第37話 写真嫌い
「写真嫌いって、いるじゃない」
とある居酒屋の個室で、そんな風にYは切り出した。
彼はアマチュア劇団の座長で、つい先日二週間にわたる公演を終えたばかりだった。
最終日に観に行った私は、久しぶりに顔を合わせたこともあり、互いの近況報告と労いも兼ねて食事に誘ったのである。
注文した飲み物が来て、互いの杯を打ち合わせた直後の第一声である。
「なに、急に?」
「写真に写るのが嫌いってタイプ。ちょうど今回が初出演だった女の子がそれでさぁ」
私の疑問を無視して話を進めるY。どうやら、誰かに話したくて仕方がない話題のようだ。
劇団内のわだかまりの類ならうかつに団員に漏らすわけにいかないのだろうが、かといって部外者にするのもどうなのだ。
「いやいや、お前、怖い話好きじゃん」
「まあ」
「関係者に直接聞ける機会なんてほとんどないって、前にぼやいてたろ」
よく覚えている。
つまりはそういう話なのだと理解して、私はさっさと手のひらを返すことにした。
「写真撮られるの嫌いって、多いとは言わないけど、それなりにいるんじゃないか?」
かくいう私もそうだ。
昔から記念撮影などでカメラを向けられても、どういう表情やポーズをしていいのかわからず、棒立ちで半笑いの曖昧な顔になってしまう。
手元にある写真の私は、服装こそ違えどもすべて判で押したように同じ格好である。そういった機会の度にあたふたするのも面倒なので、いっそのこと、卒業アルバムの集合写真での欠席枠みたいに、適当な位置に後で顔写真だけ合成してくれないかな、なんて思っている。
少なくとも、個人的には自分が写っていなくても何も困らない。
「そりゃ、お前みたいに興味のあること以外は冷めててどうでもいいってヤツなら、まあいいんだけどさ」
「冷めてるっていうなや」
突っ込みつつも、飲み物を二つ注文する。
言う方も言われる方も、今さら慣れたものである。
「こっちからしたらパンフレット用の写真なんだから、写りたくありませんじゃすまないのよ」
ポスターやチラシであれば人物写真を使わずデザインやイラストを用いる場合もあるので、絶対に必要という訳でもないらしい。
「映画とか、プロや役者自体に固定のファンがついてるような大手の劇団なら、誰が出てるか一目でわかるから写真使った方がいいんだけどな。ウチは、ほら、ぶっちゃけ小さいし。でも、パンフは別な。そこでしっかり役者の名前と姿、役名を載せとくんだよ。そうしたらそれが名刺代わりになるから」
客には――ほとんどは団員の知り合いではあるが――演劇関係の人間も来ている。そうした面々が公演を企画し役者が必要になった際「あの劇団の、あの役やってた役者、今度の芝居にあうな。何て名前だっけ」というようにパンフレットから出演依頼につながる場合もあるのだと言う。
「もちろんそんなトントン拍子に行くことなんてほとんどないけどね。でも活動が広がる伏線というか、きっかけの一つにはなるんだよ。やっぱり人に知られてナンボだからさ」
だからパンフレット用の写真を撮ろうとして、その役者が撮影を拒否したために、やや揉めてしまったらしい。
「こっちとしてはさっき言ったみたいな意図もあるからさ。モブみたいな端役ならまあ最悪妥協もできたんだけどねぇ」
今回の公演の内容は群像劇で、主軸となる主人公以外にも均等に出番があり、それぞれの見せ場も用意されていた。
その中で一人だけ写真を掲載しないのでは、示しがつかないうえに変な勘繰りを招きかねない。
「だから結構時間をかけて事情を聴いて説得したんだよ」
「で、何だって?」
「後ろに誰か写るんだと」
「後ろに?」
「そ、写真を撮ると決まって、背後に写りこむらしい。しかも同じ人物が」
そう言ってYは私にスマホの画面を見せた。
そこには真っ白な壁を背にした二十代前半ぐらいの女性の姿があった。表情は笑顔ではあるがやや緊張が見てとれる。Yの公演のパンフレットで同じ画像が載っていたことを私は思い出した。
「この子が?」
「壁を背にしてれば誰も写り込みようがないだろって言って、ちょっと強引に撮ったんだ。一枚だけ。本当は何枚か撮って、本人にも写り具合を確認してもらって選ぶんだけど、絶対に見せないでくれって断られちゃってさ」
確かに、彼女の背後はすぐ壁で、何者かが間に入り込む余地はないように見える。よくある心霊写真よろしく、壁の模様が顔に見えるとか妙な光が入っているということもない。
じっと目を凝らしていると、Yが一点を差した。
画像の右上に窓が写っている。撮影時は夜だったようで、窓の向こうは真っ暗だ。
「ここに人影がある」
「うん……?」
スマホの画面を拡大してもらい、言われてようやくそうかもしれないと思える程度にうっすらと白い輪郭のようなものが見える。だがこれなら硝子に反射した光の可能性の方がずっと高い。
「あとで説明するけど、これ、確かに人だよ」
Yは、私の思考を読んで先に発言する。
「で、この部屋――稽古場で使ってる所だけど――は四階で、窓の外に人の立てるようなスペースはない」
そこでYは言葉を切って「こっから先、この話聞いたせいで何かあってもフォローできないけど、いい?」
私は頷いた。
さて、前置きがすっかり長くなってしまった。
件の女性――仮にAさんとする――が語った内容を以下に記す。
これはYからの又聞きではなく、彼が本人に許可を取った上で録音した内容をある程度整理し、文字におこしたものである。
* * *
――もう録ってます?…………そうですか。
例の写真、何か写ってました? …………ああ、なら、後ろが壁とか、隙間がなければ大丈夫なのかな?
