05話.[仕方がなかった]

「……薄暗いと余計に苦しくなるなあ」


 早く家に帰ればいいのにしないでいた。

 雨の中、歩いて帰りたくないからやむのを待っている状態で。

 だけど時間が経過すればするほど酷くなっている気がして帰ろうとしたんだけど、


「きゃっ」


 雷が鳴って驚き、足を机の脚に引っ掛け、冷たい床にダイブするという結果になった。

 ……机云々は置いておいて、雷もあの頃のことを思い出すから勘弁してほしかった。

 あと、なんか凄く惨めな気持ちになってきて動く気にもならないという……。


「ぐぇ」

「あ、なんか踏んじまった」


 足音が聞こえてきたと思ったらその主は中嶋君だったらしい。

 普段はすぐに帰るのに珍しいこともあるものだ。

 まあ、すぐに帰っているのはこっちなんだけど。


「どうしたんだよ、なんかいつもの土井らしくないな」

「君こそ残ってどうしたのさ、大田さんは礼と帰っちゃったよ?」

「いいんだよ、本のことで話したいこともあるんだろ。それに大田は土井より遥かに強いから心配になるようなこともないしな」


 そう、あの子はとても強く、とても怖い。

 多分、私は嫌われていると思う。

 だけどみんなから好かれることなんて不可能だからこれでいい。

 一年生が終わるまで話し相手になってもらえればそれで十分だ。


「で? なんか最近は変だよな」

「もうなにも悩んでないよ」

「なにも悩んでいない人間が床に寝転ぶのか?」

「雨音とか雷の音とか得意なんだから問題ないよ」


 どかんと鳴っても問題なかった。

 先程のはいきなりすぎてああなっただけ。


「先に帰りなよ、雨がやむまで待つつもりなんだ」

「それなら無理だぞ、今日はこれから酷くなるばかりだからな」

「それにしてもすぐに帰っても意味ないから」


 いま完璧にひとりになると終わる、絶対に泣く。

 教室でのそれと家でのそれは違うんだ。

 外は色々気を張っているから耐えられるけど、安心できる家に入るとなくなってしまうから。


「駄目だ、また風邪を引かれてもあれだから帰るぞ」

「……どうせ気づかなかったくせに」


 腕を掴まれたらもうどうしようもないから構ってちゃんに付いて帰ることにした。

 もしかしたらひとりだと寂しいのかもしれない。

 ぷふふ、大きいのにそれだとしたら可愛いくていいじゃ、んっ!?


