第1章:出会い

第1話:登校日のすれ違い

「ユウトさん……乗ってないや」


 コロナのせいで遅れて始まった夏休み。なんかいまいち夏って感じがしないまま、あっという間に登校日になった。もうちょっとで八月も終わり。ユウト先輩も、長いこと会ってない。


「もう一本前に乗ったかな」


 もしかして先輩に会うかもと思って、がんばって駅まで歩いたのに。本当は、バスのほうが近道なんだけどな。


 借りてる本、できれば学校じゃなくて電車の中、他の生徒が見てないところで返しておきたかった。


 駅を出ると、外はすっかり蒸し暑い。学校が近づくにつれ、制服姿が増えてきた。みんな律儀にマスクして、照りつける陽射しの中を黙々と歩いている。


「カナ~!」


 後ろから呼び止められる。ナギちゃんの声だ。


「おお、ナギちゃん、ひっさしぶり!」


 ナギちゃんとは二年になってクラスが別れちゃったけど、学校が四月早々オンライン授業に切り替わったので、あんまり実感がわかない。夏休みでもほとんど毎日ラインかネトゲで話してるから、なおさらだ。


「昨日ぶりだねぇ。にしても、カナ、電車で来るなんて、めずらしい」


 たしかに、ナギちゃんと登校が一緒になることは普通ない。


「そうかな」

「あ! ひょっとして、ユウトさんねらいか?」

「いや、ねらってねえし」

「でも、先輩、今日もアニ同、顔出すんでしょ? 登校日、三年は関係ないのに」

「なんか、担任と話があるみたい」


 ナギちゃんはアニメーション同好会、略してアニ同の仲間でもある。昨年度の同好会長を務めたユウト先輩の後を継いで、着任早々、顧問の先生にBL予算なるものを認めさせた、なかなかの大物だ。


「てゆうか、カナに会いに、だよね」

「ちげーよ。お互い借りてた本、返すだけ」

「ああ、そっかぁ!」

「?」

「わざわざァ、受験勉強のォ、合間をぬってェ。カワイイ後輩のォ、奥菜おきなのォ、ためにィ!」


 なんだ、それ。


「いや、そうゆうの、いいから。暑苦しいよ」

「松谷先ぱぁい! こ、これ、お借りしてた本ですぅ!」


 ナギちゃんはかまわず、目を輝かせながら、妄想を展開し始めた。


「ああ、奥菜。ありがとう。気に入ってくれたかい? ―― ええ、とっても! ワタシぃ、もうすっごく感動してぇ、最終回なんか号泣しちゃいましたぁ」

「いや、『完全版〈宇宙艦隊ギルボア〉詳細設定集』で感動しねえし、泣かねえだろ。てゆうか、誰だよ、それ。『松谷先輩』なんて呼んだことないし」

「えー、そんなもん貸してたの? ユウトさん、色気ねえなぁ。知ってたけど」

「だから、言ってんじゃん」


     ◇


 ユウト先輩は、『ギルボア』のことを話し出すと何時間でも止まらなくなる、自他ともに認める筋金入りのボア・オタだ。ディープなファンしか覚えてないディテールまで、相手が誰であろうと容赦なく語り続ける。しかも、ギルボア・シリーズは第一作以外認めないというファースト原理主義者。


 私たちが入学してすぐ、ギルボア・ファンを自称する同じ代の子を三日でやめさせた実績もある。アニ同会員にとっては、ちょっとイタい先輩だ。


「あの電話帳みたいな本だよね? ユウトさんのバイブルなんじゃない」


 バイブルなのかどうかは知らないけど、まあ、大切にしてる本らしいことはたしかだ。あちこちのページに付箋とか、メモとか、いっぱいついていた。


 私の貸したマンガは布教用で、新品同然だったけど、ユウト先輩のは、なんというか、もっとガチな想いをムダに詰め込んだ感のある一冊だった。


「重いな。いろんな意味で」


 八月入ってすぐ、そろそろお返ししたいってラインしたら、今は忙しいって返事が来た。


〈ゴメン、最近ちょっと立て込んでて。まだ借りたマンガも読み終わってない〉

〈あ、全然、いつでもいいです〉


 好みははっきりしてるけど、先輩、マンガでもラノベでも読むのは速い人だった。でも、さすが受験生になると、多忙なのね。ユウトさん、なにげに成績もいいんだよな。東京のけっこういい大学を目指してるっぽいし。