あそこ、窓ありましたよね。そこ、見切れて写ってませんよね。
(Yが窓が写真に写り込んでいたこと、しかし外は暗く、何も見えなかったことを告げる)
うそ…………いえ、何もなかったならいいんです。パンフレットに載せる時は、窓のところ切っておいてください。
嫌です!……あ、ごめんなさい。確認はしないです。したくありません。変な顔になっててもそのまま使っていいですから。
……たぶん、きっかけは友達と行った肝試しなんです。
半年くらい前、かな。男友達の一人が、面白い場所見つけたから行こう、って言い出して。
山奥にある、神社でした。
男だけでドライブに行った時に途中で古い道を見かけて、面白半分でたどったら、その突き当りにあったそうです。
ちょうど大学も夏休みに入ったばかりで暇でしたし、友達に声かけて行くことになりました。
集まったのは六人で、車一台じゃムリだから、仕方なく私がもう一台出すことになっちゃって、二台で出発したんです。
場所は本当に山奥の奥でした。
途中の山道はぐねぐね曲がりくねってて、幅もなんとか車一台が通れるくらいで。時々すれ違う用に広くなってるスペースはあったけど、こっちは二台じゃないですか。避難スペースもそう頻繁にあるわけじゃないし、途中で対向車が来てバックすることになったらって、むしろこれから行く廃神社よりもそっちの方が不安でしたよ。
だから、先導する友達の車について行きながら「対向車こないで」って、ずっとぶつぶつ唱えてました。
雰囲気のためって夜に行ったんですけど、街灯もないから明かりは車のライトだけで、ゆっくりしか走れないんです。危なくて。
周りが背の高い木ばっかりだったから、昼間でも暗いんじゃないかな、あそこ。
ホント、なんでこんなトコ通ろうと思ったのって感じ。
神社へ通じてるっていう道は、すぐにわかりました。
そこだけ木がなくって、ぽっかりと山の奥まで空間が続いてるんです。
ただ、誰も使ってないから下は草だらけで、いいところ大きな獣道って感じでした。
えっ、て思ったのが、前を走ってる友達の車がそこに突っ込んでいったんですよ。
幅はあるから、枝にこすったりはしなさそうだったけど、さすがにためらいますよね。下は背の高い草が生えてて、車体が汚れるか細かい傷がつくかは絶対でしたもん。
けど、降りて行くには距離もわからないし、夏場に草むらを歩くのは嫌だし。
いっそのこと引き返そうかと思いましたけど、一緒に乗ってる友達が急かすもんだから、仕方なく私も車で入っていきました。
…………何であそこで帰らなかったんだろ。
舗装なんてされてないから運転は最悪でした。
注意しないとハンドルは微妙に取られるし、下からずっと音がするんですよ。
じゃりじゃり、ぱきぱき。
タイヤが石とか木とか踏んでるんでしょうけど、すごく気持ち悪くって。
草道って、通ったらそんなに音しないじゃないですか。かさかさ、とか、するする、ってくらいで。タイヤで踏んでる感じも、柔らかいっていうか。
でも、そこって、見た感じ草で覆われてるのに、砂利道でも通ってるみたいなんです。
じゃりじゃりぱきぱき、ってずっと何か潰してる振動が足元から響いてくるんです。
なんだか生き物の骨とかの上を通ってるみたいで……。
前の車が止まったから、ようやく着いたってわかって、ちょっとホッとしました。
あの獣道通ってる時間は五分もかかってなかったんでしょうけど、私は何十分も走ったくらいぐったりしちゃって。
正直、車で待ってたかったんですけど、一人で残るのも怖いじゃないですか。だから渋々一番後ろでついて行きました。
神社はとても小ぢんまりとしてました。
手前に草に埋もれた石段が三段――だったかな――あって。
そこを上がったら、鳥居があったっぽい跡がありました。そのすぐ先にはお稲荷さんとか狛犬とかが乗ってる台座みたいなのもあって。
ううん、上には何もなかった。台だけ。
多分、撤去しようとして途中でやめたんじゃないかな。
そんな雰囲気でした。
神社自体も小さくて。周りをまわって確認したわけじゃないけど、ワンルームの部屋と同じくらいしかなかったんじゃないかな。
