第69話 首が……

 高校の時、とある廃屋へ肝試しに行ったことがある。


 行きたかったわけではない。

 今もそうかはわからないが、少なくとも当時、思春期の男子にとって仲間内から「臆病者」と思われるのは何よりも恥であり絶対に避けなければならなかったのだ。


 二階建ての、これといって特徴のない一軒屋だった。

 誰も住まなくなってそのまま朽ちただけの、ありきたりな廃屋である。

 肝試しのきっかけになった噂にしても、


「両親と息子三人暮らしの家族が一家心中した」

「子供に何かしらの問題があったのが原因らしい」

「母親が妙な宗教にはまっていて何かの儀式をしていた」

「儀式の痕跡が今も残っている」

「中途半端に終わった儀式をやり遂げようと母親の霊が家の中をうろついている」


 などといった、どこかで聞いたような、ありふれたものだった。


 だが、いくらそれらがテンプレートじみていて、客観的に見れば陳腐なものだとしても怖いものは怖い。

 もともと心霊そのものが苦手だし、他人の家に入り込む罪悪感もある。

 しかしここで引き返せば、残り二年も残っている高校生活を「臆病者」のレッテルを貼られて過ごすことになってしまう。どころか、今回の発起人のAなどは、後々までそれをネタとして引っ張り続ける可能性がある。それだけは避けなければならない。


 肝試しに参加したのは僕を含めて四人。

 発起人のA。

 よくAとつるんでいて今回の噂を持ってきたB。

 おそらく僕と似たりよったりの理由でしぶしぶ参加しているCだ。


 Aが玄関のノブに手をかける。

 鍵はかかっていなかった。

 中に入った瞬間、ホコリとカビの臭いが鼻をついた。


「うわ、くっせ」


 AとBが悪態をつきながら土足のままがりかまちを踏み越えていく。

 僕とCは少しためらったが、廊下にくっきりと残った二人の足跡を見て、靴を脱ぐのを諦めた。


 事故物件での肝試しだ。AやBも強がりつつやはり緊張した様子で一階を巡っていたものの、五分も経たないうちに拍子抜けした雰囲気が一行の中を漂うことになった。


「何もないな」


 Aがぼやく。

 食器や小物を含め家具はそのまま残っている。だが、荒らされて廃墟然としているわけでもなければ、食器がテーブルに残っているなどの「日常的に続いていた生活が突然中断させられた」ような生々しさもない。

 何もかもが整頓されていて、積もったホコリや天井の隅に薄っすらとかかる蜘蛛の巣を無視すれば、テレビで紹介される小奇麗に整えられた一般家庭のような印象すら受ける。


 あまりに普通だった。

 噂にある怪しげな儀式をやっていたとは到底考えられない。


 白けた空気を察して慌てたBの「二階を見てみよう」という提案にAが気を取り直し、しぶしぶ僕とCが続く。

 階段を上った先は折り返す形で廊下がのびていて、扉が三つ並んでいた。

 一階はリビングと応接間や物置らしき部屋、キッチンや風呂トイレの水回りだった。となれば二階の部屋は家族それぞれの私室だろう。


 一番手前の部屋は物置のようだった。季節ものの家具や小物がしまわれていて、空間も縦長の四畳間程度でさほど広くもない。


 続いて真ん中の部屋の扉をAが開ける。

 ここだけ雨戸でも閉めているのか室内は闇に溶け込んでおり、扉から数センチ先のがぼんやりと見える程度だ。

 Bが持参してきた懐中電灯をAに手渡し、カチっと小さな金属音がした瞬間、


「うおっ」


 Aが小さく叫んだ。

 立ち竦む彼の脇から部屋を覗くと、懐中電灯の明かりが闇にぽっかりと穴をあけている。Aの手がせわしなく動くたびに穴は位置を変え、内部を切り抜いていく。

 和室だった。

 扉を開けた先が畳敷きというのは、かなりの違和感がある。


「座敷牢みたいだ」


 Cの呟きに僕は無言で首を振った。

 何もない部屋だ。テーブルはおろか、タンスなどの家具は一切見当たらない。

 僕たちがいる扉から左手の方は壁ではなく全面が衾で仕切られている。もしかしたら一番奥の部屋とつながっているのだろうか。


 窓は段ボールでふさがれていた。窓枠にそって定規をあてたように真っ直ぐ、縦に横にと何重にもガムテープがひかれた様は、几帳面や神経質を通り越してあまりに病的だ。

 その場にいた全員が一階とのあまりのギャップに気圧されて硬直していた。


 すると突然Bが「わ、わ、わ、わ、わ」と小さく悲鳴を繰り返しながら後ずさり、彼の手が僕にぶつかた。

 反射的に抗議の視線を向けるが、Bはお構いなしに青い顔で部屋の中を指差している。


「真ん中、部屋の中心になんかある」


 Aの持つ懐中電灯が慌てたように二度、三度と左右にさ迷うが、やがてを光の円が捉える。

 一瞬、人がいるのかと錯覚し、全員が悲鳴をあげた。

 幼稚園――三歳とか四歳児くらいだろうか。子供が両足を前に伸ばして座っていた。

 髪は黒のショート。七五三や入園とか卒園の式で着ているような、グレーの生地に黒の線が入ったチェック柄のスーツ姿だ。

 誰もいないはずの廃屋に場違いな存在を目の当たりにして、僕たちは一気にパニックに陥りかけた。


「なんだよ、人形じゃないか」


 しかし、Aが大きな息とともにそう吐き出し、そのおかげで少しばかり落ち着きを取り戻すことができた。

 言われてみれば、照らされた顔は人形のものだ。

 だが、それで安堵するどころか僕の中にはいやな不安が広がっていく。


 どうして人形がこんなところに? そんな疑問はもちろんだが、髪形や服装はめかしこんだ普通の子供のそれなのに――いや、あまりに人間の子供らしい格好だからこそ、極端に強調された大きな眼や口が異形のように感じられて気持ちが悪い。


