season actors

桃坂とうさか家〉

 ほんのり暖かい今朝の日光は、控えめだけど明るい空間を提供してくれる。十畳あるリビングのカーテンが、揺れた。


「ほへー、す、凄いや……今日から僕も花幸かこう学園でアイドルに……あだっ!」


「あんた何言ってんの?朝食まだで寝間着のくせに。そもそもあんたは被服科でしょうが」


 夢の実現を目前にして僕が惚けていたら、姉ちゃんからツッコミが飛んできた。姉ちゃんはソファーに横になってて、肘掛けを使って頬杖をついていた。


(女子高生がちょっとアレじゃないかなぁ。スマホいじって足組んで)


 とまあ、そんなことを言えるわけもなく。


「ね、姉ちゃんにそんなこと言われなくても、わかってるよ!」


 まともにツッコまれて恥ずかしかったので僕も抵抗はした。姉ちゃんにはスルーされたけど。


「はぁー、私だって『快楽』に会いたかったのになぁー。それにあんたの入学式だって……」


 姉ちゃんはそう言って少し俯いて口ごもる。『快楽』っていうのは花幸学園に所属している二人の名前。黒田快くろだ かいさんと白川楽しらかわ らくさん。二人は被服科所属で、去年全校祭に行ったときに姉ちゃんと僕とでステージを見たんだ。そのとき姉ちゃんは二人のファンになったらしい。


「仕方ないよ姉ちゃん。式には来てほしかったけど……授業休むわけにはいかないでしょ。それにさ、母さんと父さんのビデオで観れるんでしょ?」


 姉ちゃんが急にこっちを見た。でも、睨んでるように見えなくもない。


「私は、今朝いまがあんたと会える最後の時間じゃない」


「え……」


 姉ちゃんは続ける。


「ママとパパは、学校で、直前まで雪斗といられるけど……私は、今この時間がラストじゃん。あんたが寮に入っちゃうから……。絶対実家通いだと思ったのに」


 言い切って、姉ちゃんはしょんぼりしていた。


「姉ちゃん……」


 姉ちゃんの言葉は、すごく嬉しかった。でも今更何かを変えるわけでも、変えられるわけでもない。僕にそんな気持ちは少しもないから……だけど。


「姉ちゃん、僕、いつか必ず姉ちゃん宛に快楽先輩のサインもらってくるから!」


「ええ!?」


 それは、僕の決心だったんだ。

 学園でも一生懸命山を登っていって、快楽先輩の視野にだって入るくらいになる!って。


「ふふっ。ありがとうね、雪斗。じゃあ、お姉ちゃんそろそろ行くね」


 そう言って姉ちゃんはソファから起き上がった。てきぱきと春用のトレンチコートを着て、スマホを片手にかばんを肩にかける。


「またね。行ってきます」


 姉ちゃんは、僕の方をしっかり見つめて言った。そして、そそくさと身を翻して玄関に向かった。


「うん、またね、姉ちゃん。いってらっしゃい!」


 できる限りの元気で、僕は力いっぱい叫び、右手を高く挙げる。


(ありがとう姉ちゃん)


 結局最後まで振り返らなかった姉ちゃんの背中を、僕は一瞬も目をらさずに追い続けた。


〈通学路〉


「よ、よし!今度こそ、本当に来たんだ。が、頑張れ僕、!早く馴染めますように!よし!」


 勇気を出して勢いよく一方踏み出す、けど。


「わぶっ!」


 思わぬ衝撃に見舞われた。両手と共に尻餅をつく。


「ってーし」


 不機嫌そうな声が横から聞こえる。恐る恐る顔を上げてみる。


「何あんた。周り見てんの?てか、電柱の影から出てくるって、何。忍?」


 黒髪さらさらな男の子が、怖い顔で僕の方を睨んでいた。同じように尻餅と両手をついて。背も多分、僕と同じくらい……もしかしたら、僕より小さいかもしれない。


「ち、違っ……!」


 忍かと言われたので慌てて反論しようとすると。


「だろうね」


 途中でぶった切られてしまった。


「制服、学園のだし……新入生か。入学式の日にこんなところで何してんの。遅刻デビュー、狙ってんの」


「んなわけないでしょ!」


 おい、と言わんばかりにツッコむ。ぶつぶつ切れる彼の言葉は誰が聞いてもぶっきらぼうに聞こえる。見た目とあいまってきっと色々勘違いされるタイプなんだろうなぁ、とこれは僕の邪推。


