エスニカーニバル
〈2-A〉
「があええんん」
後ろからの声で、
「どうした、
だらしなくソファに寝そべった冥狼兎は、
「痛くないか、それ」
「は?ああ、頭とか?いやいいんだよそんなことは!いったあ!!」
勢いよく動こうとした冥狼兎は、その頭をついに悪く打ちつけた。思わぬ衝撃と痛みで、冥狼兎は高く飛び上がった。両手で押さえながら床の上で低く唸り続ける。
「う、うう、うう〜……」
「大丈夫か」
「大丈夫なわけ、ないでしょ」
半ばキレ気味に冥狼兎は我炎を睨みつける。しかしピクリとも反応せずに我炎は会話を続けていく。
「それで、何か用か。言いかけてただろう」
「同じグループのworker《ワーカー》がもがき苦しんでるのに、お前は何にも思わないんだな」
「いや、そういうわけではないが、大丈夫だと判断したもんでな、つい」
「大丈夫そうだったらほっといていいのかよ!?冷たい奴だな本当に!だから万年下級生に怖がられて好かれないんだよ!」
逆上した冥狼兎はまくし立てた。
「す、すまない」
「冥狼兎先輩」
「はあ?」
パタリ、と手元の書籍を閉じて顔を上げたのは、我炎と冥狼兎の一つ下の後輩であり、同じグループのworkerである
「冥狼兎先輩、そろそろ限度ってものを越しているんじゃないですか」
彼は厳しい目つきで冥狼兎を見つめていた。そんな風羽の態度に、冥狼兎も気分を悪くした。
「はあ?なあに言ってんの、わっけわかんないんだけど」
「度を越していると言ったんです。我炎先輩に失礼です」
「はあ?本気で言ってんの?」
冥狼兎の口調が険しさを増す。
「俺はいつだって至って本気ですよ、いつも
「なっ!!」
「ストップ!」
風羽の言葉に、冥狼兎が反射的に立ち上がった瞬間、我炎が二人の間に割って入った。
「
「駄目だ冥狼兎。お前をこのまま行かせたら、何が起こるか」
「フルボッコにしておしまいだよ!」
「そう簡単にやられてしまうと思わないで下さい」
「ほんっとに口の減らない奴だな!だいたい、いつまで座ってんのさ!こっちがこんなに怒って立って構えてるっていうのに!!」
「知りませんよ、そんな、先輩の勝手な都合」
変わらず風羽は壁に背を預けた状態で地面に両足をのびのびと放している。
「がああああ!我炎お前本当に退けよ!じゃないとお前もまとめてやるぞ!!」
「そんなことさせませんし、第一貧弱な冥狼兎先輩が我炎先輩を倒せるとは思いません」
言いながらも、風羽は読んでいた本に視線を戻す。
「ああもう無視すんな!!くっそ生意気ー!」
ジタバタと暴れ出す冥狼兎を気にしながらも我炎は全体に向けて連絡を始めた。
「さあ、本題だが」
「あっ!?お前まで無視かよ!」
「今日、この時間は新入生の見学時間だ。エスニカーニバルは新入生を歓迎する方向でいこうと思っていたんだが、みんなどう思うだろうか」
「俺は別にいいっすっよ?」
軽い調子でどこにいたのかひょっこり顔を出したのは、これも我炎、冥狼兎の一つ後輩であり、風羽と同い年の
「郁人」
「へっへー、我炎先輩今日も気付かなかったですね?」
「悪い……」
「ああもうそんなしゅんとしないで下さいよー」
「が、我炎先輩いじめるのもほどほどほにね?郁人」
横で一部始終を見届けていた、弱々しい声の主は、風羽と郁人と同い年の
「一え!何だよお、味方してくれよ!」
「やだよ、郁人についたら絶対ピンチな場面が増えるもん」
「一ひっでえ!」
ゲラゲラ笑いながら郁人は一の肩に腕を回す。嫌がる様子を少しも見せない一から、二人の気の置けない関係が見受けられた。
「ちょっ、やめてよ郁人、あはは」