 おまけに、人形の周囲には直径三センチはあろうかという太い蝋燭がぐるりと並べられていた。

 燭台も受け皿もなく、畳が傷むのもお構いなしに直接立てられ、焦げた芯や溶けて垂れた蝋のあとが妙に生々しい。


 あきらかにここで何かをしていた。噂を証明するような光景が目の前に広がっている。


「も、もういいかな。そろそろ帰ろうぜ……」


 すっかり及び腰になったBが震え声で提案する。僕もCも同感だった。

 だが、たった一人、納得しなかった奴がいる。


「あ? まだこれからだろ?」

「どう見たって儀式の現場はここだろ。それがわかったんならいいじゃんか」


 僕の言葉をAは小ばかにしたように鼻を鳴らす。


「どうせ誰かのいたずらだろ」


 彼の言う通り人形や蝋燭にホコリをかぶった様子はなく、先ごろまで使われていたようですらある。


「だったら変な奴が出入りしてるってことだろ。鉢合わせると厄介だからもう帰ろうよ」

「なんだよ、ビビってんのかよ」

「そうだよ」


 僕はこんなところからとっとと立ち去りたかった。だから素直に怖気づいていると認め、同じく限界だったBとCもそこに便乗して撤収を促し始めた。


 だが、かえってそれがAに火をつけてしまったらしい。


「はっ、だっせぇ。こんな程度でビビるとかありねーだろ」


 なんとズカズカと和室に入り込むと、あろうことか人形の胸倉をつかんで持ち上げたのだ。


「ただの人形だろ。もしかして呪いにでもかかるとか思っちゃってんの?」


 彼が腕を乱暴に振り回すたびに、人形の首や手足がぐらぐらと無造作に揺れる。

 さらに何を思ったのか、Aは足元の蝋燭を蹴りつけては何度も踏みつけだした。


 堰を切ったように吐き出され続ける言葉は今や笑い声と暴言の入り混じったほとんど聞き取りようのない音の奔流へと変わり、バンバンというヒステリックな靴音と共に室内に反響する。


 僕たちはAの奇行を茫然と眺めることしかできなかった。

 調子に乗りやすくそれ故にやりすぎる時もなくはなかったが、ここまで度を越したことができる男ではない。あまりに急激な変貌に、止めるべきかどうかの判断すら誰もできなくなっていた。


「あ……変な音がする……衾……?」


 ぼそりとBが呟いた。

 一瞬その意味が分からなかったが、耳をすませばAが起こすものとは違う音が混じっていた。Bの言う通り、立て付けの悪い衾を強引に開けているようにも聞こえる。

 確かめようにもこの暗さのせいで、いくら部屋の奥に目を凝らしても一向にわからない。唯一の光源はAが持っていて、彼の動きに合わせデタラメに光の筋を走らせるばかりだ。


 だが偶然、ほんの一瞬だけ懐中電灯の光が衾を横切った。


 Cの甲高い悲鳴が響いた。

 彼だけではない。僕もCも見てしまった。

 小刻みに震えながら隙間を広げていく衾と、その縁を握りしめる青ざめ骨ばった手を。


 Bを先頭に僕たちは一目散に逃げだした。

 もうAのことを気にしている余裕はなかった。

 止めどないAの哄笑に背を押され、転げるようにして階段を駆け下りていく。

 すでに玄関からとび出したBとCに続くべく三和土へ降りた瞬間――、


「あ」


 すべての音が一斉に止み、Aの呟きが聞こえた。


「首が」


 僕は後ろを振り返らずに外へ出た。

 もうBとCの姿はどこにもなく、そのまま家に帰ると夕食もそこそこに、今日の記憶を振り払うようにして布団へ潜り込んだ。


 翌日、Aは何事もなかったように学校へ来た。

 廃屋での出来事を引きずっている様子はどこにもない。

 だが僕は彼を置き去りにした罪悪感から、どうにも話しかけられないまま一日が終わってしまった。


 遠目に見るだけだったが、どこかこれまでより少し大人しいというか、普段のAとは少し違う感じがしたが気のせいだろうか。

 きっと後ろめたい思いがフィルタをかけてしまっていたのだろう。


 その翌日、Aは学校を休み、さらに数日が経つと彼が行方不明になったと連絡が入った。

 当初は警察も総出で動いたが、一向に彼を見つけることはできなかった。


 失踪して以降、クラスメイトの間で「Aが一人で例の廃屋へ入っていくのを見た」という噂が囁かれたことがある。

 しかしそれもほんの一瞬で、聞いた次の日には誰も口にしなくなっていた。


 学年が変わる頃にはAの存在自体が忘れ去られたようになり、残った僕たち三人もあの体験が原因でぎくしゃくとしてしまった関係を改善できないままにクラスが別れ、やがてつるむこともなくなった。


 あれからもう何年も過ぎたが、いまだに一つだけ気になっていることがある。


 Aが最後に学校へ来たあの日、一度だけ彼のすぐそばをすれ違った。

 その時に見てしまったのだ。

 髪の毛のような細い筋が一本、Aの首をぐるりと一周しているのを。


「首が」


 あの家で最後に聞こえたAの呟きには、いったいどんな意味があったのだろうか。

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