第19話 2日目 カブト
俺は今、ナギの過去の学校の思い出に入り込んで、意識が曖昧になっているぼやけた廊下の隅で出番を待っているところである。
久しぶりの学ランが少し恥ずかしい。ゲンが言うには現在の俺をちょっと小さくして結城さんを30パーセント混ぜたそうなので、今の姿がどうなっているのか気にはなるが、それ以上に出ていくタイミングを外さないように気を張っている。
先程トイレに行ったナギがパタパタと帰ってきた。まだ数人の出入りがある教室の扉から中に入ろうとしたナギの動きが止まる。
中からはっきりとした声が聞こえてくる。
「いいよ、一緒に行こう。今度の日曜日にね。でもいいの ? 姫ちゃん一緒じゃなくて」
「やだあ。いつも一緒にいるからって、仲良しとはかぎらないよ」
例の、言葉だ。
ざああっと廊下が灰色になる。
「今です、華武人様 ! 」
ゲンの声が聞こえる。固まって動かないナギの元に駆け寄り、肩をたたく。
「大丈夫 ? 」
振り仰いで俺の目を見つめるナギの大きな目には表面張力で張り付いている満々とした涙が。少し前まで小学生だったあどけない顔。今現在のナギより遥かにか弱く頼りないその姿に心臓が石になってしまって何も言えなくなった。イメージトレーニングしていた動きは出せず、用意していた言葉も出ない。
見つめ合うこと数秒、
「はい、カット ! 」
ゲンの声が聞こえて場がフラットになる。1場面が終了した。
「ごめん、俺上手く出来なかった ! やり直し出来ない ? 」
俺の焦った声に、
「上出来」
「……よねえ ? 」
ナギとゲンはOKを出す。
「俺……何も出来なかった」
「やだよ。演技なんか必要ないんだって。次行こ」
「はあい。次は例の誠様登場ですね」
「なんかゲン、ノリノリじゃない ? 」
俺の突っ込みに、
「だって。ずうーっと人間を勉強し観察し続けて、あなた達 2人と『くのいち』で繋がったのがやっと手を繋いだようなもので、今のこの状態はハグとか、撫でくりまわしている様なものだから、楽しいのですよう !」
そうですか……と、俺は何にも言えなくなる。姿は見えないが、精神体のゲンが周りに満ち満ちているんだろうな。
まあ、ナギがいいなら次いっていいんだけど。
「次の場面も、すれ違いざまに一言でいいんですからね」
「ゲン、分かっているじゃん」
「では、始めますよ」
ナギは思い出すために目をつぶり集中する。ナギの周りから世界が生まれていく。先程とは違う廊下が出来、壁が出来、扉が出来る。
「だからね、姫ちゃんがいじめられてるんだから、学校側はほっといちゃ駄目でしょ。いずみちゃん呼んで ? 仲良しだから」
ナギ父の声だ。
「ですからお父さん、お話を聞きますから、こちらの個室の方へ」
「教室行った方が早くない ? あれ、何組だっけ ……」
「騒ぎを大きくしないでください。生徒全員が不安になります」
「そうやって無かった事にするのお ? 」
「そうでは無くてですね、ちゃんと話を聞きますから、座って、じっくりと話を」
「ああ、そうだ。確か 1組だったよ。どっちだろう」
「お父さん、動かないで、もう授業始まるんです」
自由奔放に喋り、動こうとするナギ父を何とか押しとどめようと苦労しながら、幾人かの教師が廊下の先で人垣を作っている。
「教室に入れー」
と言われながらもまだ何人もの生徒が興味深げに騒ぎを見つめている。
ナギはと見ると、父親の背中を見つめている。石を投げつけそうな目つきで。
そしてそのナギの姿をヒソヒソくすくすしながら見ている子達もいる。
「変な人学校に来たね」
「姫ちゃんのお父さんなんだって」
「出た ! 姫ちゃん ! 」
ケラケラケラ。嘲る笑い声。
そして教室へかけていく。
それから、後からとぼとぼと教室へ入ろうとしたナギの目の前でわざわざ扉を閉めた。
悔しそうに唇を噛み締めるナギの横顔が見える。
俺は人通りのなくなった廊下を歩き、ナギに近付くと後ろを通り過ぎながら、
「気にする事ないよ」
と、声をかけた。ゲンに言われた通りに。
ハッとして見つめてくるナギの視線を背中に感じつつ歩き続ける。
「はあい、カットー ! 」
ゲンの声と共に今度は現実に戻った。結城さんの待つリビングである。
「思ったよりも早かったね。10分程しか経っていないよ」
結城さんが腕時計で時間を確認して言った。
「気分は大丈夫 ? 」
ナギと俺は椅子を向かい合わせに近付けて座っていたが、
「なんかこれ、すごいかも」
ナギが晴れやかな顔で言う。
「わたし、思った以上に辛かったみたい。13年も前の事なのに。13年だよ、うわ。執念深いのかな、わたしって」
「あんなんで、本当に良かった? 役に立った気がしないんだけど」
セリフ、2つしかないし。
「ちゃんと、心が軽くなっているから大丈夫。ありがとパンダ君。ねえ、もう1つのトラウマの方もどうにかなるかな ? 」
希望に満ちた表情のナギだったが、
「いや、辞めた方がいい。危険度が違う」
結城さんが止める。
「そちらは夜にはやらない方がいいですね。今日はここまでで」
と、ゲンも待ったを掛けた。
「まあ……そうだね」
ナギも納得して、
「じゃあ結城さんお風呂に入って来て」
と、ナギに言われた結城さんが、
「華武人君、先に入らなくていいかい」
と聞いてきたがすかさずナギが遮る。
「パンダ君、意外に長風呂だよ」
意外にってなんだよとは思ったが、確かにここのお風呂気持ちいいので長風呂かも。
「お先、どうぞです」
「じゃあ」
と、結城さんはリビングから出ていった。
俺は先程の反省を1人でしながら膝の上に乗っているゲンのお腹の下に手を入れて持ち上げ、離し、持ち上げ、離しを繰り返す。
くたーんくたーんと遊んでいると、
「それ、面白いの ? 」
とナギが近付いて来て聞くので、
「手触りとか重さとか、ほぼ猫なのにほんのちょっと金属が混ざる感じが癖になるんですよ」
と答えると、
「そう」
と言いながらすっとボールペンを空いている左手の中指と薬指の間に差し込んできた。そしてそのまま握りこんでくる。
「あだだだだだだだだ」
痛くて、拳法の達人のような声が出てしまう。
「わたし、泣いて無いから」
え ?
「人前で泣いたことないから」
先程の中学の思い出の中の話だと理解してこくこく頷くと、やっと開放された。
「今日はありがとう。カッコよかったよ」
暴力No ! という前に素直な笑顔を出されて何も言えなくなった。
結城さんがいない隙を見計らってやるんだから酷いよなあ、と思いつつ、結城さんよりも素顔に近いナギを見ているような気がして複雑だった。
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