第42話 手が

 笹畑ささはた亮二りょうじ は動画配信者だ。

 心霊スポットを巡った様子を動画にして配信している。

 笹畑がメインパーソナリティ。撮影と編集の戸川。現場のロケハンやスケジュール調整などの裏方をする増田。以上の三人でチャンネルを運営していた。


 コンセプトは『誰も知らない心霊スポット』。

 検索の上位に入るメジャーな場所ではなく、地元の人間だけが知っているような閉じられた心霊スポットを巡るのだ。

 チャンネル開設から半年、ちょうど三十回目となる撮影に選んだのは、中国地方某所にある廃旅館だった。


 深夜零時、レンタカーで現場の廃旅館へ乗りつける。

 人里から離れ、半ば樹木に埋もれたかけた建物は、これまで訪れた場所にはない迫力があった。

 これならいいが撮れると意気込んだのも束の間、入り口まできて増田が「ごめん、俺、無理だわ」と言い出した。


「え、何だよ急に」


 戸川が戸惑ったように問いかける。


「いや、すごく気持ち悪い。車に酔ったのかも」


 ライトに照らされた増田は真っ青な顔で鳩尾の辺りを抑えている。


「ずっと体調悪かったの?」

「車降りるまではどうもなかったんだけど。ここまで歩くうちにドッときて……」


 増田は人前に出るのが苦手だが、細かなことに気がつくため、宿の手配や予定組み、ロケハンをして現場に危険がないかの確認や、撮影の進行など裏方作業で頼りきりだった。

 初めての遠征に加え、今日も午前中に廃旅館の中を確認するために一人でここへ訪れている。

 いつも以上に疲れがたまっていてもおかしくはない。


「どうする?」


 戸川が笹畑をうかがう。


「中、危ない場所ある?」

「いや……」増田は息も絶え絶えに答える「外はこんなだけど、中はしっかりしてた。ただ、ところどころ割れた窓の破片とかが散らばってるから……」


 その位ならいつものことだ。笹畑は頷く。

 増田は現場の案内役のようなものだ。建物自体に注意する点がないなら、メインパーソナリティの笹畑と撮影役の戸川さえいれば問題ない。

 だが、ロケハンをしたスタッフが体調を崩したというのは、いいフックになる。

 戸川にカメラを回させて、増田を車まで連れて行く。

 後部座席に寝かせた増田の様子を撮影して、改めて笹畑と戸川は廃旅館へと入っていった。


「――中は思ったよりきれいですね。でも、雰囲気スゴイな……」


 笹畑が定期的にカメラへ視線を送りつつ実況をする。

 土足で入っているせいもあり、木造の廊下がぎしぎしと大きな音をたてる。

 建物の中は時が止まったように、当時の家具や調度品がそのまま残されていた。こうしたスポットにありがちな落書きや荒らされた様子がないのは随分と珍しく、それだけに異様だ。


「こういうトコ、よく出るって言うよね」


 今までにない雰囲気に圧倒されたのか、戸川が引きつった声でつぶやいた。

 玄関から近い部屋を順に回っていく。

 二つ目を調べ終え廊下に出た時、笹畑の表情が強張った。

 訝しげな戸川を「し、し、し、黙って、黙って」と制止し、静かに上を指差す。


 トン……トン……トン……トン……


「うそ、足音?」


 緊張した面持ちで戸川が囁く。

 家鳴りや野生動物のたてるものとは明らかに異なる音が、一定の間隔で頭上を移動していく。


「……先に誰かいたのかな?」

「いやでも、車とかなかったよ。中に誰かいたんなら、外から明かりくらい見えたでしょ」


 戸川が笹畑の疑問にブルブルと首を振ると、視線だけでどうするか問いかけてくる。

 そばには階段がある。足音は建物の奥へ向かっているようだ。


「…………行ってみよう。ライト消して。暗視モードあったよね?」


 カメラを暗闇で視えるモードに切り替え、戸川を先頭にして慎重に進んでいく。


 トン……トン……トン……トン……


 足音は依然同じ調子のまま奥へ移動している。

 二階に着くと、カメラだけを廊下に突き出し、音のする方へ向ける。

 ハンディカメラのモニタにはくっきりと人影が映し出されていた。

 たった一人で明かりもつけず、のろのろと建物の奥へ歩いていく。


 慎重に階下へ戻る。

 物音や声を聞かれてはマズい。

 一階に降りた二人はその場で撮った映像を確認する。


「うわ……マジか」


 戸川が呻く。


「いや、これ、人だろ。さすがに。こんなはっきり映んないって」

「それならそれでヤバいでしょ。こんなとこで明かりなしで何やってんのって話だよ」


 笹畑は戸川の指摘に口を噤む。

 どうする。増田の不調に謎の人影、これだけでも撮れ高は十分だと思う。しかし、肝心の旅館内のシーンが少ない。さすがに半分も回らずに撤収するのでは消化不良感が否めないのではないか。動画の再生時間としても、編集で引き延ばしても短い気がする。