お賽銭箱は上の格子部分がなくなってました。屋根からぶら下がってる大きな鈴もちぎれて落ちてて、見るからにボロボロで。
先頭の車のヘッドライトで照らしてたんだけど、建物も瓦がはがれてたり、柱や壁も色んな所に染みやささくれができてて、本当に不気味でした。
建物の中は、ライトの当たっている角度が悪いのか陰になって見えません。
友達の一人がスマホを構えて中を撮ろうとしました。
ピロン、とスマホのシャッター音が響いた瞬間、車のライトが消えたんです。
みんな驚いて、叫んだり悲鳴をあげたり。しばらくしてそれぞれが持っているスマホのライトを点けていきます。
ようやく落ち着きを取り戻した頃、さっき建物の中を撮影していた子が「何か聞こえない?」って言い出しました。
耳を澄ませてみると、確かに唸り声のようなものが聞こえます。
それはだんだん大きくなっていって、私たちに迫っているみたいでした。
境内の裏手を照らしていた一人が悲鳴をあげました。
その明かりの先には唸り声をあげながら、髪を振り乱し走ってくる白装束の女の人が。
みんなパニックになって逃げだしました。
全速力で車に乗り込んで、急いで発進させたんです。
切り返すスペースもないからバックですごいスピード出して。獣道を抜けて道路に出ても、しばらくはアクセル踏みっぱなしでした。
……あんな真っ暗な中、よく事故らなかったなぁって、今なら思います。
山を抜けて、街の明かりが遠くに見えた頃、後ろを走ってた友達の車がライトを上下に振って合図してきました。
ちょうどコンビニが見えたんで、そこに入りました。
さっきのことを話し合おうとしたんですけど、どうも噛み合わないんです。
私の車に乗ってた人たちはみんな怯えてるのに、もう一台の車に乗ってたグループはケロリとしてて。しかも、神社になんて行ってないって言い出して。
ふざけてるのかと思って、私の車のメンバーはみんな怒りました。でも、むこうは本当にわけがわからないって顔してて。
話を聞いてみたら、神社への脇道が全然見つけられなかったって言うんです。
それでしばらく山の中をぐるぐるしてたら、いつの間にか私たちの車がいなくなってたそうです。
電波状況が悪くて連絡もつかないから、いったん山を下りて連絡しなおそうとした時に、前方に私たちを見つけて合図した。っていうのが向こうの言い分でした。
悪ふざけで脅かしてるんだと思いましたよ。
でも、変なこともあったんです。
神社にいたらしい時間帯、誰も電話をかけてなかったし着信音もしなかったのに、私の車に乗ってた人たち全員に、男友達からの不在着信の履歴が残ってたり。
決定的だったのは、車です。私の車、山の中を走ったから車体の下に細かい傷がやっぱりついてたんです。隙間に草が挟まってたり、車内の床にも――靴についてたんでしょうね――葉っぱとか土がこぼれてました。
でも、それ、私たちの車だけで、彼らのはきれいだったんです。
とてもじゃないけど、汚れやゴミを取ったり、車を乗り替えたりしてる時間はありませんでした。
その後はみんな混乱して、変な雰囲気になったから、解散しました。
* * *
以降もAさんの話は続くが、肝心の「写真嫌い」な理由に近づくにつれ、時系列が前後したり同じことを繰り返したりと、本人の精神的な負担からか、書き起こすのは不可能な内容になってしまった。
やむを得ないが、かいつまんだ説明を以下に記す。
肝試しに行った友人たちとは疎遠になった。
Aさんたちを誘った男友達だが、件の神社を発見した際、社の壁に、中と外を問わず大量の藁人形が打ちつけられているのを目撃していたそうだ。そんな場所へ面白半分で肝試しに誘ったことが発覚し、それが彼らとの決裂の決定打となったらしい。
しばらくは何事もなかったが、ある日、Aさんの車に同乗していた友人から連絡があった。社の中を撮影していた子だ。
彼女は、あの夜から写真に変な女が写り込むようになり、撮る度にだんだんと近づいていると、Aさんに訴えてきた。しかし、それ以上は何を聞いても語らず、ただ一つの画像を送ってきて、それ以降連絡は取れなくなってしまう。