「へへへっ」
「うるっさああああい!」
雄叫びのような絶叫に、郁人と一は肩を組んだままビクリとその肩を跳ね上げた。そして。
「うるさいのはお前もだろ」
冥狼兎の叫びとともに、教室のドアも開かれたのだった。
「やあ、こんにちは。君たちはエスニカーニバル、だね?」
「あ、ああ」
我炎が受け答えた。唐突に現れた訪問者は、にこりと微笑んで再び口を開く。
「僕はアレンジメントのリーダー、
「せ、生徒会長くらいわかりますよ!お疲れ様です!!」
一が律儀に頭を下げる。
「会長さんが、何のお願いっすか」
郁人は少しも改まった様子を見せずに問う。
「君たち、もうちょっと静かにしてもらえないかな。うちに来てる新入生も、流石にびっくりしてるんだよね。まあ、正確には片方だけだけど」
「ああ、それはすまなかった心」
我炎が礼をして謝罪する。
「うーん、我炎が謝るのは、ちょっと違うくない?まあ、リーダーだし、我炎の性格からそうしたくなる気持ちもわかるんだけど」
そう言って心は冥狼兎に視線を飛ばす。
「うっ……」
見つめられた冥狼兎は、たじろいで露骨に嫌悪を示す。表情といい動きといい、その全てが冥狼兎の心情を表していた。我炎は何も言わずにただ黙って心の方を見ていた。
「う、あ……ああもおう!謝ればいいんでしょ謝れば!ごめんなさい、悪かったよ!!」
「最低ですね」
ボソリと風羽が呟いた。
「んー、まあ直してくれたらそれでいいんだけど……」
穏やかな表情のまま心が発したのは、それにふさわしくない台詞だった。
「いい加減そういう態度改めないと、やっていけなくなるよ、冥狼兎?」
「ひいっ!!」
ただ一言を残し、心はエスニカーニバルを後にした。
「な、何、何なのあいつう!!」
恐怖心と脅迫めいた予言に冥狼兎は完璧に震え上がっていた。風羽が
「何さ風羽!」
「いや、別に何でもないですよ?ただ、情けないなって思って」
風羽は静かに、哀れむように冥狼兎を見据えた。
「そんな目を向けるなあ!」
ぷんすかと怒りながら冥狼兎は四肢をばたつかせる。
「お、落ち着いて下さいい!」
一がつられてオロオロと慌てふためきだす。
「冥狼兎」
「ぷううう!」
手のつけられない子供のような冥狼兎を制しに入ったのは、我炎。
「落ち着けよ、後輩たちだって見てるんだ」
「知らないよっ!こんな可愛くもない後輩なんてさ!」
「冥狼兎」
冥狼兎の返答に、我炎も眉をひそめる。それは悲しい表情だった。一は俯き、郁人は冥狼兎から視線を外した。風羽だけは一線に冥狼兎を見ていた。風羽の表情が動くことはなかったが。
「う、うう」
冥狼兎がか細く唸る。
「俺から言うことは何もない。好きにしろよ、今日の集まりは解散にする。どうやら新入生も来ないようだしな」
「わ、わかった……了解、リーダー」
膨れながらも冥狼兎はそう言い、足早に部屋を出て行った。
冥狼兎がいなくなった空間は、とても沈んだ空気で満ちていた。
「冥狼兎先輩、あんな風に思ってたんですね」
一が明らかに肩を落として悲しそうにそう言った。
「安心しろよ、一。冥狼兎だって本心からああ言った訳じゃないさ。俺が保証する」
一の肩に優しく手を掛け、我炎が言う。
「あいつと一番付き合いの長い俺が言うんだぞ?」
「はい、我炎先輩……ありがとうございます」
無理に口角を引き上げてそう言うが、一の表情は悲しいままだった。
「いいじゃん、一〜、そう落ち込むなよ。あんな先輩に何言われたって別に良いじゃねーか」
「郁人?」
一は発言者の郁人を見上げる。
「何、言ってるの?」