「危ねえだろ」

「あ、ありがとう」


 今日はなにかに足を引っ掛けて転ぶ日のようだ。

 制服を濡らしたくなかったから彼が支えてくれてありがたかった。

 ちゃんと立ってから再度お礼を言って家へ。


「心配だから飯を食って風呂に入るまで家にいる」

「やだなー、確かに大田さんよりは弱いけどそんなことされなくても、きゃあ!?」


 ……こ、これはあれかもしれない。

 もしかしたら既に老化が始まっているのかもしれない。

 そうでもなければここまで足を引っ掛けたりしないんだから。

 今度は彼も座っていたから床にダイブすることになった。


「いてて……」

「やっぱりらしくないぞ、そんなことこれまでなかっただろ」

「……なんか駄目なんだよね」


 あとこの十月ってやつが正に重なるんだ。

 十月、雨、そのふたりだけで落ち着かなくなる。


「土井――」

「ごめん、ちょっと待って」


 今度こそ涙が出てきてうつ伏せのままでいることしかできなかった。

 同情してもらいたいわけではないから隠し続けなければならない。

 だけど分かりやすく拭ったりしてもそれはそれで他者を巻き込むからできないと。

 なので今回もトイレと慌てて逃げ込むことでなんとか対応した。


「……泣くんじゃない、ばか」


 情けない顔を見せたら駄目だから笑顔になる練習をしてから出て。

 本当に帰ってくれる気配がないからご飯を作って食べた。

 今日は食べないみたいだったからひとりでだったけど。


「ほら、風呂に入ってこい、洗い物なら俺がしておいてやるから」

「いいよ、もう帰らないと雨がどんどん強くなるよ?」

「駄目だ、いいから行ってこい」


 不安になってくるからささっと入って出てきた。

 今日は誘惑してやろうとかそういう元気さがなかったからなにもしなかった。

 それで布団を敷いて、寝転んで。


「……今日はごめん、私のせいですぐに家に帰れないでさ」

「違うだろ、心配になるから俺が来ただけだ」

「でも、もう帰った方がいいよ、ご家族も心配するだろうから」

「そうだな、じゃあまた明日」

「うん、気をつけてね」


 すぐだと感じ悪いから数分が経過してから鍵を閉めて再度寝転んだ。

 なんか裏でこうしていると大田さんを裏切っているみたいで嫌だ。

 もちろん中嶋君の中になにもないのは分かっているけど、事実こうして時間を貰ってしまっていることになるんだから悪いことをしていることには変わらないし……。

 ……皆勤賞とかどうでもいいから明日は学校を休みたいぐらいだった。

 中嶋君といるのが無理だからって礼といるようになってもそれはそれで問題だ。

 あのふたりはお似合いなんだから、これまで通りを貫くのが一番だから。




 十一月になった。

 なんか礼が益々大田さんといるようになって複雑だった。

 横に中嶋君がいるのに大田さんもなんてことをしてくれているんだ!

 おかげでこっちがそわそわしてしまってやっていられないよ!


「礼、ちょっと空気を読んでよ」

「えっ!? なんか悪いことをしていたかなっ?」

「いや、悪いのは私だったよ」


 そう、彼は彼らしく大田さんと楽しんでいるだけ。

 大田さんもそう、彼女らしく彼と楽しんでいるだけだった。

 それに中嶋君がそう要求してきているわけではないんだから動くべきじゃない。

 それでもなんかもやもやするから廊下に移動。

 壮君もここ二週間ぐらい来ていないから落ち着くと言えば落ち着くんだけど……。


「よう」

「ばか、大田さんが取られちゃうよ?」

「別に俺のじゃないしな」


 すっかり渡り廊下のところで過ごすのが習慣となっていた。

 汚れるのを気にせずに座って、壁に背を預けると足も楽になっていい。


「意外とあの先輩のこと気に入っているみたいだな」

「それが少し意外だったんだよね、私は君のことを意識していると思っていたから」

「そうかねえ、実際はそんなことなかったってことの証明だろ」


 出た、少しでも不利になるとなにもなかったみたいな言い方をするパターン。

 私なんかがそうだから同じようにはなってほしくなかったのにな。

 だから相談してくれれば協力するのになにもしてこなかったからさ……。

 失ってから気づいたってもうなにもかも遅いんだぞっ。


「雨が降らなくなってからあっという間に戻ったよな、雨関連で嫌なことがあったのか?」

「……お葬式のときに雨だったからってだけだよ、なんか苦しくなるんだよね」

「じゃああれが苦しさを感じていたときの顔だったということか」

「そうだよ、君に言ってもどうにもならないから隠したけどね」


 彼だけではなく関わってくれている人間相手に言ったところで意味がない行為だった。

 いまのこれはしつこく聞かれると面倒くさいから吐いただけ。

 人間だからやっぱり面倒くさいことになってほしくないからね。

 どんな聖人だろうとそういう風に考えているんじゃないのかな。


「私はもやもやするんだよ、あれだけ露骨にアピールしあっていたふたりがいまはしていないことにさ」

「と言われてもな、俺が休み時間は突っ伏していることが多いことぐらい土井も知っているはずだからな」


 そりゃ目の前でされているんだから分かる。

 でも、それでも前までの大田さんであれば話しかけていたはずなんだ。

 彼もあの子に対してだけは敏感に反応していたから会話だって多かった。

 それがいまはどうだ、お互いに関係ないとばかりに過ごしている。


「礼が来ているからってなんか諦めて――」

「そんなのじゃない、勝手なこと言うなよ」


 私は何度同じ失敗を繰り返すのか。

 だけど彼も同じことを繰り返しているから別にいいかもしれない。

 そうやって離れるぐらいなら来るなよ。

 誰と仲良くしようが自由だけど、怖い顔をするぐらいなら寝ていればよかったんだ。

 自業自得とはいえむかつくからぎりぎりまで粘ってから戻った。

 その後も話しかけてくることはなかったけど、不必要なことだと片付けて放課後まで過ごして家に帰った。


「あーもう!」


 同じことを繰り返すなばか!

