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「……何を言ってるの? 佐和子」

 唐突に超常的概念を持ち出されて、澄香は狐につままれたような顔をした。

 呪い殺す。呪殺。その非現実的な手段に、澄香は佐和子の正気を疑ったのだが。

「まあ聞いてよ澄香ちゃん。私が考えたこの方法なら、殺害対象の特定と殺害の遂行、どちらも難なく実現できるんだよ」

 佐和子は自慢話でもするみたいにタネ明かしを始めた。

「まず殺害対象の特定だけど、これは対象を探すんじゃなくて、おびき寄せることにしたの」

「おびき寄せる? ……あっ」

 澄香の頭の中でバラバラに存在していたものが、繋がった。

「気が付いた?」

「あのツイート……」

「そう」

 いいねの数だけ人を殺します、と宣言した佐和子のツイート。

「ネット上に誹謗中傷を書き込むような人なら、軽い気持ちで死ねなんて暴言を吐くような人なら、面白がってあのツイートにいいねしてくれるだろうって思ったんだ」

 探し回るのが手間なら向こうから来てもらえばいい、という逆転の発想。いいねした人間をターゲットとする。これが殺害対象をあぶり出すためのアイデアである。

 説明はさらに先に進む。

「次に肝心の殺し方だけど。これには、ツイートにいいねした人の殺意を利用したの」

「殺意?」

「そう。いいねの数だけ人を殺します、というツイートにいいねする人は、人を殺す行為に加担してると言えるよね。ほとんどの人は冗談のつもりでいいねしたんだろうけど、多かれ少なかれ人が殺されてもいいという意思があったはず。だからあのツイートへのいいねには、いいねをした人の殺意が込められている、って私は考えた」

 佐和子は親指と人差し指でCの字を作った。

「一つ一つのいいねに込められた殺意はほんのちょっとで、それ単体では何も効果がない。でも、同様のいいねがたくさんあったらどうかな? 殺意を乗せた何万ものいいねが一ヶ所に集まったら、人を殺せてしまうくらいの呪いを作れるんじゃないかって思ったんだ」

 佐和子は伸ばした両腕を開いてその大きさを表現する。

「そんなことが、できるの……?」

「できるよ。というか、できた。それにほら、似たような前例を、私たちはよく知ってるでしょ?」

 佐和子に問われ、澄香は瞠目どうもくする。

「麻里奈の、自殺……」

「その通り」

 麻里奈を死に導いたのはSNSでぶつけられた無数の暴言だった。メッセージを送った一人一人は大した恨みや殺意を持っていなかっただろうし、もし誹謗中傷が数件だけだったなら麻里奈も受け流せていたはずだ。だが小さな悪意は幾重いくえにも重なり、増幅し、膨れ上がって、結果的に麻里奈に自殺を選ばせるまでに至った。

 佐和子が考案した呪いを生むロジックはそれと同じだ。微量の殺意を含んだいいねが集まり、その殺意の総量が一定値を超えた瞬間、それは人を殺す呪いと化す。佐和子は麻里奈を襲った凄惨せいさんな悲劇を模倣もほうして、呪いを作り上げたのだ。

 計画の説明が仕上げに入る。

「あとは出来上がった呪いを殺害対象、つまりツイートにいいねした人にかえすだけ。人を呪わば穴二つ、って言うでしょ?」

 人を呪わば穴二つ。他人を呪えば自分もその報いを受ける羽目になる、という意味である。佐和子はその言葉にならって、完成した呪いが、それを作り上げた殺意の持ち主たちの元へ還るよう願った。

「澄香ちゃん、今朝私に訊いたよね? 『あのツイートは、何?』って。今その答えを教えてあげる」

 佐和子はこの計画の中核である、殺人予告ツイートの正体を明かした。


「あれはね、、呪いのツイートなんだ」


「そんな……!」

 階下に広がっている地獄絵図が澄香の脳裏をよぎる。

 先刻、一斉に急死した何人もの生徒と教師たち。

 彼らは、佐和子の呪いのツイートにいいねした者たちだった。人を殺すという宣言を冗談と受け取り、面白がっていいねした。佐和子のツイート投稿を責めていた富田ですら、裏では今回の炎上を楽しんでいたわけだ。

 そして彼らは、あの瞬間に完成した呪いによって、その命を落としたのである。

 澄香はさらに恐ろしい事実に気付く。

「ちょっと待って。あのツイートにいいねした人は、全員死んでしまうの?」

「うん」

「それじゃあ、この呪いで死ぬのは……」

 いいねした人間が呪いによって死ぬ。だから『殺します』なのだ。

 導き出される結論のおぞましさに、澄香は思わず口元を覆う。

 あの集団変死は、この学校の中でのみ起こっていると澄香は思い込んでいた。だが佐和子の説明通りであれば、この呪いによる犠牲者数は、澄香が校内で目撃した死体の数の比ではない。

 街の方ではさきほどからずっと、救急車のサイレンがいくつも鳴り続けている。

「そうだね、どれくらいになってるかな」

 佐和子はスマートフォンを取り出してツイッターのアプリを立ち上げ、自分のツイートについているいいねの数を確認する。

「十一万人、だって」

 佐和子は少し悲しげにそう告げた。

 十万を超す人間が、あの瞬間同時に絶命した。

 そのうえ、犠牲者数は今も目まぐるしい速度で増え続けている。完成した呪いはツイートが存在する限り有効なのだ。佐和子のツイートは今や、いいねボタンを押した瞬間にその人物を死に至らしめる、大量殺人兵器と化していた。