 判断を下せずモニタを睨んでいると、 戸川が人影を差した。


「あれ、これ、増田君じゃない?」


 緑と黒で映し出された映像で画質も荒く色の判別も付けられないが、そう意識して見ると服装と背格好は増田のものと酷似している。

 仕込み、という単語が脳裏に浮かんだ。

 今回は笹畑たちのチャンネルの記念配信動画になる。増田が何かしらのサプライズを企画していたのだろうか。

 だが戸川は知らないと首を振る。


 増田の性格的に、誰にも相談せず何かをやろうとするとはどうも考えづらい。

 しかし、見れば見るほど映像の人影は増田のようだ。

 やはり仕込みで、体調不良も演技だったのだろうか?

 こっそり後をつけられていて、二人が客室の探索をしている間に二階へ上がった?

 もしくは体調が悪いのは本当で、回復したから合流しようと中へ入ったけれど、一階で二人を見つけられずに二階を探しているとか――


「上がろう」


 戸川に撮影の再開を促す。

 こうなったら確かめるしかない。


 階段に足をかけ「誰かいますかぁ?」わざと大きな声を出す。

 増田が笹畑たちに合流しようとして気づかず二階に上がっただけなら、何かリアクションがあるはず。

 人影が別人だったとしても同様だ。


 耳を澄ます。

 足音は止まる様子もなく、のろのろと廊下を奥へと目指している。


「すみませーん!」


 もう一度、大声を上げる。

 絶対に聞こえているはずだが、上階の音は何の反応も示さない。


「行こう、行こう」


 戸川を促して一気に階段を駆け上がる。

 ライトを廊下の奥へ向ける。

 人影が突き当りの部屋へ入っていくのが見えた。


「やっぱり、あれ増田君だ。服おんなじ」


 そう戸川に告げて、駆け足で増田の消えた部屋を目指す。

 やはり増田の仕込みだ。人影が得体のしれない第三者ではなかったと判明して、二人は勢いづいた。

 しかしその足取りもすぐに鈍ってしまう。


 本当に増田の仕込みだろうか。

 やはり大人しい性格の彼が自主的にサプライズを企画するのは違和感がある。


 疑念と不安が、染みのようにじわじわと広がっていく。


 建物の中はライトを消すと真っ暗だ。一度下見をしているとはいえ、明かりも点けずにまっすぐ廊下を歩けるものだろうか。

 それに足取りも不自然だ。あれだけゆっくり歩いているのに、上半身はピクリとも揺れていなかった。まるで天井から吊り下げられているように……。


 部屋に近づくほど空気が重くなっている気がする。

 ライトの光量が弱い。

 室内なのに霧が入り込んでいるんだろうか。

 体中がべとべとする。

 小さな虫がまとわりつくような不快さに、笹畑は何度も身体を手で払った。


 いつしか目的の部屋に着くころには、足音を殺してそろそろと歩いていた。

 半開きのドアに手をかける。


「増田君?…………増田君……」


 名を呼びながら室内へ足を踏み入れる。

 増田は部屋の中央に、こちらへ背を向けて立っていた。


「増田君、どうしたの?」


 増田がゆっくりと身体ごと振り向く。

 表情に生気はなく、目はうつろで視線が定まっていない。

 さらに声をかけようとした瞬間、戸川の悲鳴が背後から響き渡った。


 振り返ると、大きな足音をたてて逃げ出していく戸川の姿があった。

 反射的に追いかける。

 ふと、増田を置いて大丈夫かという心配が頭をよぎったが、あの戸川の様子ではこのまま一人で車を出しかねない。

 建物を出ると、案の定、車のエンジンをかけ今にも発進しようとしているところだった。


 そうはさせまいと助手席のドアを開け、半身を突っ込む。

 しかし戸川はお構いなしに車を出発させた。

 脚は外に投げ出されたままだ。靴の先がガリガリと地面をこする。

 スピードは緩まるどころかどんどん加速していく。

 振り落とされまいと必死に助手席にしがみつく笹畑の襟首を、戸川が空いた片腕で掴んで引きずり込んだ。


 どうにか背もたれに身体を埋め、ドアを閉める。

 息をつく暇もなく笹畑へカメラが投げ渡される。


「見ろ」

「それより、戻って増田君を――」

「いいから! 見ろってんだよ!」


 ヒステリックに叫ぶ戸川に圧倒され、カメラを再生モードに切り替える。

 指示に従い、二階の部屋に入る辺りを再生する。


 画面には笹畑の背中が映っていた。

『増田君?』

 声をかけつつ笹畑が部屋にゆっくりと入っていく。

 それを追うカメラのマイクがノイズを拾う。

 ァ――、ァ――、ァ――、ァ――、ァ――、

