第26話 お化け屋敷
私が六歳のころ体験した話です。
私には一回り歳の離れた姉がいます。
姉の通っていた高校は、凝った文化祭を行うことで有名でした。
例えば「教室で出し物を行う場合、教室の面影を残さない」という暗黙の了解があり、喫茶店をするにも、壁紙を張り、窓枠や小道具を作り、まるでお菓子の家にいるような内装を作り上げるなど、学生たちの創意工夫が随所に凝らされていたのです。
姉のクラスの催しはお化け屋敷でした。ものすごいのができたと、しきりに姉が推すので、私は父に伴われて見に行くことになりました。
高校の廊下は、チラシが張られ、いろいろと飾り付けられていますが、私の通っている小学校とそんなに変わりません。父が言うには「この普段通りの廊下と、教室の中の変わり具合のギャップがスゴイ」らしいのですが、いまいちピンときません。
姉のクラスも何の飾り気のない教室の入り口前に、おどろおどろしい雰囲気で描かれた看板と制服姿のお兄さんが立っているだけです。
教室の中は通路が狭くなっているので、一人ずつ入ってほしいという事でした。
父は私に「一人ずつじゃないとダメなんだって。やめておくか」と言ってきました。
私は首を振ります。
「だいじょうぶ。ひとりでもへいき」
姉の自慢するお化け屋敷を見てみたかったですし、父が勝手に「小さいから無理だろう」と決めつけたことに対する子供らしい反発もありました。
父は私の態度に戸惑いつつ、どうすべきか迷っているようでしたが、受付のお兄さんに「中のスタッフに気をつけておくように言っておきますよ」と言われて、ようやく首を縦に振りました。
お兄さんはさっと教室の中に入り、すぐに出てくると父に向ってにっこり笑いかけました。それを受けて、父も安心した様子で頷き返します。
どうせ「小さな子が一人で来るから、見守ってあげて」とか指示をしたのでしょう。
そんなことする必要なんてないのに、と私は頬を軽く膨らせましたが、二人はそれを緊張していると勘違いしたのか「大丈夫だよ」「中はそんなに長くないからね」とか励ましてきます。
私はますますほっぺを膨らませて、さっさと行くとばかりに入り口の前に立ちました。
受付のお兄さんが引き戸に手をかけ、そのままの状態で私に向かって少し屈みます。
「二つだけ約束ね。途中でどうしても進めないと思ったら、両手をあげて。そうすればお兄さんの友達が助けに行くから」
私は口を尖らせます。そんなの必要ないもん。
お兄さんは軽く苦笑すると「あと――」声の調子を少し落としました。
「中に入ったら、絶対に後ろを振り向かないこと」
「どうして?」
お兄さんは答えず、意味ありげな笑みを浮かべたまま、引き戸を開けました。
戸の向こうには黒い布が垂れ下がっていて、促されるままにそれをくぐります。
中はとても暗く、かろうじて薄汚れた赤い絨毯の廊下がのびているらしいことがわかる程度です。背後でパタン、と戸が閉まると完全に真っ暗になってしまいました。さっきまで賑やかだった廊下の声や音も聞こえません。
突然の暗闇にどうすればいいかわからず立ち尽くしていると、
「――――」
後ろから声がしました。
びっくりして振り向きかけましたが、お兄さんの言葉を思い出して、ぐっとこらえます。
声は、ぽしょぽしょと
私が邪魔で進めないのかと横にずれてみましたが、声はその場で囁き続けています。
――もしかして、先に行けって言ってる?
両手を前にのばして、物にぶつからないようゆっくり歩きだします。
すると声もついてくるではありませんか。
――やっぱり、行けってことだったんだ。
そう思いはしましたが、後ろの人はどうやって私が進んだとわかったのでしょう。
どんなに目を凝らしても、自分の手すら見えません。足音を聞こうにも、柔らかい絨毯が音を消してしまいます。それなのに、この人は私の後ろをついてくるのです。一定の距離をつかず離れずぴったりと。ぽそぽそと途切れることなく、一人でずうっと何事かを囁きながら。
振り向いて声をかけたい衝動に駆られましたが、それはいけない気がして、私は前に進み続けました。
どれくらい歩いたのでしょう。
もう何十歩も何百歩もまっすぐ歩いているのに、出口にも壁にもつきません。
後ろのぽしょぽしょ声も変わらずついてきます。
疲れて立ち止まろうとした時、私はあることに気がつきました。
「――――」
「――――」
声が増えています。
いつの間にかもう一人、私の後ろについているのです。
二人は会話するでもなく、それぞれが独りでしゃべり続けています。
私は怖くなって、少し足を速めました。
背後の二人もついてきます。
行けども行けども、どこにもたどりつきません。
足も痛くなってきました。
けれど私は立ち止まることができなくなっていました。
「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」
「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」
「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」
「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」
「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」
私の背後には何十人とも思えるほどの声がいました。
一人また一人と増え続け、囁き声で空気が波打っているようです。
今では一歩踏み出すごとに増えている気さえします。
私はたまらなくなって、両手を頭の上に振り上げました。
――ぱしり
誰かに手を掴まれました。
「何してんの、アンタ?」
姉の声でした。
「ここ裏側よ。迷ったの?」
ぽしょぽしょ声の合唱の中でも、不思議と姉の声ははっきりと聞こえます。
驚きと安心で答えられないままでいると、姉はため息を一つついて「こっち」と私の手を引っ張りました。
私には相変わらず何も見えませんが、姉には私の姿も道もはっきり見えているようでした。
これで出られると胸をなでおろした瞬間、ぽしょぽしょ声たちが一斉に黙りました。
そして――
「いっしょにつれていけ」
耳元でとても低い声がしました。
――ぱちんっ
頭のすぐそばで鋭い音がしました。
「うるさい」
どうやら姉が“何か”をたたいたようでした。
それから彼女は何事もなかったかのように「行こう」と私の手を引きます。
しばらくして立ち止まると、カラカラ、という音をたてて暗闇の中にまっすぐ光が入りました。
「ほら、ここから出られるから」
「おねえちゃんは?」
見上げた姉はちょうど戸の陰にいて、
「アタシはやることあるもの」
ほらほら、と背中を押されて、お化け屋敷から出たのでした。
外では父が待っていました。
どうだった? と感想を聞かれて、あの中でのことをどう伝えればいいだろうと考えていると、受付のお兄さんが駆け寄ってきました。
「あれ、娘さん、今出てきましたよね?」
お兄さん曰く、中の人からいっこうに私が入って来ないので、どうしたのかと訊ねられたのだそうです。
私は、中の真っ暗な『裏側』にいて、姉に出口まで案内してもらったことを伝えました。
「あー、じゃあ、セットの後ろに迷い込んじゃったのかなぁ」
お兄さんは「ごめんね」と謝って、もう一度入ってもいいと勧めてくれましたが、私は断りました。もし同じ目にあったらと思うと、とてもそんな気分にはなれなかったのです。
その日の夜、食卓で文化祭の話題が出た時、不思議なことがありました。
私たちがお化け屋敷にいた時、姉はその場にいなかったと言うのです。
姉の友人が所属している部活の催しで人手が必要になり、急きょヘルプに入っていて、ほぼ一日そこにいたそうなのです。
父が、クラスメイトの女子を姉と間違えたんだろうと、結論づけましたが、
「シフトだと、その時間は受付も中のスタッフも男子しかいないはずなんだけどなぁ」
と姉は首をかしげていました。
真っ暗なお化け屋敷。
背後でぽしょぽしょと囁く人たち。
私を連れだしてくれた、いなかったはずの姉。
今でも不思議な、私の体験です。
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