送られてきた画像は、例の神社を撮影したものだった。フラッシュにより格子の間から内部がはっきり見える。
そこにある人物が写り込んでいた。
髪を振り乱した、白装束の女。青白い顔で目の部分が爛々と光っている。
Aさんはその女性に見覚えがあった。
写真を撮った直後、境内裏から唸り声をあげて迫ってきた人物である。
そして――その日以降に撮ったAさんの写真にも、小さくではあるが確かに写り込んでいたのだ。
偶然や勘違いで済ませていたが、この画像と友人の言葉で、自分の身にも何かが起こっていると自覚したらしい。
何度もお払いをしたが解決せず、最後に相談した神主さんから「見るな」と忠告されたそうだ。
このご時世、自分がいくら避けても偶然誰かのカメラに写ってしまう可能性は否定できない。
だがそれによって怪異がAさんに近づくことはない。
なぜなら赤の他人のカメラではAさんが確認し、認識することができないからである。
本人に認められることで、ようやく一歩ずつ怪異は近寄ってこれるのだと。
だから万一写真を撮る必要があった場合、Aさんはそれを決して目視しないようにしているとのことだ。
* * *
Yの話と、Aさんの録音が終わり、私は深く息を吐いた。
なかなかに聞きごたえのある内容だった。
しかし、いまいち釈然としないものがある。
話の中で強調されている写真だが、一つも現物がないため実感がわかない。
それに、神社で撮影された人物。社の中にいたはずが、どうやって境内裏から瞬時に走り出てきたのか。まあ、これは本当の怪異だった、で片づけられるものではあるが。
私の表情を読んだのか、Yが再度スマホを差し出してきた。
そこには社の内部が格子越しに撮影されており、白装束の女性が写されている。
「Aにデータをもらった」と短く口にすると、画面をスワイプし、先ほどのパンフレットの元画像を表示した。
そのまま慣れた手つきで、画像の明るさをいじっていく。
「あっ!?」
思わず私は声をあげた。
Aさんの背後にある窓。画像が少しづつ明るくなるにつれて、そこに人の姿がくっきりと浮かびあがったのだ。
青白い表情の人物が、じっとAさんの方を見ている。
それは神社の写真と同じ人物のように思えた。
すっかり血の気が引いた私に、追い打ちをかけるようにYが囁いた。
「もう写真は見るなよ」
顔をあげると、どこか諦観した様子でYが肩をすくめる。
「今回の芝居、団員募集用に稽古風景の撮影とかしてたんだ。動画で。編集のために確認してたら、映ってた」
広報の人が自由に撮影する手持ちカメラを一台。稽古スペースで演じる役者たちと、演出をするYをそれぞれ撮るための固定カメラを二台用意していたそうだ。
そのYを映した固定カメラに、ソレはいた。
像がぼやけてはっきりと確認できないが、始めは団員の誰かだと思っていたらしい。だが別カメラに全員が映っている時も、ソイツは同じ場所に佇んでいたのだ。
やがて時間が経つごとにスローモーションのように人影は近づき、それが白装束を着ていると理解した瞬間、Yは映像を止めた。
別のスタッフに映像を確認してもらったが、別におかしなものは映ってないと言う。
しかし、Yが映像を見ると、ソイツは少しずつ近寄ってくる。
「俺はもう自分の写真とか動画を見るのは止めた」
立ち上がったYの背後に、女の影を見た気がして私は頭を振る。
「会計は済ましとくから」それだけ告げてYは店を後にした。
Yとはそれきり……ということもなく、今でも交流は続いている。
Aさんも役者から裏方へ転向したが、彼の劇団で活躍しているらしい。
だが、誰が取り決めたわけではないが、この件については一度も話題にしていない。
私にも特に目立った何かが起こるわけでもなく、変わらぬ日々を過ごしている。
ただ、カメラは、以前よりもさらに嫌いになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます