第68話 人形屋敷

「聞いた? 端留はしどめのおばあちゃん、亡くなったって」


 夕飯の席で思い出したように母が口を開いた。

 父が聞き覚えのない名字に視線を右上に向けて記憶を手繰る。


「端留っていうと……人形屋敷の?」

「そうそう」


 その言葉で、ようやく私にもピンときた。

 人形屋敷とは近所にある一軒屋のことだ。屋敷とはいうものの実際は世間一般の一戸建てとサイズはそう変わらない。けれど、家中に大量の人形が置かれていることで有名で、周辺の住民からはその数と語呂のよさから『人形屋敷』と呼ばれていた。

 母が言うには、先日そこで一人暮らしをしていたおばあさんが亡くなったらしい。


「もう息子さん夫婦がきてお葬式もすましちゃったらしいんだけどね」

「息子夫婦って隣の県に住んでたんだっけ」

「そうそう。お骨もそっちに持って行って供養するらしいよ」

「あの家は?」

「取り壊すんだってさ。家財とか人形も全部処分するって」

「人形も?」

「うん、捨てるって」


 こともなげに頷いた母に、父は「えー」と大袈裟にのけぞった。


「ちらっと窓から見えた分しか知らないけど、ずいぶん年代物の人形がきれいな状態で置いてあったろ? プレミアとかついてたりするんじゃないのかなぁ」

「息子さん夫婦は売る気も譲る気もないみたいよ?」

「そっかぁ、もったいないなぁ。一個くらいほしいよなぁ?」


 そう言って父は姉に話を振るが、


「いらない。人んに長いことあった人形とか、気持ち悪くない?」


 にべもなく否定されてしまった。

 母もうんうんと頷く。

 納得のいかない様子の父は、私にも同意を求めてきたが「んー、さあ」と答える。


「えー、そうかなぁ」


 誰からも賛同を得られなかった父は、ふてくされたようにうなだれたのだった。



 人形屋敷は通学路の途中にある。

 生け垣に囲われているがそこまで背は高くなく、小学生の私でもひょいとつま先立ちになれば簡単に中を覗けた。

 道路に面した窓はいつもカーテンが開かれていて、そこから見えるだけでも窓際や棚には日本人形や洋風のドール、ぬいぐるみまで多種多様な人形が飾られていた。


 今日もカーテンは開いたままのようだ。

 持ち主のおばあさんがいなくなって、処分を待つだけになってしまった人形たちはどこか寂しそうに立ち並んでいる。

 父に聞かれた時は曖昧な返事をしてしまったが、実は気になっている人形が一つだけあった。

 お嬢様のように切りそろえられた金色の長い髪。大きめの目だけがついたシンプルな丸顔が愛らしい、赤ちゃんくらいの大きさの布人形だ。

 窓から見える人形たちの中で、真っ白なフリルのついたドレスがひときわ目立っていた。


 これまでは眺めているだけで満足していて特別ほしいとも思わなかったのに、処分されてしまうとなるとどうにも気になって仕方がない。

 学校から帰る頃には人形のことが頭から離れなくなってしまっていた。


(いらないんだったらくれたらいいのに……)


 母の話によれば、息子夫婦は誰かに譲る気はまったくないらしい。

 私や父のように「どうせ捨てるなら」と尋ねてみた人もいたようだが、すっぱり断られてしまったのだとか。


 お昼を過ぎてもカーテンは開いたまま。

 ガラスの向こうに真っ白なドレスが見える。

 部屋の薄暗さも手伝って、その人形の少しうなだれた様子が悲劇のお嬢様のようで胸が締めつけられた。


(そうだ。あの子だけでももらえないかお願いしてみよう)


 大人の人が頼んでもダメだったって母は言っていたけれど、その人はあまり熱心じゃなかったのかもしれない。

 おばあさんの大事にしてた人形を大切にしなさそうだったから断られたのかも。

 本当に人形が欲しいんですって、ぜったい大切にするって伝えれば、もしかしたら。


 なんだかうまくいくような気がしてきた。

 気合を入れて玄関へ回りインターホンを押す。

 誰も出てくる気配はない。


(あ、そうか。息子さん夫婦は違うところに住んでるんだっけ)