〈奥菜は読み終わった?〉

〈はい! 面白かったです!〉


 ほんとはまだ全部は読んでない。けど、そう言ったら、返すのがもっと遅れそうな気がした。


〈八月の登校日あるよね。そんときでいいよ〉

〈先輩も登校日?〉

〈三年だから、違うけど。担任と話したいことあるんで、学校行く〉

〈あ、はい。じゃあ、会室で〉

〈ついでに、奥菜に見せたいものもある〉


 実は私、まだこのやりとりの時点では『ギルボア』をちゃんと観たことがなく、なかなか観る気にもならなかった。ほかに気になってる新作アニメがいろいろあって、全四十三話の古典的作品に腰をすえて取りかかる気が起きなかったせいだろう。


 翌日、ほとんど宿題を片づけるみたいな覚悟で、私はおそるおそる『ギルボア』の視聴を開始したのだった。


 でも、観始めたら、一気に観た。観終わって、すぐナギちゃんにラインした。


〈ボア、初視聴。おもれえ!〉

〈マジ? 観たことなかったの?〉

〈うちらの親だってリアルタイムで観てないよ?〉

〈アニオタのたしなみ〉

〈腐女子にたしなみ言われてもなぁ〉

〈ユウトさんに報告した?〉

〈できるか! 怖いわ〉

御意ぎょい


 『ギルボア』ファーストに、オタクたちの定番ネタが満載なのは知ってたけど、おお、これが元ネタかぁ、といちいち確認できたのも面白かった。でも、そんなところで感心してたら、ユウトさん、がっかりするだろうな。かといって、まともな感想書くと、その後のリアクションがいろいろ面倒くさそうだ。


 それと、勉強の邪魔になったら悪いなっていうのも、ちょっとだけあった。


     ◇


〈会室にいます。今日、来ますよね?〉


 既読はつかないままだ。


 ナギちゃんは、「私、空気読む女だから、先帰るわ」と謎の言葉とともに会室を出ていった。一人っきり取り残され、手持ちぶさたになった私は、『完全版〈宇宙艦隊ギルボア〉詳細設定集』を読むでもなく、なんとなくページをめくっていた。


 キャラクターデザインやメカニックデザインの原画や設定資料が網羅され、企画の前史やら、監督のロングインタビューやらが満載だ。大きなキャプションで熱いセリフを配した、名場面ダイジェスト集もある。


 うん、『ギルボア』、面白かったな。それはそう思う。


 でも、こうして設定資料を眺めていると、あれほどたくさん出てくる兵器の名前をほとんど覚えてないことに気づく。興味ないことってほんと頭に残らないよねぇ。われながら、わかりやすいわ。いろんなキャラの模写してきたけど、こういうメカってほとんど描いたこともないしなぁ。


 それにしても遅い。まだ担任と話してるのかな。既読つかないってことはその可能性高いかも。どうしよう。本持って帰るの、重すぎるから嫌だ。鍵がかかるとはいえ、会室に置きっぱなしで帰るわけにもいかないし……。


 しょうがない。ってことで、ひとまず職員室行ってみた。三年A組の担任って生駒いこまだっけ。


「あの、生駒先生、いらっしゃいますか?」


 職員室にぽつりぽつりと座っている先生たちは首を振った。そうですか、失礼しました。まさか、教室? うーん。進路相談とかなら、あるか。とにかく、行ってみよう。


 でも、三年生の教室が並ぶ廊下は、ガラーンとしていた。いつの間にか外は暗くなり始めている。まだ三時をまわったところだけど、そうか、予報は雨だったっけ。


 一番奥にあるA組の教室まで歩いて、中をのぞいてみたけど、誰もいない。電気も消えたままだった。


「どゆこと、これ?」


 やむをえん。最終手段だ。電話かけてみよう。そういえば、文化祭以来だな、直接かけるの。


〈おかけになった電話は、電波の届かない場所にある、または電源が入っていないため、かかりません〉


 絶句。


 ユウトさん、忘れてやがる! 裏切られた!

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