第7話 ツァイ
目が覚めると、知らない男が寝台の脇に座っていた。
――いや、知らなくない。何度か見ていたはずだ。
俺を突き飛ばした男だ、とユジは遅れて思い出す。それ以前にもユジの元を訪れていた。蔡、と呼ばれていたはずだ。
何かを熱心に考えているようで、伏せた目はユジの方を見ていない。黒い色の瞳を見ると、ツァイを思い出す。
ツァイは『黒牙』には珍しい、女の軍人だった。筋も良くて、戦況を読む目ならユジにも劣らない。きっと良い軍人になると思って、目を掛けていた。
ぼんやり思い返していると、蔡がユジの意識が戻っていることに気づいた。
「無茶するな、と丹惟が伝えてくれって言ってました」
「無茶……」
ユジは可笑しくなって笑った。
「医者は、みんなあんなものなのか?」
「丹惟は別ですよ。あの人は、仕事をしてないと我慢できないんです」
いずれ過労で倒れるでしょうね、と言う。
「私は蔡といいます。さっきの監視役の方が手当を受けているので、その間だけ代わりです」
「……申し訳ないことをした」
「何であんなことをしたんですか」
「――何で」
何で。
「……自分で死ねれば、いいのだろうけど。それは怖いから」
それに、敵に殺されれば、ユジの罪も少しは軽くなる気がした。狡い考えだと思う。
「そうですか」
それより後は、蔡はただ黙っていた。気を遣ってくれたのかもしれない。
何も話していないと、自然、ツァイのこと、自分の仲間のことを思い出す。
みんな、故国を守る為に必死だった。だが今、敵国の人間を前にしても、不思議と憎しみなんて湧いてこない。軍人である蓮葉を見ても、何も感じなかった。
戦場という場でしか、ただ違う国であるというだけで憎むことはできないのかもしれない。
――最後の戦い、間諜がいるのだという噂が広がっていた。拠点を移しても場所はすぐに露見する上に、作戦も漏れていたからだ。
雰囲気は険悪で、色々と小競り合いも起きていた。ツァイは憔悴していた。あまり戦場の経験が無いのに、いきなりこんなに酷い戦いになって、精神に変調を来していた。
――全員、信じられないんです。
ツァイはユジにそう言った。綺麗な黒い瞳が、不安定に揺れていた。
――みんな、内通者に見えます。私がしっかりしないといけないのに、みんなが。
いたるところで吊し上げが起きていて、お互いに相手に疑心を抱いて、地獄のようだった。
――私の兄が、昨日殺されました。内通者だって。そんなはずないのに、反論できなくて。反論すれば、私も内通者にされます。
ユジは宥めた。俺は知ってる、と言った。ツァイが内通者ではないことは、よく知っている。
――あなたしか信じられません。死ぬのが怖い。死にたくない。
大丈夫だ、とユジは言った。ツァイの身体は震えていて、それでも絶対に泣かなかった。泣いてしまえばよかったのに。
紅燐草。あれの管理はツァイがしていた。さっさと取り上げればよかった。あるいは、ツァイを国に帰してしまえばよかった。そうすれば、たぶん、『黒牙』はもっと真っ当に、滅んだだろう。
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