 余計なことは言わないとか言っておきながらすぐに破ってどうするんだ!

 自分にイライラする、とはいえ、これが自分なんだよなあと。

 こういうときに限って壮君も来てくれないから今日はもう寝てしまうことにした。

 一度ご飯を抜くことで罰みたいになっていいだろう。

 というか、先程お弁当を食べたせいでお腹も減ってないし。

 お風呂は朝にでも入ればいいからとにかくいまは寝てしまおう。

 で、五時ぐらいに起きてシャワーを浴びた。

 朝ご飯も食べずに七時半ぐらいに家を出て学校へ。


「あぁ……」

「うわ!? ……なんで今日はこんなに早いんだよ」


 なんだいなんだい、早く来たのになんで文句を言われなくちゃいけないんじゃ。

 お腹も減っている状態でこれはさすがに嫌だから逃げた。

 HRまでの時間をどこでどう過ごそうが自由だから問題ないし。


「消えたい……」


 そもそもなんのために学びに来ているんだ。

 社会に出たら一部以外はまるで役に立たないというのに。

 なんで残りの人生は働くことしかないのに生きているのか。

 が、死ぬ勇気なんかないからこれも意味ないんだけどね。


「いい場所だな、ここ」


 暗くて静かで私に向いている気がする。

 独り言を吐いても誰にも気にされないそんな場所。

 ただ、休み時間の度にここに来るのは現実的じゃない。

 そういうのもあって距離と雰囲気的に結構いい渡り廊下がいいのかもしれなかった。

 ある程度のところで教室に戻ったんだけど、


「……なに?」

「別に」


 目の前に私にとっての問題児がいることで一日中集中できなかったのだった。

 席替えとかこないかなあ。




「離れちまった……」


 急遽席替えとか変なことを言い出して別れてしまった。

 大田は廊下側の一番前で、土井は本当に中央って感じの場所。

 俺は窓際の最前列、どうしてこうなった。

 廊下側の後ろの方で三人仲良く会話できるのがよかったというのに。

 まあ、……土井的には離れられてよかったんだろうが。

 しかも大田は相変わらずあの先輩と仲良さそうに話しているしな。


「ど、土井」

「なに?」

「……あのさ」

「もう……なんなのさ、この前みたいに怖い顔をするぐらいなら他のところに行きなよ」


 いやでもこの前のは舐められていたようなものだ。

 先輩がいるからって諦めるとかそんなことするわけがない。

 ただ俺は楽しそうだから邪魔をしたくなかったというだけだ。

 もしこれがそうなら……まあ合っているのかもしれないがな。


「私は離れられてよかったよ、目の前に大きい子がいると板書も大変だから」


 ……こいつはまた自由に言ってくれるもんだ。

 前は思っていてもそういうことは言うべきじゃないとか言っていたぐらいなのに。

 別に嫌われてもそれは仕方がないが、流石にここまで真っ直ぐに言われると堪える。

 むかつくとかじゃなくて単純に悲しかった。


「はぁ……そんな顔をしないでよ」

「……ファミレスにでも行かないか?」

「分かった、分かったからその顔はやめて」


 やめてと言われても自分の顔は確認できるわけじゃない。

 それに顔が怖いと言ってくれたのは彼女だし、いまだってきっと似たような顔をしていると思うが。


「ごめん。余計なことを言っちゃう癖が直らないんだよ、もうあんなことを言わないようにするから殴ったりするのはやめて」


 俺のイメージ悪すぎだろ。

 それこそ四月から一緒にいるのになにも分かってくれてない。

 相手が嫌がっていることを嬉々としてやる人間じゃない。

 暴力なんて振るったことないし、これからもそれは同じだ。


「でも、本当にお似合いだと思うんだ、だから一生懸命になってほしいかなって」

「一方通行じゃ恋は駄目だろ」

「そうなんだけどさ」


 窓の向こうを見ているときの彼女の顔は本当に微妙だった。

 つまらない、寂しい、悲しい、そんな感情がごちゃ混ぜになっていて声もかけづらい。

 そのくせ、


「ん? どうしたの?」


 こっちを向いたときは柔らかい表情を浮かべるから分からなくなるんだ。

 どっちが彼女の本当の姿なのか、いつものそれは演じているだけなのか。

 そんなことをしなければならないぐらいの、所詮その程度の関係なのか。


「もう、そんなに見つめてもジュースはあげないよ?」

「はは、自分で注いでくるから問題ないよ」


 実は大田に話しかけるよりも早く土井とは話していたんだ。

 それこそ入学式の日からとなっている。

 柄にもなく緊張しまくっていてぶつかってしまったのがきっかけだった。

 そのときはまだもっと明るかったんだが……。

 飲み物を注いで戻ってきたらまたあの顔に戻っていて。


「土井、こっちに来いよ」

「え、なんで中嶋君の横に?」

「そっちにいさせると窓の向こうばかり見て話を聞いてくれなさそうだから」

「まあいいけど、だって寂しがり屋だもんね」


 断じてそんなことはないがなんでもいい。

 あの顔を見たくない、それこそなんか複雑な気持ちになるから。

 雨音を聞いて彼女がそうなるように、俺もまたそういうところで引っかかっていた。


「そういえば土井こそあの先輩はいいのか?」

「当たり前だよ、私達の間にはそれこそなにもないよ」


 まあ確かに衝突されただけか。

 まだ一ヶ月も経過していないわけだし、今回は大袈裟に言っているわけでもない。


「礼といられているときは安心できるけどね。あ、ちなみに君といるときはむかついたり、不安になったり、そわそわしたりするからうーんって感じ」

「……厳しいな」

「むかつくのとそわそわするのは本当、あと、この前言ったことも本当だから」


 彼女は結局先程と同じ顔で「優しくしてくれているだけで十分だよ」と言った。


「誰にでも言ってそうだよな」

「格好いいって? 言わないよ、礼には言ってないしね」

「壮さんには言ったんだろ」

「そりゃあね、だって初恋の相手なんだから。だけど、初恋なんか叶わないっていうのは自分のそれでよく分かったよ」


 これもまた大袈裟ではないなと。

 俺も初めて恋をした相手に振られて終わった経験があるから気持ちは分かる。

 どうでもよくなってしまうぐらいの負のダメージがある。

 だけどいまならあれがあったからこそ強くなれたと言えるわけだから無駄ではないんだ。


「つかそれ、初めて聞いたんだけど」

「こんな話をされても困るでしょ、礼だってたまたま聞いただけだからね」


 俺だって話していないんだからこれは間違った質問だった。

 なんとも言えない気持ちを飲み物でどこかに吹き飛ばした。


「私、優しくされるとすぐに惚れちゃうんだよね、だから君も被害に遭いたくないなら離れておいた方がいいよ」

「仮にそうなっても俺が俺らしく対応すれば問題ないだろ」


 彼女はこっちの左腕を突いて「酷いね、苦しめって言うんだ」と。

 

「そうは言ってねえよ」

「だって君は私のことが嫌いだもんね」

「は? おい――」

「あ、電話だ、ちょっと出てくるね」


 ……寧ろ嫌いなのはそっちだろ。

 そうでもなければむかつくとか思ったりはしない、言ったりはしない。

 つかそれに関しては俺の方がむかついているんだけどな。

 最近の土井は弱々しい感じがして見ておいてやらなければならないって……。

 ……これはむかついているのか? と自問自答をした。


「壮君が来るみたいだからもう帰るよ、お金はこれ、不快な気持ちにさせたから君の分も置いておくからさ」


 このままだとあれだから沢山飲んで帰ることにした。

 気に入らねえ、あのつまらなさそうな顔も、自嘲気味な顔も。

 こっちに向ける柔らかい感じのそれも嘘なんじゃないかと思えてくるから。

 だからやっぱり……気になってしまって仕方がなかった。

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