 だったら今、この家は誰もいないんだ。

 これじゃあ頼むも何もどうしようもない。


 せっかくの気合が空振りに終わってがっくりと肩を落としたが、私の視線は横開きの硝子戸の取っ手に吸い付けられていた。

 そろそろと手を伸ばす。


(いったい何をしてるんだろう。開くはずなんてないのに。……ううん。これは戸締りの確認。だって誰もいないのに、鍵を閉め忘れてたりしたら大変でしょ。私はそれを確かめてあげてるだけ……)


 金属製の凹みに指をかけ、恐る恐る引く。


 カラカラカラカラ――。


 玄関の戸は驚くほど簡単にスライドしてしまった。

 ぽっかりと口を開けた家の前で私は呆気に取られていたが、すぐに気を取り直し声をかける。


「ご……ごめんください…………あの……誰かいませんかー……」


 反応はない。

 やはり誰もいないのだ。

 私はそっと中を覗いて「わっ」と小さく声をあげた。

 廊下の手前から突き辺りまで両端に人形がずらりと並んでいる。扉の前だけをあけてびっしりと隙間なく敷き詰められた様は圧巻を通り越して異様ですらあった。

 だけど私は気圧されるどころか、一歩中へ足を踏み入れてしまう。


 バクバクと警報のように心臓がひっきりなしに大きな音を奏でる。

 けれど私の足は一歩、また一歩と動いて、ついには三和土たたきから靴を脱いで廊下へとあがってしまう。

 立ち並ぶ人形たちへ脇目もふらず、視線は一番手前の扉へと引き寄せられていく。


(外から見えてた部屋は……きっと、あそこだ)


 足の裏からギィ……ギィ……と古びた木材の鳴き声が響く。

 私の心臓はその度に弾けるように大きく震えた。


(せっかくだから……ちょっと見てみるだけ……見たらすぐ帰るから……)


 扉を開ける。

 目当ての人形はすぐに見つかった。

 床から天井近くまで並べられた人形たちの中で、真っ白なドレスが窓から差し込んだ光を反射して輝いているようだ。

 私は駆け寄ると、一も二もなくぎゅっと抱きしめた。

 もう手放す気なんてなくなっていた。


 息子夫婦というのは、おばあさんと違ってきっと人形なんて大嫌いなんだろう。

 だからこんなにたくさんの人形を簡単に全部捨てるなんて言えちゃうんだ。

 そう、私はこの子を助けるんだ。


(それに……………………こ、これだけあるなら……一個くらい……)


 すぐに部屋から出て玄関で靴をはく。


 ギイィィ……。


 突然、背後から古木の軋む音がした。


 ギィ……ギィ……。


 廊下の突き当り、そこを折れた奥から誰かがこちらに来ようとしている。


(やっぱり誰かいたんだ!)


 私は慌てて家を飛び出した。

 走って、走って、走って――四辻の角に飛び込んで身を隠す。

 呼吸を整え、塀の陰から人形屋敷の様子をうかがう。


「あ!」


 叫びそうになって咄嗟に口をふさいだ。

 玄関の扉がうっすらと開いている。

 半ばパニックになって急いで出てきたせいで、ちゃんと戸を閉められてなかったのだ。

 これでは誰かが入ったのがばれてしまう。


 扉を閉めに戻るか。いや、出てきた人と鉢合わせるかもしれない。


 どうしたらいいか決められずにいると、玄関の曇りガラスに人影が現れる。しかし、外へ出てくるでも顔を出して様子をうかがうでもなくパタンと戸を閉めると、そのまま奥へと消えていってしまった。


(もしかして、自分が開けっ放しにしてたと勘違いしたのかな?)


 どうやらばれていないらしいと知って、ほうっと息を吐く。

 腕の中で強く抱きしめたままの布人形が目に入った。

 愛らしい顔立ちはどことなく嬉しそうで、私はとても良いことをした気分になって、家に帰ったのだった。



 その日、変な夢を見た。

 私は人形屋敷の前に立っていた。

 玄関の奥からギィ、ギィ、と廊下の軋む音が聞こえて、曇りガラスに人影が映し出される。

 やがてゆっくりと戸が開いていって――。


 布団をはねのけてとび起きた。

 まだ部屋は暗い。

 時計は午後十時過ぎを指している。


(いやな夢見た)


 原因がなんとなくわかるだけに、モヤモヤとした感覚が胸の中に広がっていく。

 それを打ち切るように頭を思いきり振ると、私は布団の中にもぐりこんで強く目を閉じた。


 ト……ト……ト……。


 ようやくうとうととし始めた頃、部屋の外から微かに音が聞こえた。

 どうやら誰かが階段を上がってきているらしい。

 私の部屋は二階にあり、階段を上がって手前が姉の部屋。その奥が私だ。


(お父さんかお母さんかな?)


 しかしすぐに首をひねる。

 どうにも家族の誰とも違う気がする。

 踏み込む音の大きさも、歩くテンポも何もかも重ならない。

 考えている間にも足音は近づき、姉の部屋の前で止まった。

 しばらくの静寂が訪れると、やがて足音は遠ざかり階段を下りていった。


(やっぱり……お母さんたちだったのかな……?)


 気にしすぎた自分の勘違いだろうか?

 そう考えながら、私の意識は眠りへとおちていった。



「昨日変なのが部屋の前まで来たんだけど、アンタ、何やったの?」


 翌朝、私の部屋に乗り込んできた姉に開口一番そう言われた。

 まだ寝起きで頭の働かない私をよそに、姉は部屋を見渡すと一点を指差した。


「これは?」


 姉の指した先を見た私の眠気は一気に吹き飛んだ。

 それは昨日持ち帰った人形だった。


「こんなのもってなかったよね?」


 姉は妙にがいい。

 人形一つが増えただけの変化にも気がついたらしい。


「あの……それ、もらったの」

「だれに?」

「人形屋敷のひと」

「息子さん夫婦? あそこの人形は全部捨てるって話だったでしょ?」

「…………」


 沈黙する私を姉は無言で眺めていたが、やがて大きなため息をつき「返してきな」と言い放った。


「で、でも」

「昨日のアレはぜったい人形屋敷から来たヤツだよ。あたしの部屋が手前にあったから違うと思って帰ったみたいだけど、今晩はアンタの部屋に行くからね」

「ど、どうして」


 そんなことがわかるのかと尋ねるが、姉には「知るか」とひとことで突っぱねられてしまった。


「なんとなくそんな気がするだけだもん。本当のことなんてわかんないよ。でも、すごく嫌な感じ。よくない。ぜったい。人形を取り返しにきただけならいいけど、そうじゃなかったら、アンタどうなってもしらないよ」


 だから返してこい、という姉の迫力に負けて私はおずおずと頷くしかなかった。

 だがその日、人形は返せなかった。

 時間が経つうちに、どうせ姉の勘違いだろうと思えてきてしまったのだ。

 だから姉には内緒のまま夜を迎えた。


 また同じ夢で目が覚めた。

 時刻は午後十一時。


 ト……ト……ト……。


 何かが階段を上がってくる。


 ト……ト……ト……ト……ト……ト……。


 ゆっくりとゆっくりと、昨日と同じように。


 ト……ト……ト……ト……ト……ト……ト……ト……ト……ト……ト……ト……。


 しかし今度は姉の部屋で止まることなく、足音は近づいて来る。


 ト……ト……トン。


 止まったのは私の部屋の前。


 トン……トン……トン。


 ノックの音。


「…………ねえ、起きてる?」

「せっかくの連休だし、今日くらい夜更かししない?」


 姉だった。続いて母の声もする。

 私は安心して息を吐き出すと、布団を出ようとしてハッと身体を強張らせた。

 母も姉も時間に厳しい。基本的に私は夜の九時に寝るように言いつけられている。十時まではおまけしてくれることもあるけれど、それより先は絶対に許してくれなかった。そんな母たちが「今日は特別」なんて理由で、寝てるはずの私をわざわざ起こしにくるだろうか?


