第3話 丹惟

丹惟たんい先生! たーんーいー先生」

 揺すぶられて丹惟は起きる。ぼんやりした視界の向こう、桂花けいかのしかめっ面が見えた。


「……なに」

「怪我人が運ばれてきました」

「また、書士が本の下敷きにでもなったのか?」

「違いますよ、戦場から怪我人です」

「戦場?」

 さっきより目が醒めた。桂花を見返すと、「私だってよく知りませんけど」と唇を尖らせる。

「今やってんのは――たぶん、コダの制圧だろ。そこの怪我人が何で弓震学台ここまで運ばれて来るんだ。制圧は終わったのか?」

「知りませんってば。ちょっと見た感じ、だいぶ血が抜けてましたよ。左腕斬られて」

「左腕ぇ?」

 わけが分からないまま、丹惟は走る。桂花が後に続きながら、「第三医務室です」と言った。

「分かった。お前、文浩ぶんこう呼んでくれ。あいつ暇だろ。手伝わせる」

「分かりました」

 すぐに方向転換して桂花は走って行く。たぶん文浩は寝ているだろう。あの男は恐ろしく寝起きが悪い。心の中で桂花に謝り、丹惟は医務室へ向かった。


 だが、どういうことだろう――普通、戦場の怪我人は戦場で治療する。その為に戦地に医者を連れて行くのだ。どうしようもないほど重症だとしても、民間の医院に運ばれて、弓震学台の医院にはやって来ない。

 ここの医院で診るのは、どこでも治療を諦められた患者か、王族か、犯罪者だけだ。


 第三医務室に入ると、青い顔をした男が待っていた。左腕はちゃんとある。ならこいつじゃない――丹惟は寝台に目を向け、そこで横たわっている金髪の男を見つけた。

「止血、止血しようとしたんですけど、血が、止まらなくて」

 青い顔の男は、恰好からして兵士だろう。よほど動揺しているのか、言葉がつっかえる。丹惟は「落ち着け」と言った。

「お前、名前は?」

「え――瑛青です」

「状況説明。この男は誰だ」

 言いながら、丹惟は止血を始める。きつく縛ると、呻き声を上げた。寝台に敷かれた布にも血が滲んでいるが、取り返しのつかないほどの量ではない。左腕は肘からすっぱり無くなっている。斬り口はあまり綺麗ではない。下手くそめ、と小声で毒づいた。


「この人は――コダの『黒牙』の」

「なんだそれ」

「……つまり、敵兵です」

 丹惟は瑛青に目を遣り、それから目を見開いて寝台に横たわる男を見る。言われてみれば、外見も服装も異国のものだ。

「なんで殺さなかった?」

 当然の疑問だった。瑛青は口ごもり、首を傾げる。

「……妙だったんです。今、上で話し合っているみたいですけど――。俺……私たちがこの男を見つけた時、敵は全滅していました。この男だけ生き残っていて」

 瑛青はもどかしそうに首を横に振る。

「仲間の死体の中で、この男は自分で――左腕を斬ったんです。どうしてか分かりません。なんで全滅していたのかも――」

「自分で?」

「はい」

 丹惟は寝台の上の男を見下ろす。軍人にしては華奢な男だった。あまり強そうには見えない。だが、瑛青はこの男に異常に怯えているように見えた。


 そこで、医務室の扉が開いた。振り返ると、眠そうな目をした文浩が入って来る。桂花が息を切らせて後ろに立っていた。

「私――二度と――この人のこと、呼びませんからね」

 相当苦労したのだろう。文浩は気にする風もなく、広がった髪を撫でながら寝台を覗き込む。

「あれ、コダの人だろ、これ。なんでここに来たの?」

 瑛青が同じ説明を繰り返す。理解したのか理解していないのか分からない微妙な顔で説明を聞き、文浩は丹惟を見た。

「なに、これ、犯罪者枠?」

 黙れ、と丹惟はその頭を叩く。犯罪者枠――弓震学台の医士の間で使われる言葉だ。つまり、人体実験用、という意味だった。幸い、瑛青に意味は通じなかったようだ。

「でも、なんで俺を呼んだのさ。俺は死んだ人間専門だってば」

「他の医士は出払ってんだよ。暇だろお前。腕の縫合の手伝いくらいしろ」

 言い合いながら、男を担架に乗せて治療室まで運ぶ。血の抜けて青ざめた顔の男を見て、文浩は微かに眉をひそめる。

「血を入れないと。在庫あったかな」

「型が分からないからな。桂花」

「持ってきます!」

 桂花はまた走る。助手が足りない。だが、弓震学台の医院は万年人手不足だ。薬士くすしでも借りようか、と思案する。薬士は、薬を作るのが専門だった。


「この人に貴重な血を使っていいもんかな。敵なんだろ?」

「助けろって言われたら従うしかない。それに、こいつが死んだら何があったか分からないだろうが」

「何があったか、ねえ。ここ、そういうのを知りたがる人ばっかりだよね」

 お前だってそうだろ、と言うと、まあね、と文浩は呟く。

「自分で自分の腕斬るなんて、どういう神経してるんだろうね。軍人なんてみんな気が狂ってるけどさ、この人、無害そうな顔してるのに」

「お前だって大概だろ。解剖狂いが」

 文浩は眠そうな目で笑う。

「何でも知ろうとするのって、たぶん、すごく深い、業だよ。ここは業の集まりだ」

 こんなところに来て、この人も可哀想にね、と文浩は言った。何も返す言葉が思い浮かばず、丹惟は少しの間言葉を失う。


 ちょうどその時、桂花が血を運んできた。丹惟は頭を切り替える。何にしろ、丹惟は治療をするしかない。仲間の死体の中、腕を斬った男が考えていたことは、丹惟には関係ない。それを考えるのは、また別の人間の仕事だ。

 桂花の後ろ、治療室の外で突っ立っていた瑛青が、不意に口を開いた。

「――ないで、ください」

 え、と丹惟は言葉を漏らす。瑛青は青ざめた顔で丹惟を見ていた。

 ――助けないで、ください。


「あれは、人間じゃないんです」


 その言葉は、「ねえ、始めないのー?」と叫んだ文浩の声に搔き消される。丹惟は結局、瑛青の言葉を聞き返すことはなかった。

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