にある〇〇病院は二十年以上前に閉鎖された廃病院である。
そこには複数の怖い噂が語られている。
一つ、病院前で女性に助けを求められてもついて行ってはいけない。
深夜、病院の正門前を通りかかると、敷地内から血相を変えた二十代前半の女性がかけてくる。
「あの人を助けてください」と指し示す方を見れば、病衣をまとった人影が病院の屋上の端に立っている。
身投げの現場に居合わせたあなたは、女性の必死の懇願に屋上へと向かうだろう。
しかし不用意に病衣の男性へと近づいてはいけない。そんなことをすればあなたは彼にしがみつかれ、諸共に屋上から転落してしまうから。
かといって何もしなければ、男性はそのまま独り身を投げ、半狂乱になった女性に屋上から投げ落とされてしまうだろう。
もしかしたら、あなたは途中で状況の異様さに気づき、屋上に至る手前で踵を返すかもしれない。しかしそれもよくない。ここまできて彼女へ背中を向けるのは裏切りと同義なのだから。
一つ、一階女子トイレの鏡を見てはいけない。
一階女子トイレには建物内で唯一鏡が残っている。
これを覗いてしまうと、あなたの背後に血濡れた白衣の看護師が現れ、そのまま手術室へと引きずられて行ってしまう。
もし鏡に何も映らず、何者も現れなかったとしても、夜、あなたはこの鏡の前に立っている夢を見るだろう。それから毎日毎夜、あなたは眠る度に鏡を覗きこむ。やがて、背後に朱いまだら模様の看護師が現れ――。
一つ、病院内の備品を建物から持ちだしてはいけない。
一つ、内線の受話器を取ってはいけない。
一つ、三階の病室のカレンダーを見てはいけない。
一つ、非常階段を使ってはいけない。
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車内に二種類の悲鳴が響いた。
「うっわ、こわ~……」
「マジでしゃれになんない心霊スポットじゃん」
「ていうか、ぜんぶ〇〇しちゃいけない系だとかって怖くない?」
「それな。やった時点でぜったい助からないとかサイアクだろ」
後部座席で肩を寄せ合う男女へ、白髪を帽子からはみ出させた老齢のドライバーが人の良さげな笑みをバックミラーに映して声をかける。
「いやあ、とはいっても根も葉もない噂ですからねぇ」
「え、ウソなの!?」
「昼に夜にと、あの病院の前は何度も通りますがね。少なくともわたしは遭ったことも見たこともないですな」
前のめりになっていた男女だったが「そもそも噂のとおりに屋上からの転落者や行方不明者が何人も出てたら大騒ぎになるでしょう」という身も蓋もない言葉に、深々と背もたれへと体重をかけた。
少々冷めてしまった雰囲気を察してか、ドライバーが再び口を開く。
「噂の真偽はともかく、どうも肝試しにはうってつけみたいですな。今でも若い連中が懐中電灯片手にうろついてるのを見かけますわ」
行ってみますか? と尋ねられ、二人は顔を見合わせる。
「大丈夫ですよ。悪い連中のたまり場になってるなんてことはありませんから。噂で注目されてる分、誰がやって来るかわかりませんからね。そうそうそんな場所で悪どいことなんてできんのですわ」
こればっかりは噂話がいい方向に働いてるってとこですかねぇ、と老ドライバーはからからと笑う。
「こっから数分ぐらいの場所ですし。もし先客がいるようならさっさと引き帰しますよ。なんなら玄関口に車つけて、戻ってくるまで中照らして待ってますよ。ついでにその間のメーターはサービスで止めときますし」
そこまで言うならと、恐怖と警戒より興味が勝った男女は頷いた。
住宅街の夜道を抜ける最中、女性の方が何かに気づいたように声をあげた。
「噂話って六つなんだね」
「なんで?」
「いやー、あと一つあったら七不思議だったのにーって」
「普通、心霊スポットの噂なんて一つか二つだろ。七不思議になったらさすがに盛りすぎだって」
「だよねー」
和やかな笑い声を乗せたタクシーは、連なった街灯の先の闇に溶けるように彼方の建物の陰へと向かっていったのだった。
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一つ、地元ナンバーのタクシーに乗ってはいけない。
ドライバーは乗客をあの手この手で病院へと誘う。向かった先に待っているのは、先に語った六つの噂いずれかに添った結末である。
車のナンバープレートには〇〇という地名が記載されている。
〇〇は病院の名前であり、同時にその街の名前だ。
車のナンバープレートに記載できる地名は使用者の本拠地の管轄運輸支局や自動車検査事務所の所在地域であり、〇〇が刻まれたプレートは存在しない。
もしも読者諸氏が中国地方へ行かれた際には、地名と同じ名前の廃病院と、そのナンバープレートを付けたタクシーにはゆめゆめご注意を。
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