第2話天願山を越えて
あたしの故郷、猫又の村から東の都へ行くには、山を一つ越える必要があるの。
一年中、雪で覆われている寒いところで、この国――ヤマトでも指折りの雪山だって、村長から聞いていた。
その天にも届きそうな高い山は途中の村からでも見える。名前は天願山。天に願わないと登りきることができないから、そう名付けられたんだって。だけど越えるだけだったら何も頂上まで登る必要はないの。山の側面を沿うように進めばいいって、これも村長に言われた。
地元の妖怪じゃないあたしじゃ、その道順なんて分からない。
だから案内できる妖怪にお金を払って後をついていくことになる。
天願山のふもとの村に着いたあたしは、案内してくれる妖怪を探しに村役場へ行ったんだけど……
「にゃあああああ!? 誰もいないの!?」
「そのとおりです。皆、出払っています」
村は天願山に近いせいで酷く寒かった。だから村役場の至るところに掘りごたつとか囲炉裏とかがあって、目の前の獣妖族の狐さんは毛布に包まっている。畳の上のちゃぶ台にあたしが書いた申請書を乗せて、じっくりと見てからそう言われた。
「サムライの試験を受けられるのですね。しかし他の志願者が先に来まして……」
「そんなあ! 次に来るのはいつなの!?」
「そうですね……往復で八日かかりますから、一日休むとして、九日ですね」
試験まで六日だから、三日足りないってこと!?
あたしは「一刻も早く行きたいの!」と喚いた。
「間に合わなかったら、来年になっちゃうんだよ!」
「事情は分かりますが、今年は過去と比べても、たくさんの志願者がおりまして、こちらとしても人手不足なんですよ」
目から涙が出そうになる。
それをぐっとこらえて、あたしは「じゃあ地図を貸して!」と訴えた。
「一人でも、行かなくちゃいけないの!」
「それは無理ですよ! 死にに行くようなものです!」
「分かっているよ! でも……」
言い争っていると後ろから「お嬢ちゃん、馬鹿な真似は止せよ」と声をかけられた。
振り返ってみると、そこには背の大きな白い体毛に覆われた、着物をはだけて着ているおじさんがいた。おそらく気候族の雪男だ。
「無謀で若い命を落とすな。冷静になれよ」
「でも、でも……」
「俺が案内してやる。だから無茶をするな」
思いもかけない言葉に俯いていた顔をあげて「本当!?」とあたしは言った。
おじさんは「ああ。本当だ」と答えた。
「テツさん。あなた他の志願者を案内するんじゃないんですか?」
「別に一人増えたところで変わりはしない。それに、お嬢ちゃん根性ありそうだしな」
狐さんの呆れた声に、自信満々に答えるおじさん――テツさん。
そして「ついて来い」とあたしを手招きした。
「お嬢ちゃんの他に、二名ほど志願者がいる。一緒で構わないか?」
「うん、いいよ! ありがとう、テツさん!」
死んだ母さんからお礼は元気よく言いなさいって教えられていた。
するとテツさんは「すっきりとした明るい妖怪だな」と笑った。
「改めて名乗ろう。俺は気候族、雪男のテツだ」
「あたしは獣妖族、猫又のメグミ!」
「メグミか。いい名前だ。それじゃ、あの部屋に行こう。待たせているからな」
テツさんについて行って、部屋の中に入る。
そこには防寒着を着ている二名の妖怪がいた。
「ああん? なんだなんだ、また増えたのか」
「……私はあまり好ましくないな」
嫌がっているのは分かる。当然だと思うけど、なんだか傷つくなあ。
あたしより年上の男の妖怪と、少しだけ年上の女の妖怪。
男のほうは顔と髪が緑色で、長い筒のようなものを持っていた。
女のほうは艶やかな長い赤髪で、紐でくくっている。相当な美人さんだ。
「文句を言うな。ほれ、自己紹介しろ」
「うん! あたし、獣妖族、猫又のメグミ! よろしくね!」
さっきと同じく、明るく元気に言うと男のほうが「けっ。うるさそうなガキだぜ」と面倒くさそうに言う。
むう。なんか感じ悪いなあ。
「お前らも自己紹介くらいしろ」
「はあ? 同じ志願者だろう? だったら敵じゃねえか。そんな奴に名乗りたくないね」
「……私もその男の言葉に同感だな。馴れ合いなどしたくない」
うーん、一緒に天願山を越えるから、仲良くしておきたいだけど、そう言われるとどうしようもないなあ。
それを見かねたのか、テツさんが「名乗れねえなら、俺は案内しねえ」ととんでもないことを言う。
「そこのお嬢ちゃんだけ案内する」
「なんだと!? てめえ、ふざけんな!」
「感心しないな。冗談でもそんなことを言うのは」
「冗談でも何でもない。まだ契約を結んでいないから、俺は違約金を払う必要もないしな」
腕組みしながらテツさんが告げる。
あ、まだ契約してなかったんだね。
「……水怪族、河童のアキラだ」
「有翼族、天狗のユミだ」
アキラさんとユミさんか。
二人は敵だって言っていたし、警戒もされているけど、悪い感じはしないなあ。
「よくできましたと誉めておこうか?」
「くそ、こんなことならもう少し早く出立するべきだったぜ」
「まったくだ。もっとましな案内できる妖怪がいたはずだ」
「もう、そんなこと言わないの!」
険悪な雰囲気の中、あたしはテツさんに防寒着をもらった。
