第33話 鏡うつしの夢

 アンティークの鏡を買った。

 裏面に花が描かれた、黒茶けた木製の卓上鏡だ。


 その日、夢を見た。

 何のことはない、家の中をただうろつくだけの夢。

 妙なことに、家の中は構造や家具の配置まで、すべてが鏡うつしのように反転していた。


 目が覚めると、机の上に置いた鏡が私を見ていた。


 次の日も、その次の日も、同じ夢を見た。

 夢の中はすべてが逆だった。

 物も、人も。


 驚いたことに、人は利き腕や体の特徴だけでなく、性格も反転していた。

 いつも私に無関心だったり、厳しかった人たちが、誰も彼も私に関心を持って優しくしてくれた。


 どうやら鏡を自分に向けて眠った時にだけ、鏡うつしの夢が見られるらしい。

 私はずっとその中にいたいと思うようになった。

 厭な現実から離れて、誰も彼もが優しい、夢の世界に、ずっと。


 薬を飲んだ。

 ずっと寝ていられるように。


 夢を見た。

 特に仲のいい子たちで集まって、笑いあってる夢。


 私たちはいつものように、とりとめのない話で盛り上がっていたけれど、中の一人が私を指してこう言った。


「あれ、利き手そっちだっけ?」


 私は何の気なしに「うん」と頷く。

 すると突然、周りのみんなから表情が消えた。

 うろたえる私に、能面のような顔をした彼ら彼女らが淡々と質問を浴びせかけてくる。

 なんてことはない、私なら答えられる簡単な質問。

 おずおずと私は答えていく。

 質問の度に周囲の輪が狭まっていく。

 すぐそばに立った女の子が、動物のようにクンクンと私を嗅ぎだした。


 夢の中でしないはずの臭いが鼻を突いた。

 すえた臭い。吸い込むだけで肺の中に、ドロドロに溶けた生ものが溜まるような、嫌な臭いだ。

 吐きそうになり、涙をこらえながら口をおさえる。

 質問は続いている。

 私は答えることができない。

 質問は怒号のように私に叩きつけられる。


 耳元で誰かが囁いた。

 竜巻のようにゴウゴウとした怒声の中、その声ははっきりと私に届いた。

 喉の奥で砂がこすれ合っているような、ざりざりと耳障りな声で――


「誰だお前」


 目が覚めると、私は病院のベットで大量の汗をかいて横になっていた。


 それ以来、私は鏡と夢を見るのが恐ろしくて仕方がない。

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