第 30話 5日目 姫

あ。これ駄目なやつ、の電話が鳴っている。ダメ父からの電話だ。


「はい」


と電話に出ると、


「姫ちゃぁん、黒猫ちゃんそこにいる ? いたら伝言して欲しいんだけど、筒を抜きたいから、今日建物の中に来てって、言っといてね」


相変わらず能天気な声と物言いにイラッとしたが、わたしが何か言うより早く電話は切れた。


こちらから電話し直すのも嫌だし、とりあえずはパンダ君の部屋のゲンに伝言しに行くとしよう。今日結城さんは午前中ぐらいで済むとは言ったが休日出勤に出ていったし、あまり父親と関わりたくないがそのぐらいは仕方ない。


パンダ君の部屋をノックすると扉が空き、上からはパンダ君が下からはゲンが顔を出した。用事があるのは下なのでパンダ君を無視する形でゲンに話しかける。


「連絡あったんだけど」


誰からとは言わない。


「筒を抜くから今日来いって言ってるけど。結城さん仕事でいないんだよね。どうしよう 」


「ありがとうございます。ご心配には及びません。わたくし 1人で参りますので」


「あ。じゃあ、送ってく」


パンダ君がすぐに動こうとするので


「送るのはわたし」


ひょいっとゲンを抱き上げて逃げ出す。


「俺も行きますって」


慌ててパンダも走ってくる。ペットを取り合う姉弟みたいだ。いや、師弟かな。


私の車で建物の前までゲンを送っていくと、妖気漂う建物は前と変わらなかったけどポヨンとした黒丸はなくなっていた。誰か片付けたのだろうか。それともダークマターの自己修復 ?


「それでは行ってきますので」


車からストッと地面に降り立って瞳をきらめかせながらこちらを見上げ、そして駆けて行くゲン。


建物の扉は閉まっているがこちらが心配するより早く、ゲンのしっぽが分岐してミョインッっと伸び、押し開けて入っていった。そうだった。猫又だった。このまま帰るのもなあ。ゲンもすぐ済むかもしれないし。梅雨が明けたとは聞いていないが綺麗な青空で、


「お茶してく ? 」


と気取った感じで休憩所に誘えば、


「いいですねえ」


と誘いに乗るパンダ。

いつものインスタントコーヒーを入れていつもの席に着く。


「昨日、わたしがゲンと遊んでる間に、結城さんと何か話した ? 」


別に尋問するつもりは無いんだけどちょっと気になる。男同士の話ならいいけど、もしわたしが関わる話なら知っておきたいよね ?

パンダ君はちょっと考えて、


「結城さんの恋人だった人の話を聞きました」


とだけ言った。その話なら知ってるよ ? でも結城さんの事だから相手の女性ひとの事を、悪くは言ってないでしょう。


透桜子とおこさんの話でしょう ? 」


「名前は言っていませんでした」


「結城さんが、どんなに自分のことを好きか、他の女になびかないかを上から目線で動画に撮ったお花畑さんでしょう ? 」


自分でも辛辣だと思う。最初は美男美女で、なんてお似合いの2人なんだろうとわたしも祝福していたし。お姉さん呼びして懐いてたこともあった。


「いい人だったよ ? 普通にいい人で綺麗で頭が良くて仕事も出来て相手なんか選り取りみどりだったから今はもう違う人と結婚してるんじゃない ? でもさあ、自分が仕出かした事なんだから周りを巻き込まないで 欲しいよね。すっごく責められて結城さん可哀想だった。あと、それやらかす前からわたしは嫌いになってた。愚痴が多いのよ、この人。毎回毎回同じことよく愚痴れるよね。結城さんはやさしいからちゃんと付き合って慰めたりしていたけど、大事な人だったらゴミ箱扱いにしないでって腹立たしく思ってた ! 」


パンダ君に関係ないことを叩き付けて話す。パンダ君は自分が叱られているみたいに首をすくめたが、


「結城さんは、なんで許せないんだろうって話していたんだけど、そういうことだったんじゃないかな。色んな事が積み重なって。気が付かないほど小さな事が積み重なった後のとどめだったんじゃ」


「そう、その通り ! 」


いやん。分かってくれて嬉しい。傷が付いた強化ガラスが一気に細かく弾け飛ぶように割れる、そんな現象が結城さんの心の中でも起きたのだろうか。


「別れてすぐ家を建てて、その 1年後ぐらいにわたしが引きこもりになっちゃって、結城さん大変だったと思うけど、本当に大変だったと思うけど、心の傷なんて見ようとしてくれない人にはまるっきり見えないんだから酷かったよ。周りに色々言われて。結城さんだって、まだ立ち直って無かったと思う。でもね、わたしの事を優先するあまり今まで自分の事に向き合う事が出来なかったんじゃないかと思う」


だから。私の事だけじゃなく、結城さんの話相手になってくれて嬉しい。と言おうとしたのに。


2人で顔を見合せた。言葉は発さず聞き耳を立てて。


「ゲンが鳴いた ? 」


「ゲンの心の悲鳴が聞こえた ? 」


嫌な予感に建物の前まで走って行く。いつの間にか、妖気漂わない普通に見える建物になっていた。でも油断大敵だ。


「ろくでなしが何かしたのかもしれない。ゲンがいないと中に入れないし。いや、入れはするのか……」


中に入って様子だけでも見てこようかと悩むわたしに、


「俺とナギと結城さんを、ゲンが『くのいち』で繋いでいる糸みたいなのが見えるんだよね。ちょっと引っ張ってみる」


と言い出すパンダ君。


右手をかざしてポーズを決めるのでしばし待ってみた。


「うううううう」


唸り出したので頑張れと思ったのに


「うう上手く出来ん」


「阿呆かぁ ! 」


思わず膝の裏を蹴ってしまった。




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