第36話 浜辺にて
友達と一緒に旅行に行った時のことです。
私たちはとある海岸沿いの旅館に泊まりました。
別にそこが観光名所だったから、というわけではありません。ただ、あるイベントに参加するにあたって会場周辺の宿が取れなかったので、仕方なく比較的近くで安い所を探しただけなのです。
晩ご飯を済ませた私たちは、あらかじめ買ってあったお菓子やお酒を手に、のんびりと雑談していました。
私は少し飲み過ぎたので、夜風に当たりに外へ出ました。
旅館の周辺に建物はなく、道路に沿ってたてられた街灯が点々と光っているだけです。
潮騒に誘われるように、私は道の脇にあるコンクリート造りの階段を下りました。
カツ、コツ、という固い音が砂浜に降りたとたんに、サク、サク、という軽いものに変わります。
海から流れてくる風が涼しくて、火照ったぼんやりとした頭のまま歩を進めました。
やがて体も頭も冷え、酔いもさめたことで、私はハッと我に返りました。
気がつけば周囲は真っ暗、下に目を凝らせば砂に微かに沈み込んだ自分の靴がやっと見える程度です。
振り返れば、随分と遠くに街灯の明かりが見えます。
海の方からは、闇の中からただ同じ間隔で寄せては返す波の音が淡々と続いています。
心細くなり、旅館へ戻ることにしました。
サク、サク、サク、サク、
足元もはっきり見えない浜辺を歩き、あと少しで街灯の明かりが届くころ、私は自分の足音に違和感を感じました。
どこか、音がダブってい聞こえるのです。
サ、サク、サ、サク、サ、サク――
後ろに蹴り上げた砂がそんな音をたてているのかとも思いましたが、注意して耳を澄ませると、そうではないと気づきました。
足音でした。私のそれにかぶさるように、もう一つ足音がするのです。
誰かがついて来ている。そう理解し、一気に沸き上がった走りだしたい衝動をぐっとこらえました。背後の人物を刺激しないよう、気づいたことを悟られないよう、慎重に、歩調を変えずに街灯のもとへと進みます。
一歩ごとに背後の足音は大きくなります。
どうやら、少しずつ迫ってきているようです。
目に涙をじんわりと滲ませながら、私はなかなかたどり着けない道路へと続く階段を見つめていました。
あと数歩で街灯の投げかける明かりに入るところまでたどり着いた時、突然強い光に照らされて立ち止まってしまいました。
「あー、いたいた」
友人たちが道路の上から私をスマホのライトで照らしています。
どうやら、食べ物がなくなったので、少し離れたところにあるコンビニへ買い出しに向かうついでに、私を探していたようです。
安心した私は、急いで背後を確認しました。
しかしそこには誰もいません。
あの時、確かに足音は私のすぐ真後ろ、息遣いすら聞こえるところまで近づいていました。友人たちに気づいてすぐに離れていったとしても、何の物音もたてずに姿を消すと言うのは到底不可能なはずです。
だけど友人たちは、浜にいたのは私一人だったと首を振ります。
酔っていたのだろうか、気のせいだったのだろうか、と腑に落ちないながらもようやく肩の力が抜けてため息とともに足元へ目を向けた時、血の気が一気に引きました。
砂浜にはくっきりと足跡が残っていました。
一つは階段から降りて、海へ向かっている一人分の足跡。
もう一つは、折り返し海から戻ってきた私の足跡。
そしてそれに被さるようにつけられた、複数の靴跡が……。
後日、一緒に旅行に行った友人の一人からこっそりと告げられたことがあります。
気のせいかもしれないけれど、と友人は前置きして口を開きました。
「あの時、アンタの後ろに誰かいたような気がしたんだよね」
ライトで照らされた私に向かって伸ばされた青白い手を見た気がする。
けれど手はすぐに引っ込み、明かりを向けても誰もいなかった。
だから多分気のせいだろう、と友人は笑いました。
しかし――
「でもまあ……あそこにはもう行かない方がいいかもね」
そう告げた友人の表情が、今でも忘れられません。
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