「救いようがないよね、ほんと」

 佐和子は失望した様子で吐き捨てる。

「軽い気持ちで書かれた言葉や悪ノリがときに人を殺すこともあるって、麻里奈ちゃんが身をもって示してくれたのにね。彼らは何も学ばず、インターネットに無自覚の殺意をバラまいていた」

 既に十一万人を手に掛けている殺戮者は虚空を見つめる。その視線は、目に見えないが確かに存在する世界を捉えていた。

「ああいう人たちは放っておけば、いつか軽はずみで誰かを傷つけて殺しかねない。麻里奈ちゃんのような犠牲者を新たに生んでしまうかもしれない。だからそうならないうちに、私が殺すんだ」

 佐和子の話が噓偽うそいつわりでないことは、言葉にこもる熱から間違いないと窺える。

 だが。

「……嘘よ」

 澄香は震え声を絞り出す。

「ねえ、本当は作り話なんでしょ? 人殺しなんてしてないよね? 佐和子、お願いだから嘘って言って」

 澄香は信じたくなかった。友人である佐和子が何万もの人間を殺した事実を受け入れられなかった。

 佐和子の話が虚構であるという一縷いちるの望みに賭けて、澄香は食い下がる。

「……そうよ、呪いだなんて、そんなスピリチュアルなものあるはずない! そんなもの佐和子には作れない!」

 必死に指摘する澄香を、佐和子は憐れんだ。澄香がどんな思いで佐和子の話を否定しているのか、ちゃんと理解しているからだ。

「澄香ちゃんの言いたいことは分かるよ。呪いだなんて、簡単には信じられないよね。私にも今回の計画が上手くいくかどうか、まったく分からなかった」

 佐和子はしかし、無慈悲な反論を返す。

「でもね、成功する勝算はあったんだ。麻里奈ちゃんの力を借りたから」

「麻里奈の力?」

「うん」

 そう言って佐和子は、手に持っていたコーラルピンクのスマートフォンを愛おしそうに撫でる。

「このスマホね、買い換えたんじゃなくて、麻里奈ちゃんが生前に使っていたものなの」

 澄香は息を呑んだ。麻里奈が使っていたのと同じ機種なのは分かっていたが、よもや麻里奈が使っていたものそのものだとはつゆほども思っていなかった。

 衝撃はさらに続く。

「麻里奈ちゃんのお母さんに貸してもらったんだ。今日だけ使わせてくれませんか? って頼んで。今日は一年前、麻里奈ちゃんが死んだ日だから」

「っ!」

 怯えで顔を引きらせる澄香に、佐和子が問いかける。

「麻里奈ちゃんの命日に、麻里奈ちゃんの遺品のスマートフォンから投稿したツイート。どう? 呪いが生まれるのに、充分な要素が揃っていると思わない?」

 非現実的ながら、佐和子の話には充分な説得力があるように感じられた。澄香は、なぜ佐和子の計画が成功したのか納得してしまった。それは、呪いの存在を、ひいては佐和子が殺人を犯したことを、認めたも同然であった。

「ばか! 佐和子のばか……!」

 澄香は膝から崩れ落ち、非道に堕ちた佐和子のことを嘆いて泣いた。

 そんな澄香を見下ろす佐和子は、体が潰れそうなほどの罪悪感を覚える。

 澄香には、悲劇を背負ってもらわなければならない。

「澄香ちゃん。ごめんね」

 そう謝った佐和子は、スマートフォンを操作し始める。

「えっ……?」

 佐和子がやろうとしていることを理解した瞬間、澄香は叫んだ。

「だめっ、やめて! 佐和子!」

 佐和子は、自分が作り出した呪いのツイートを表示する。そして。


 いいねボタンを押した。


 佐和子の口から鮮血が溢れた。佐和子は手摺りにもたれかかってへたり込む。手から滑り落ち地面に叩きつけられたスマートフォンの画面に、大きなひびが入った。

「佐和子!」

 澄香は倒れた佐和子に駆け寄って、その身を抱き起こす。泉のように湧き出てくる赤い血が二人の制服を汚した。

「なんで! どうして……!」

 突然の自殺行為に取り乱す澄香。佐和子は体を襲う苦しみに歯を食い縛りながら、釈明を口にした。

「罪には罰を、だよ」

 それはこの計画の締めくくりだった。

 罪を犯した者は報いを受けるべき。佐和子のその思想は自身とて例外ではない。

 佐和子は大勢の人間を殺した。命一つであがなえる罪では決してないだろうが、それでもこれが佐和子にできる最大限のつぐないだった。

 視界が徐々に暗く狭くなっていく。涙でぐしゃぐしゃになっている澄香の顔も、もうだいぶぼやけていた。

「嫌! 嫌よ佐和子、死なないで……!」

 痛切つうせつ懇願こんがんを聞きながら佐和子は、これほどまでに自分を思ってくれる澄香と最期に話せてよかったと、心の底から感じた。

「澄香ちゃん。どうか、私と麻里奈ちゃんの分まで、強く生きて」

 そうメッセージを遺して、佐和子は静かに瞼を閉じた。

 意識が朦朧とする中、己の行いをかえりみる。

 これで、世の中に溢れる心無い言葉は減るだろうか。

 麻里奈のような犠牲者はいなくなるだろうか。

 世界は綺麗になるだろうか。

 少しでも良くなればいいな。佐和子はそう願った。


 雨上がりの空の下。

 慟哭どうこくする澄香の腕の中で、佐和子は十六年の短い生涯に幕を下ろした。

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