着物の上から着ると教えられて、着こんでいく。
それからご飯の入った背負い鞄をもらって、契約書に記名した。
契約書にはテツさんの指示に従うことや死んでも責任を負わないとか書かれていた。
「準備ができたところで、山越えをするのだが、途中には山小屋がたくさんある。だから安心しろ」
「それなら地図貰って一人のほうが良かったぜ。金もかからないしな」
アキラさんがまた文句言っている。
テツさんは無視して「俺を見失わないようにしろよ」とあたしたちに言う。
「はぐれたら死ぬぞ。天願山は年中吹雪いている。気候族でもなければとても耐えきれない。防寒着を絶対脱ぐなよ」
あたしたちに注意を促して――アキラさんは話半分に聞いていた――出発した。
山に入ると確かに吹雪いているけど、つらいってほどじゃなかった。
歩きにくいところを歩いていない。むしろ歩きやすい。
「ここは迂回するぞ」
「えっ? どうして?」
「凍った岩が露出していて、進みづらいんだ」
多分、テツさんは慣れているから、あたしたちが疲れないような道を選んでくれているんだ。
凄いなあって素直に思う。
アキラさんとユミさんは意外にも文句を言わなかった。あたしのように気づいているのか、それともテツさんが達人だって分かっているのか、それはよく分からない。
一日目は何事もなく山小屋に辿り着けた。
「だあああ! 山ってのは、結構きついな!」
アキラさんは疲れているみたい。
水怪族だから、地上を歩くのに慣れていないようだった。
「吹雪いていなければ、飛べるのだけれど、それは難しそうだな」
ユミさんはそう言っているけど、全然疲れていない。細くて素敵な体型をしているのに、体力はかなりあるってあたしでも分かる。そしてどうして男言葉なのか、それは分からない。
「飯を作るぞ。メグミ、手伝ってくれ」
「うん! 味噌煮込みうどんを作るんだね!」
あたしが材料を切っていると「なんでそんな元気なんだ?」とアキラさんが不思議そうに言う。
「あたしの村の近くには、山がたくさんあったから、慣れているんだよ!」
「へえ。そりゃあ羨ましいこった」
「アキラさんとユミさん、料理できる?」
アキラさんは「切ったり煮たりはできるが、味付けは自信ない」と言って。
ユミさんは「まったくできない」と答えた。
「その手の家事はからっきし駄目だ。やったことがない」
「はあん。結構な名家の出なんだな。お嬢様ってところか」
アキラさんの軽口はいつも通りだったけど、ユミさんの反応は違っていた。
「お嬢様? そんなこと、あるわけないじゃないか!」
反射的に怒鳴ってしまったユミさん。
アキラさんは目をぱちくりさせて「そ、そんなに怒るなよ……」と呟いた。
「悪かったって。ごめんな」
「……私のほうこそ怒鳴ってすまない」
いろんな事情があるんだなあって思いながら、あたしは切った材料を鍋に入れる。
それからうどんを入れてぐつぐつと煮込んでいく。
「お前たち。どうしてサムライになりたいんだ?」
煮込んでいる間、突然テツさんが訊いてきた。
あたしが答えようとすると「どうしてそんなことを訊く?」とユミさんが言った。
「ただの好奇心か?」
「話のタネになるかと思っただけだ」
「ならば答える必要はない」
さっきのこともあって、刺々しい態度になっている。
あたしは「……再会を約束した妖怪がいるの」と話し出した。
「その妖怪は、サムライなの。サムライになれたら、会えるかもって」
「ほう。自分の夢のためじゃないのか」
「会うことが夢だから、変わらないと思うの」
するとアキラさんが「ふうん。再会ねえ」と小さな耳を触りながら言う。
「結構なことじゃねえか」
「アキラさんはどうして、サムライになりたいの?」
「あ? そりゃあ金稼ぎだ。サムライになれば稼ぎやすいからな」
単純明快な回答。
でも、アキラさんの性格にあっているけど、少し違和感があるような気がした。
「金稼ぎ? ……あまり上品な理由じゃないな」
「……なんだと? じゃあ何なら上品だって言えんだ?」
ユミさんの挑発的な言葉に、アキラさんはかちんと来たみたい。
ユミさんは「矜持のために、サムライになる」と言った。
「誇りがなければ、どんな夢もくだらない」
「はっ。流石、天狗だな。矜持と鼻だけが高いって言われるだけあるぜ」
天狗の女性は、男と違って高くなることはないけど、天狗を馬鹿にするときはよく使われる文言だった。
ユミさんは顔を強張らせて「金稼ぎの下衆には分かるまい!」と言う。
「どうせ金を稼いでも、くだらないことにしか使わないだろう!」
「ざけんな! てめえ、ぶっ飛ばすぞ!」
口論どころか、喧嘩になりそう……
あたしが心配していると「喧嘩なら外でやれ」と冷たくテツさんが言った。
「せっかくの料理が台無しになっちまう」
「そうだな。表出ろ。その鼻っ柱へし折ってやる」
「いいだろう! 貴様の皿を割ってやる!」
そう言って外に出て行っちゃった。
あたしは思わず、テツさんを見る。
「一度外で頭を冷やしたほうがいい」
鍋の様子を見ながら、そう呟いた。
あたしは何も言えなかった。
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