「冥狼兎先輩だぜ?あの人に嫌われようが恨まれようがどうでも良くね?気にすんなって言ってんの」
「そんな……無理だよ」
一は遂には泣きそうな勢いだたった。我炎が背中や肩をさすって必死に落ち着かせようとする。
「郁人は、冥狼兎先輩が嫌いなの?」
「はっ、別にどっちでもないね。誰が好きとか、誰が嫌いとか、そういうの、どーでもいい」
郁人の吐き捨てた言葉は、極めて冷たいものだった。氷の刃のような。そして、一はザックリ切られた心地だった。
「そんな……何で、そんなこと」
「俺はさあ、そういう感情?情とか熱とか気持ちとか?まして心とか?そういうもんが、よくわっかんないんだよねー、お利口さんな《一》と違って」
「郁人」
「郁人、やめろよ」
見兼ねた我炎も郁人に注意するが、効果はなかった。
「ははは、じゃっ、そういうことなんで、今後ともよろしくー。んじゃ、お先ーっす」
片手を挙げてひらひらと左右に振りながら郁人も退場した。部屋の中の空気は更に重く冷え上がった。
「はあ」
変わらず部屋の隅で全てを見ていた風羽が溜め息を吐いて腕組みを解く。
「どうしようもない人ばかりですね。我炎先輩、お疲れ様です」
「いや、すまない。俺が不甲斐ないばかりに」
「俺が望んでんのはそんな我炎先輩の言葉じゃないです。唯一欲しいのは、あいつらの謝罪だけです」
最後に一言強く言い放ち、風羽も立ち去ろうとした。
「風羽」
「何ですか、我炎先輩」
「あんまり、あいつを……冥狼兎を嫌わないでやってくれないか。あいつも、根はいい奴なんだ」
「甘いですね、我炎先輩は。流石の我炎先輩の貴重な頼みでも、それは出来かねると思います」
「そうか」
「根はいい奴、なんて言っていたら、どんな法律だって無意味ですよ。この世には、明確に悪という烙印を押す必要があるんです。そうでもしなければ、世の中はねじれ上がり、向かう先は、崩壊です」
返事も反応も気にかけず、風羽は一直線にドアに向かい、そのままその場を後にした。
残ったのは、完全に落胆してしまった一と、一を抱き支える我炎だけになった。
「我炎先輩は、どうしてこのグループ……エスニカーニバルを創ったんですか」
「それは」
「みんなバラバラで、どうしたらいいか僕には、もうっ!」
「やめろ一、そんなこと考えなくていい。それを考えるべきはリーダーである俺だ。思い詰めるな、お前は真面目で、壊れてしまいそうだ」
「僕は、でも、このままじゃ」
「ああ、そうだな。このままじゃ駄目だろう。もしかしたら、いずれ終わってしまうかもしれない」
「うう」
「でもな、一。きっと大丈夫だ。それに、俺が何とかするさ」
「我炎先輩」
「俺が信用出来ないか」
「う……いいえ、我炎先輩を、僕は信じます」
「ありがとう、いつも迷惑ばかりかけてすまない」
「そんなこと!」
「さあお前ももう行け。今日はゆっくり休むんだ。新入生歓迎ステージ、かなりいい出来だった。上手くなったな、動き方。基礎がちゃんとしてきてる」
「ず、ずるいですよ。そんなこと今言うなんて、でも、ありがとうございます」
一は足と腹にぐっと力を入れ、我炎の腕から抜け、一人で立ち上がった。
「気を付けろよ」
「はい、ではお先に失礼します」
またも律儀に会釈をして、一も出口へ向かって行った。一人残った我炎は、僅かに息を吐く。
「駄目、なんだろうか、冥狼兎。俺は、俺のこの感覚はやはり、ズレているのだろうか」
重く膨れ上がった冷たい空気は、空間の中央に独り佇む我炎の上に乗っていた。
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