第4話 文浩
――コダの『黒牙』の頭・ユジは、自分の部下を皆殺しにした。
そんな噂が広まっていた。
「なに、それ。誰、そんなこと言ったやつ」
腕を斬った男――ユジは、まだ目を覚ましていない。文浩が訊くと、知らん、と丹惟は鼻を鳴らした。
「軍の上の方と
「俺に解剖させてくれるとか」
「無いだろ」
「ずいぶん強かったんだよね、あの人。一回開いてみたいなあ」
「……図書館で生臭い会話するのはやめてください」
背後で冷たい声がする。文浩が振り返ると、書士の蔡が立っていた。
「生臭いこと言ってんのはこいつだけだ」
丹惟がそう言うと、あなたは臭うんです、と言いながら、蔡は文浩の隣に腰を下ろす。
「仕方ないだろ。お前も一回医院来てみろよ。一瞬で臭いが染みつくぞ」
「結構です」
「蔡が俺たちのところに来るの、珍しいね。どうしたの」
文浩の言葉に、蔡は滅多に崩さない真顔をややしかめた。
「……あなたたち、ユジの治療をしたんでしょう。何か、知っているかと思って」
「へえ、興味あるんだ」
「蔡は好奇心の塊だぞ。こんな面して」
「面は関係ないです。知らないと気持ち悪くて」
「難儀な性格だね。でも特に何も知らないよ。左腕処置しただけだし。何があったかとかは、あの震えてた兵士の方が知ってそうだけど、もう軍に戻ったよね?」
「ああ。後でちょっと話聞いたけど、よく分からなかった、とか言ってたな。全身血塗れだったし、他に考えられないから、ユジが部下を皆殺しにしたんじゃないかって言ってたけど」
「でも、そうだとして、そんなことする必要無いですよね。おまけに自分の腕も斬り落として」
「必要無いどころか、意味不明でしょ。一個隊全滅って、相当な人数じゃないの? おかしいよこれ、よく考えたらさ――」
言いかけた文浩の肩を誰かが叩く。渋い顔をした
「おい、珍しく仕事だぞ。第一治療室に行ってこい。助手が欲しければ、俺に言え。軍部の人間が来てるから、ちゃんと指示に従えよ」
ちゃんと、に力をこめて言う。第一治療室は一番広い場所だ。文浩は基本的に縁が無い。助けを求めるように丹惟を見たが、空気を察し、丹惟も蔡も黙ったまま口を挟まなかった。
「仕事って、つまり、解剖ってことですか? 軍部から?」
「俺もよく知らない。内容は機密だと言われた。いいから行ってこい」
追い出されるように文浩は図書館を出る。どういうことだろう――いや、どう考えてもユジに関することだろう――一体誰の解剖――殺された部下?
考えるうちに、治療室に着く。扉の前に、軍服を着た女が立っていた。
「文浩先生ですか」
はっきりした口調で訊かれ、文浩は若干気圧される。
「はい、そうですけど……」
「死因を調べて欲しい死体があります。このことは、口外禁止でお願いします」
「口外したらどうなるの?」
女は不快そうに眉をひそめた後、「罰されると思います」と答えた。
「ふうん……。どういう目的?」
「教えられません」
睨まれ、大人しく文浩は準備を始める。助手を呼べるか訊いたら、三人まで、と女は答えた。
趙千が用意した助手は、文浩の知らない医士ばかりだった。たぶん、口の堅さで選ばれたのだろう。治療室に用意された遺体は三体で、これを四人で解剖すると考え、文浩はうんざりした。いくら好きなことでも、限度はある。
「……おそらく察しているでしょうから言いますけど、長峻江で――殺された兵士の死体です」
「だろうね。見た目がコダの人だ」
「戦地にいた医者によると、どうも――斬られて死んだわけではないかもしれない、と。あの死体だけは、斬られているみたいですが」
「違うの? じゃあなんで死んだのさ」
「詳しいことは分からない、と。解剖専門は文浩先生だけなので」
女は嫌悪に顔を歪めながら言う。この国で、解剖はあまり歓迎されない。死んだ後の身体を切り開けば、来世が訪れない、と信じられているからだ。死体には触れることすら忌避されるので、たぶん、ろくに調べなかったんだろうと思いながら文浩は訊いた。
「殺されたっていうのは、ユジに?」
訊くと、女は黙り込んだ。絶対に口を開かない、という意思が伝わって来る。諦め、文浩は仕事を開始しようと、嫌そうに遺体を遠巻きに見ていた助手を呼び寄せた。
「お疲れ」
振り返ると、丹惟だった。ほんとにな、と文浩は呟く。身体の芯から怠い。結局、解剖には日暮れまでかかった。
――左肩から、斜め下に切り裂かれた胴体。
解剖の手順を反芻する。文浩は間違えなかったはずだ。だが、結果を教えた時に女の顔に浮かんだのは、当てが外れた、という思いと、拒絶の色だった。
だが、文浩はきちんと仕事をした。いずれ何があったのか分かるだろう。それまで口を噤めばいいだけの話だった。
「……趙千の野郎、使えない助手寄越しやがって」
「誰だって解剖なんて嫌だろうよ。で、何か分かったのか?」
「口外禁止っていうやつ」
「ま、だよなあ」
ええ、と声を上げたのは、いつの間にか来ていた蔡だった。不服そうな顔をしている。
「いいじゃないですか、ちょっとくらい。文浩は気にしないですよね?」
「俺だって罰されるのは気にするけど……」
「丹惟は気にならないんですか」
「訊いたってこいつは適当なことしか言わねえよ」
「人聞き悪いなあ」
「嘘ついてたって誰にも分かんねえし。解剖学はこいつが一人で作ったようなもんだから」
「三十年前なら思いっきり犯罪だしね」
書士なら良く知ってるだろ、と丹惟に言われ、蔡は顔をしかめる。
「忌み令の改正ですよね。そりゃ、知ってますけど……」
「でもさ、どうせ待ってればユジって人は目覚ますだろ。そしたら本人に訊けばいいでしょ。何があったんですかーって」
丹惟と蔡は顔を見合わせた。意外な言葉を聞いたような反応だ。
「確かにそうだな」
「……ここにいると、直接人に訊けば分かるってことが新鮮ですね」
「本とばっか顔突き合わせてるからだよ。あの人目覚ましそうなの?」
「どうだろうな。回復は驚くくらい早いけど――」
ちょうどそこで、桂花が走り込んできた。驚く三人に構わず、桂花は息を切らせて言う。
「あの人、目を覚ましました!」
今度は、三人で顔を見合わせた。
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