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 麻里奈の死は各所に影響を与えた。

 麻里奈の自殺は、インターネットが持つ負の側面が引き起こした悲劇として報じられた。世間では、インターネットおよびSNS上での誹謗中傷について議論が巻き起こり、匿名の個人による情報発信の正しいり方を今一度見直そうという風潮が生じた。また麻里奈に誹謗中傷を送った者の中で特に悪質だった数名は侮辱罪で書類送検され、見せしめのような形で注目を浴びた。

 麻里奈が所属していた芸能事務所は、タレントを保護する体制が不十分だったのではないかと批判を受け、マネジメントの在り方をこの機会に見直すとの声明を発表した。

 また、学校側もとばっちりを食った。学校は麻里奈の自殺に何ら関係がないにもかかわらず、見当違いな問い合わせやクレームが殺到し、教員を含む学校関係者らはその対処に忙殺ぼうさつされた。富田が今回の佐和子のツイートについていち早く行動を起こしたのはそのためだ。麻里奈の一件で厄介事に巻き込まれ痛い目を見たこの学校は、生徒のSNS上でのトラブルに一際目を光らせているのである。

「だから似鳥、これ以上大事おおごとになる前に投稿を消しなさい」

 富田は威圧するような声音で佐和子に再度勧告した。過ちを犯した生徒をたしなめるというよりは、面倒事に巻き込まれたくないという思いが窺えた。

 しかし佐和子だって譲れなかった。ここまで来て引き下がるわけにはいかない。

「嫌です」

 きっぱりと断る佐和子に、富田は声を荒げた。

「いい加減にしろ! 周りにどれだけ迷惑がかかると思っているんだ! 人を殺すなんて冗談で世間を騒がせて何が楽しい⁉」

 すさまじい剣幕けんまくで説教をまくし立てる富田。佐和子はしかし怯むことなく、あまつさえうんざりだと言わんばかりに肩をすくめて見せる。

「だから、冗談じゃないんです。本気で殺すつもりですよ私は」

「……は?」

 顔を真っ赤にして口角泡こうかくあわを飛ばしていた富田が、毒気を抜かれる。まったく知らない異国の言語で話しかけられたかのような反応だった。

「似鳥お前、頭がおかしくなったのか?」

「私は正気ですよ。そのうえで、宣言通り人を殺すと言っているんです」

「はっ」

 富田は鼻で笑った。

「どこにでもいるような小娘のお前が、何万人も殺すだと? 馬鹿も休み休み言え!」

「やりますよ。私は」

「どうやってだよ!? 個人が起こした殺人事件の最多死者数はせいぜい三十人程度だぞ。その何千倍もの人間をお前一人でどうやって殺すっていうんだ?」

 富田は、生徒の非行を止めるという当初の目的を忘れて、佐和子を挑発し始める。この話し合いはもはや意味を為していなかった。

 この場をどう切り抜けようかと思案していた、そのときだった。

 異変は、何の前触れもなく訪れた。

「言ってみろ似鳥! どうやって人を殺す、ん、だ……」

 垂れ流されていた怒声が尻すぼみに小さくなったかと思うと、突然富田が自分の喉元を手で押さえて苦しみだす。富田はそのまま椅子から転げ落ち、床の上で激しくのたうち回ったあと、ごぼり、と音を立てながら恐ろしい量の血を吐き出した。

「なん、だ……これ……?」

 己の身に何が起こったのか理解できない富田は、遠のく意識の中で、自分の口から流れ続ける黒ずんだ血を見つめることしかできない。

 そしてそのまま、彼は事切こときれた。

 富田に訪れた、明らかに異常な死。それを目の当たりにした佐和子は。


 柔らかな笑みを浮かべた。


「上手くいった、ってことかな」

 佐和子は変わり果てた担任教師を見下ろして推測を述べる。まるでこうなることを知っていたかのような口ぶりで。

 そのとき、遠くで女の悲鳴が上がった。どこかの教室で誰かが上げた金切り声は、校舎の中で不気味に響き渡る。そしてそれを皮切りにして、いくつもの叫び声が立て続けにくうをつんざいた。

「間違いない」

 佐和子は確信を得た。計画が成功したのだ。

 職員室にいた別の教員が、富田の異常に気付いて駆け寄ってくる。佐和子は彼らをその場に残して、職員室を後にした。

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