 そもそもどうして「開けて」なんて言うんだろう。

 鍵なんてついていないのに。

 お姉ちゃんなんていつもは勝手にはいってくるじゃないか。

 そう、今朝みたいに――。


 そこで私の心臓がきゅっと縮んだ。

 そうだ。どう考えてもおかしい。

 家族の誰もこんなことしない。

 なら、戸の向こうで母や姉と同じ声で呼びかけてくるアレは……。


 トン……トン……トン。


 ノックの音は続いている。

 私が黙ったままでいると、段々と音が大きくなっていく。


 ドン……ドン……ドン……。


「ねえ、ねえ、ねえ、起きてるんでしょ? 開けてよ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ」


 止まらない扉を叩く音の合間に姉と母によく似た何かの声がこだまする。

 ノックは今や殴りつけるようになって、扉を大きく震わせている。

 なのに家の誰も起きてくる様子はない。

 私は布団にくるまって耳と目を強く塞いだ。



…………目覚まし時計の音で目が覚めた。

 布団から顔を出すともう明るい。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 昨日のアレは夢だったのかな?

 雀の声とぼんやりとした朝日に包まれていると、あれほど怖い思いをした出来事も写りの悪いテレビを遠目に眺めているような、どこか他人事で曖昧になっていく。


(うん、きっとそうだ。お姉ちゃんがあんなことを言うからつられて変な夢を見ちゃったんだ)


 そう納得しかけて扉の方を見た時「ひゅ」と私は喉から変な音を出してしまった。


 例の布人形が床に転がっていた。

 昨晩は枕元の棚に置いてあったのを確かに覚えている。しかし今は、扉まであと一メートルもない位置に座り込んでいた。

 まるで、棚から下りて扉を開けに行く途中だったかのように――。


 昨日の姉の言葉が頭の中で反響する。


――人形を取り返しにきただけならいいけど、そうじゃなかったら、アンタどうなってもしらないよ。



 私は人形屋敷の玄関を見上げていた。

 胸にはしっかり布人形を抱いて。

 あれから一目散に部屋を出て、ここへやって来た。

「アレは絶対よくない」という姉の言葉と、もしこの人形に扉をあけられていたらと考えると、いてもたってもいられなかった。


 私は恐る恐る玄関へと近づくと取っ手に手を伸ばした。

 すると、ギィ……と木の軋む音が戸の向こうから聞こえた。

 硝子戸に顔を近づけると、うっすらと廊下の奥から何かが近づいてくるのが見える。 どうやら人のようだが、どこか様子がおかしい。


 ギィギィと床を踏みしめる間隔はゆっくりで、がくんがくんと上半身が大きく左右に揺れて歩き方もぎこちない。

 まるで大きな人形が慣れない足取りで歩いてくるような――そんなイメージが浮かんで血の気が引いた。

 そういえば、部屋の前までやって来た足音とリズムが全く同じじゃないか。


 人影はガクガクと揺れながら大きくなっていく。

 私は身動き一つもとれずにその様子に釘付けになっていた。


 カンッ――。


 甲高い音が驚くほど近くで響いて、私は我に返った。

 同時にそれが、三和土たたきへ降りたソイツの足音なのだと悟った。


「あ、あの! ごめんなさい! この人形返します!」


 私はそう叫ぶと、抱えていた布人形を玄関の戸の前において、全速力で逃げ出した。


「おかえりー。返してきた?」


 姉は、息も絶え絶えでこくこくと首を動かすだけの私を見て「そ」と軽く頷いたのだった。


 けっきょく、それ以降、あの奇妙な足音が私の部屋を訪れることはなかった。

 私が見た人影が何だったのかとか、その原因が本当に人形にあったのかとか、まったくわからない。


 人形屋敷はそれから一週間もたたずにあっさりと取り壊されてしまった。

 中にあった物も全部処分されたのだと思う。


 私はかつて玄関のあった場所に立って、体験したことをぼんやりと思い返す。


 あの時、扉が開かれていたらどうなったのだろうか?

 勝手に連れ出された人形を取り返しにきただけ? それならまだいいと思う。

 けれど、もし、人形を持って行った者を連れて行くのが目的だったとしたら――?


 玄関先に放り出すように置いてきた人形は、翌日にはなくなっていた。

 きっとあの時出てきたなにかが回収したのだと思う。


 けれど、もし――。

 嫌な予想をしかけて、私は振り切るように家へ駆け戻る。


 間違っても、誰か別の人が持って行ってしまったのでなければいいなあ。

 と、そう願うばかりだ。

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