uniformer

〈2-B〉


 カタカタ、カタ。背もたれに顎を乗せ、前後に揺れると、それに合わせて四脚も歌う。さらにそれに合わせて、少年も口ずさむ。


「あおーい、青ーい、こおーのーそーらへ飛んで行けー、きっとーきづーくさあー、そーのー心にいー」


「『晴天せいてん』?しょう


 側で目を細めてそう聞いたのは、少年の一つ上、三年生の高坂幹久こうさか みきひさだった。彼は翔の隣の机で頬杖をついて歌う翔を見ていた。


「は、はい!高坂先輩の『晴天』は俺のだいっ好きな曲です!名曲です!!」


 興奮する翔に対して、幹久は少しだけ遠い目をする。

 幹久は、被服科所属のグループ『uniformer(ユニフォーマー)』のリーダーだが、かつてはとあるアイドルユニットで活動していた。その頃にリリースした曲の一つが、翔の歌っていた『晴天』だ。


「あ、あの、高坂先輩?」


「え、ああ、大丈夫。ちょっと昔が懐かしいなあって思ってね。少しだけね」


「あ、ああ、そうっすか」


 下手なことを言ったのではないかと内心焦る翔だったが、幹久の笑顔でそれも少し紛れるのだった。そんなとき。


「ねえ、ここってuniformerの活動場所?」


 不意に後方のドアから声が飛んだ。翔が声の方向を向くが、何者なのかを確認するよりも早く、振り返った方とは反対からも。


まさ……?」


 幹久の声が降った。翔がもう一度振り返り直すと、幹久が目を見張って驚きの表情で唖然あぜんとしていた。


「高坂せんぱ……」


「正なのか!?」


 翔の言葉になど耳を貸さず、ガタタタタと大きな騒音を立てて幹久は椅子から立ち上がった。あまりの勢いに翔は身を引く。


「正、お前」


 まるで、空間には幹久と侵入してきた謎の男子生徒しかいないかのようだった。


「みっ、幹久先輩!!」


 そんな空気に耐えられず、翔は精一杯に叫び声をあげた。ハッとした様子の幹久が、翔に視線を向ける。


「しょ、翔……ああ、ああすまない……その」


 いつになく弱々しい声で、言う言葉も定まらない幹久。


(こんな先輩は……見たことがない)


 幹久をこのようにした原因に、翔は視線を投げつける。


「お前、誰だよ」


 見ると、そこにはとした少年が一人立っていた。マッシュルームヘアに近い形状のおかっぱ。薄い紫色が、自分の濃い髪色とかぶって見えて、翔はかすかな不快感を覚える。つぶらな瞳は気怠けだるそうに細く、いかにも無愛想な彼だった。そして翔は見つけた。


「その胸の科花かか、青ってことは新入生……?お前、その態度はどうかと思うぞ」


 翔は、その少年の左胸に刺さっていた科花を指差しそう言った。


「幹久、そいつ何?ちょー生意気で怠い」


「はっ……!?」


 あろうことか新入生は、翔を指し返してそう言い放った。見下すような態度は、後輩あるまじきものだった。


「お前なあ!」


 このとき、翔が続きの言葉を飲み込んだのは、彼の憧れの先輩、幹久が制したからだった。幹久は、背を向けて翔の前に立ちはだかった、正と対峙する形で。


「翔、悪いな。ちょっと辛抱してくれ。あと」


「……え」


 幹久の口から出た言葉に、翔は体が凍りついていきそうな心地だった。


「ど、どういうことですか……お、俺が?」


「ああ、そうだ。本当にすまない。今だけ、少し出て行っててくれないか」


 再び幹久にそう宣告され、翔は処刑台に向かうような面持ちで教室の出口へ歩みを向ける。


(幹久先輩……)


 悲しい。それだけが、がっくりと落ち込んだ翔が言語として言い表せる感情だった。


 ***


 ガラガラと寂しい音を立て、教室のドアが開かれた。窓枠に腰掛けていた翔は咄嗟に立ち上がる。


「幹久先輩っ!」


 ショックを受けても反射的に反応してしまうのは、やはりそれだけ思いが大きいからだった。


(俺、幹久先輩とは絶対に離れない!たとえ、どんなことになっても……)


「翔」


「は、はいっ!!」


「悪かったな。さあ、入れ。入団希望者もいることだしな」


「え?」


 導かれるままに教室に入ると、先ほどの生意気な謎の新入生が席に着いていた。


「翔も、座って」


「はい……」


 そう言うと、幹久は机を寄せ始め、三角を作るように三人の椅子を付き合わせた。


「翔、改めて、こいつは寺角正てらかど まさ。今年度の被服科新入生だ」


「はい」


 訳もわからず状況も飲み込めないでいるまま、翔はひたすら返事をしていた。


「正はさ、本当は俺と同い年なんだよ」


「はい……ええ!?」


「うるせえ」


「翔、正を入団させるかみめる前に、お前に聞いて欲しいことがある」


「え……な、何でしょう……か」


 改まった幹久の態度に、翔は緊張する。


「この一年間、お前には話したことがなかったことだ」


「はい……」


 ゴクリとつばを飲む。


「正と俺は、花幸学園に入学しようと、互いに誓い合った仲で、幼馴染なんだ」


 ***


「おい幹久、いいか、お前だけおちたら絶交だかんな」


「あはは、わかってるよ。正、何度も言ってただろ」


「ふん、お前のことだからいつ忘れたって不思議じゃねーんだよ」


「見くびられたものだなあ、俺も」


 俺と正は、いつだってお互いに高め合える仲で、ふざけた冗談を除いては、いつだって本音と本音でぶつかって磨き合ってきたんだって思ってた。少なくとも、俺は。だけど、そうじゃない面だってあったんだってことを、俺は思い知った。


 花幸学園の合格発表のあの日に。


「正あー!高坂君来てるわよー!出てらっしゃい!」


 正は、塞ぎ込んで、部屋に引き篭もった。そしてそのまま、俺の前に姿を見せてくれようとしなかった。


「正……俺ら、最高のタッグだよな?」


「高坂君ごめんなさいね。正、全然出て来ようとしなくて……もう部屋に上がっちゃっていいから、行ってきてくれる?」


「あ、はい。じゃあ……失礼します」


 俺まで、緊張した。正は、一体どうしたんだろうと思った。あんなに強くて、優しくて、憎まれ口がからくって、俺にいつだってはっぱをかけてくれた、俺の親友は。

 部屋に入って、何が起こったかようやくわかった。


「正……」


 泣きそうに、いや、泣きたくなった。俺たちは、全然わかりなんかなかった。俺は、俺だけが正を気のおけない親友だと思っていたのだと理解した。遅すぎる認識だったけど。


「正」


 もう一度読んだ名前。それは、ずっとずっと読んできたものだったはずなのに、それなのに。


(どうして、こんなに苦くて硬いんだよ)


 強張った頰と引く血の気に、俺は生きた心地がしていなかった。口の中で転がす大好きなその名はもう、呼んでいいものなのかわからなくなりそうなほどだった。眼前の少年の目を、見れなかった。


「ま、ま」


「幹久」


 自分の名前を呼ばれて初めて彼が彼に戻ったと思った。でも、次に発せられたものは、俺にとって大きな棘と化した。後に、俺の他人への執着心の根源となるものだった。


「絶交」


「正!?」


 気が付く間もなく叫んでいた。それは盛大な拒絶反応だった。俺は、まだまだ残り香にすがっていたかった。絶対にずっと一緒にいるのだと誓ったあの日の親友と。


「覚えてない?お前だけ落ちたら絶交、っての。本当笑えるよな。誰が言ってたんだか」


「笑えねーよ……全然!笑えねーよ!!」


 怒れず泣けず、そして笑えず、心は行き場のなさに追い詰められてのたうちまわっていた。


「何焦ってんの。馬鹿みたい。幹久は、そんなんじゃないでしょ」


「そんなん?」


 心底わからず首を傾げる。正は再び乾いた笑いを挟んで言う。


「幹久は、もっとしっかり者で、何にも動じないで、冷静沈着で」


 紡がれていく単語に、俺が何か言えるわけもなく、そのまま長く糸になっていく。


「実力をきちんと発揮できる奴だ」


 そう言ったとき、正の目から遂に流れた。


「正……正、まさ、まさ!」


 俺は咄嗟に正の肩を毛布の上からひっ掴み、ひたすら前後に揺さぶった。がむしゃら、というのはこんな風なのか。そんなことが頭をよぎっていた。


「幹久、俺は、俺はさ、もう駄目になるかもしれない」


 そう正が言った瞬間、動きが止まったのを、客観的に自覚していた。


「なっ……そんなこと、言うなよ……!」


 不躾ぶしつけに吐き出す言葉はボロボロで、繊細さなんてものの欠片もなく、闇雲に投げつける丸まった紙屑かみくずか石ころのようだった。


「正、お前は絶対に凄い奴なんだよ!どうしてそんなこと言うんだよ!」


「落とされたからだよ!!」


 泣き叫んでた俺よりひと回りもふた回りも大きく、正は絶叫じみた声を上げた。俺の呼吸も止まる。


「言っただろ……お前は、実力を奴だ、って」


 正の真意の片鱗へんりんを、そのときようやく読み取った。俺は、おのれの鈍感さに狂いそうな思いだった。何も言えず、何もかもを流して、静かに表情だけを浮かべて、一直線に目の前の正だけを見ていた。正は、そんな俺と一度も視線を合わせようと見ることはなかった。

 やがて何時間も経ったような感覚の中、音もなく立ち上がり、後ろ髪を引かれながら、何度も正を振り返って、そのままその部屋を立ち去った。それから、俺たちが連絡を取るようなことはなかった。


 ***


「お前は、あの時死んだんだって思ってた」


「馬鹿か、人間ちょっとやそっとじゃ死ねねんだよ」


「うん、本当に、よかったよ」


 幹久の声は安堵あんどであふれていて、第三者以下の翔でもわかるほどだった。


(俺は、こんな幹久先輩を知らない)


 心配や不安が取り除かれた彼の元に残ったただ一つはその思い。


(先輩、俺、この人が来たuniformerでも、いていいんですか?)


 きっとuniformer《ここ》は正のために残した場所だ、翔はひしひしとそのことを感じ取っていた。そしてそれが、ひどく酷く悲しかった。

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