『…………増田クぅン…………』

 笹畑の声が不気味に歪む。

 ノイズはますます酷くなる。

 た――ァ――、ウ――、ェ――、――ア”、デ――ぇ――、

 カメラが増田の姿を捕らえる。

『まぁスだクン、どゥジ、じ、ジジジジジジジ――』

 音声はすでに自分のものだと判別できないほど乱れている。

 増田が不自然な体勢でこちらを振り返る。

 背筋を伸ばしたまま首だけを深くうなだれ、そこから頭上へ一本の縄がのびていた。

 こちらを虚ろな表情で見つめる増田の身体には、何者かが背後から抱きついているように二本の腕が絡みついて――


「……え? 何だよ、何だよこれ!?」


 目の当たりにしたものが理解できず、笹畑は悲鳴をあげる。


「わっかんねぇよ!」

「やばいって、何で増田くんあんなコトになってんだよ!?」

「だからわかんないんだって!」


 笹畑も戸川もパニックになって喚き続ける。

 しかし、増田の話題を上げつつも、決して背後を振り返ろうとしない。

 後ろには廃旅館がある。そして、二人があの旅館に入った時、増田は後部座席で寝ていたはずで――


――おい


 ひゅ、と二人は音をたてて言葉を失った。

 後部座席に誰かがいて、声をかけてきた。


――どこいくんだよ


 それは置いてきたはずの増田の声だった。

 戸川の甲高い、ヒステリックな悲鳴。

 車体が大きく左右に振れる。

 眼前に現れた電信柱が急速に迫ってきて――



   * * *



 全てを語り終え、笹畑亮二は深く息を吐いた。

 私は傍らで録画をしているカメラのモニタ越しに、彼を眺める。

 ベッドから半身を起こした彼は、首と右腕にギブスを巻き、顔にはガラス片でできた細かな切り傷が大量に走っている。

 見るだに痛々しい姿だ。


「貴重な話をありがとう」


 私はカメラを止め、帰り支度を始める。


「場所は〇〇県〇〇市の北の方です」

「〇〇旅館、ね。ネットで検索しても出てこない。よく見つけたね?」

「増田くんの友達がここの出身だったらしいんです」

「なるほど、本当に地元の人間しか知らない、ニッチなスポットだったわけだ」

「どうですか?」

「うん、とても興味深かった。今度、の方でも調べてみよう」


 そこまで聞いて、初めて笹畑は笑顔を見せた。

 傷によって引きれた歪な笑み。

 同じ境遇に陥れる獲物を見つけて喜んでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「配信されるの、楽しみにしてます」

「ああ」


 短く返事をして、私は席を立つ。


「そのカメラ――俺を撮ってたんですよね?」

「ああ」

「何か――映ってました?」

「何かって?」

「その――手とか」

「いいや、何も」


 安心したように息を吐き出す笹畑を尻目に、私は病室を後にした。

 病院から出ているバスに乗り込み、一番後ろの列に陣取る。


 彼らの乗っていた車は速度超過により電柱に激突し大破した。

 当然、事故の原因を追究されたのだが、聞いての通り荒唐無稽な内容である。信じる者は誰一人いなかった。

 唯一の記録だったカメラの映像は、事故による破損で消失してしまったらしい。

 だからこそ、私のようなにまで縋ったのだろう。


 笹畑のチャンネルについては、私も知っていた。

 着実に登録者数を伸ばしていた配信者で――上り調子の最中、何の前触れもなくチャンネルを停止したのだ。

 様々な憶測や噂が流れる中、彼から停止の理由と体験した出来事を教えると連絡が来て、私は二つ返事で飛びついた。

 しかし――


「これは……配信には使えんな」


 事故は最近起こったばかり。


 シートベルトをつけていなかった戸川とがわ泰治やすはるは、衝撃でフロントガラスを突き破り、頭から地面に叩きつけられ首の骨を折った。

 増田ますだ智樹ともきは、廃旅館の二階にある客室で、首を吊った姿で発見された。


 バスの車内に他の客が居ないことを確認し、先ほど撮った映像を再生する。

 画面には青白い顔の笹畑が映っている。


 私は嘘をついた。


『そのカメラ――俺を撮ってたんですよね?』

『ああ』

『何か――映ってました?』

『何かって?』

『その――手とか』

『いいや、何も』


 安心したように息を吐き出す笹畑。

 その身体には、まるで彼を逃がすまいとでもするように、細長い手が絡みついていた。

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