第7話 1日目 カブト

 建物に入ってすぐ、俺はそこにあった引き出しに躓いた。

 泥棒でもここまでは荒らさないだろう。台風が吹き荒れたようだ。


 問題は普通の空間では無かった事だ。

 つまずいて空中に投げ出された時に最初の重力移動が来た。

 突然背中から落ちる感覚に驚いて身体を丸めると反動で前転した。

 しかも次々に重力変化が起きるから、胎児みたいに丸まったまま空中でくるくる回る羽目になった。時間にして3、4秒だったと思う。


「何遊んでんのよ」


 と、ナギが紐をひっぱったので、ようやく落ちることが出来た。傍から見たらくるくる回っていただけだろうが、俺からするとずっと背中から落ちる感覚だったのである。


 どすんと落ちた背中の痛みよりも、


「おぢっ」

「おぢづづ」

「おちづづげっ」


 落ち続けていた。と、いいたかったのだが、パニクりまくっていた為に言い切ることが出来ない。


 しかもナギが合間合間に


「落ちつけ〜落ちつけ〜」


 というものだから、とうとうゲシュタルト崩壊を起こし


「おちけついたい」


 という始末。


 そしてまた反転。立ち直る前に目の前に迫る壁にもう無我の境地に陥っていた。


 痛くない。また浮いているのかと思っていつの間にか閉じていた目を開くとすぐ目の前が壁だった。


 どういう事かと体を起き上がらせると、『くのいち』が変化していた。目に見える所はふわふわの毛皮みたいになっている。多分全身そうなのだろう。ゲンよりふわっふわだ。


「変化したね」

「変化したわね」


 ナギとゲンがこちらを見ている。ナギはまるで忍者装束のようになっている。ああ、だから『くのいち』なのか。


「わたしはそういう風にはならなかったなあ。こういうのは出来るけど」


 空いてる右手でみょいんと『くのいち』を伸ばして器用にハートマークを作る。


 気が付くとゲンのしっぽが二股に分かれ、ナギと俺とつながっていた。

 ナギから俺に伸ばされた『くのいち』は腰の辺りまでさげられている。

『くのいち』で繋がれた三角形が出来ていた。


 また、建物がグルンと回る。だが、今までと違って視界の変化だけ。身体はそこに固定したままだ。あ。楽になった。


「伸ばすことは出来ます ? 」


 一応、という感じでゲンが聞いてきた。

 俺は右の手先に集中してみたが、毛がもごもごと動くだけだった。5匹の毛虫みたいだ。


「分かりました。向き不向きがあるので、無理になさらなくて大丈夫ですよ。それではこのまま参りましょう」


「色々とね、疑問が山ほどあると思うけど、そんなのいちいち構ってられないから、とにかくゲンの後を着いてまわって。あとは、ゲンの指示に従って」


 と、ナギが言う。


「理解できないということが、わたしには理解出来ているから」


「『くのいち』で繋がっているから、例え見えなくてもはぐれないし、声は普通に届くからだいじょぶよん」


 ゲンを先頭に三角形を作ったまま進み始めた。

 落ち着いてきて、改めて建物の内部を見渡すと2階建てではなく倉庫のようなものだった。取り立てて何も設備のようなものがない。足元は棚や机が中身をぶちまけて足の踏み場が無いが空間は広いのだ。雨の日の昼間のような薄暗闇に水玉模様みたいに黒丸が浮いている。


「奥の方に地下への階段が有るから、そこから下へ降りるわよ」


 地下 !!


 確かに手摺とぽっかり空いた闇のようなものが見える。


 くるくると回る視界を放ったらかしのまま三角形は進んで行く。


「ここから先は、わたしも初めて。」


 階段の手摺を掴んで覗き込みながらナギがつぶやく。


「ここからはから五感がおかしくなるかも知れないけれど、今までと同じ要領で潜っていくわよ。目標に近付いたら『くのいち』伸ばして捕まえます。結城さんに一時間以内に戻れって言われているので、あと40分程頑張ってね」


「パンダ君はわたしがちゃんと繋いどくからね」


 あれ ? もう耳がおかしくなっているのかな ? 今ナギにパンダって呼ばれたような ?


 サングラスをかけた時のような暗闇に入っていく。何故か黒丸は見当たらない。同じ濃度の闇だ。


 地下は、上の階とは全く違った。壁際にコンピューターの様な物が置かれ、ほぼ真ん中に何かの機械がどっかりと座りバネのようなものが出ているのが見える。


 ゲンは今までと同じ要領でと言っていたけれど、この部屋は何故か部屋がぐるぐる回らない。その代わり密度が濃い感じで、押分ける感じに進む。『くのいち』で中和されない濃さということか ?


 先程からネギの匂いがする。ラーメン食べる時に薬味に刻むネギの匂い。ああ。ラーメン食べたい。


 あれ ? 焼肉の匂いもする。にんにくガッツリだ。そう言えば俺、昼飯まだだった。今思い出した。お腹すいたなあ。


 いや、ちょっと待てよ。おかしくないか ? どこからにおうんだ ??

 疑問が湧いた途端、匂いが薄くなる。そういう事か。脳か身体のどこかが感知した五感以外の何かを、匂いに振り分けて感じているんだ。


 でもこんなにお腹が空く匂いは勘弁して欲しい。


 ピリ辛麻婆豆腐。ご飯食べたい。

 酢飯。醤油。わさび。

 焼きたて餃子。ラー油たっぷり。

 ああ。でもやっぱりラーメン食べたい。


「パンダ君、平気か。辛いことないか」

 突然、ナギから声をかけられた。


「平気です。頑張ります」

 お腹減って死にそうですなんて恥ずかしくてちょっと言えない。


 今日の夕飯は絶対ラーメンにすると決めて重たい空気をかきわけて行く。そのつもりは無くても、抜き足さし足と言った感じだ。

 それにしても研究員達は何処にいるんだろう。人の形をしたものは見当たらない。


 するとゲンが振り返って


「伸ばすわよ。真似をしてね」


 と、ナギに言った。




























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