「ふ、面白、俺にツッコむとか、新鮮」


 くくく、と笑われる。口に手を添えてもう片方は肘を掴んでいる姿はとても綺麗で絵になっていた。そして僕は気付いた。


「あ、君も……」


「気付くの、遅」


 そう言って、その子は左胸ポケットをつまむ。青いガーベラが静かに刺してあった。その青は一年生であることを表す色で、花の種類は学科を示す。


「君の名前は?」


「自分から名乗るでしょ、普通」


 鋭い指摘にひるみながらも僕は自己紹介をした。


「ゔっ、ごめん……僕は桃坂雪斗とうさか ゆきと


「俺は雛摘海真ひなつみ みま


「み、海真君っ!」


「は、何、急に」


 こんな表現をしたら変人奇人だけど、僕は突発的に叫んでしまった。海真君は怪訝な顔だったけど、僕はなぜか彼に惹きつけられたんだ。


「って、呼んでもいいかな?」


「は……別に、いいけど……雪斗」


「あっ、あ、ありがとう!」


 海真君の言葉が、名前を呼んでくれたことが嬉しくて、僕は浮き足立ってしまった。海真君に「転ぶでしょ」と指摘され、本当にそうなりかねないのでそれ以上のリアクションを控えた。

 僕らはまだ座っていることに気付き、間抜けだねと笑いながら立ち上がって歩き出した。


「で?電柱の影から学園を遠巻きに見てた理由は?気になるんだけど」


「へ!?」


 そんなに気になることかな、とも思ったけど確かにおかし過ぎる光景だっただろうと思い改めた。僕には説明責任がないとは言い切れないかもしれない。


「う……いや、緊張して……近づけなくて……ついに来たぞ!っ、て自分で奮い立たせてたんだけど」


「わっ、何それ本気?マジで?大袈裟おおげさ


 海真君は、本当に驚いたらしくて、真顔で言われてしまった。


「み、海真君にとってはそうでも!僕にとっては……凄いことなんだよ」


 言いながら、しゅんと落ち込む。僕にとって花幸学園への入学は、本当に凄いことだし、何よりずっと憧れてた夢だ。


「……ごめん、軽率だった」


 海真君は腕組みを解いて僕の方をじっと見据えていた。その瞳は漆黒で、光を反射して真剣な表情の中できらめいていた。そんな目で見られたものだから不意をつかれたように焦ってしまった。


「え、海真君って、謝るタイプなんだ……」


「はー?何それ感じ悪ー」


 僕の台詞に、海真君が不服そうに目つきを鋭くする。自分の過失に気付いて慌てて訂正する。


「ぎゃ!ごめん許して!僕なんかに謝ってくれたのが嬉しかっただけなの!!」


 必死に弁解する僕に、海真君は笑った。


「ふはっ、ウケる」


 優しく笑ってくれたその表情が嬉しくて、僕はホッと胸を撫で下ろす。


「でもさ」


 不意に海真君は言った。


「学園に入ったら、自分のこと、そんなに下げない方がいいと思う。周り、自信持ってる奴、多いと思うから」


 相変わらず片言並の日本語だったけど、海真君なりに沢山喋ってくれた。


「え、あ……ああ、そうだよね!うん!ありがとう!」


「で、行くの」


「え、どこに?」


「学園」


「いっ、行くに決まってるだろう!?」


 海真君に終始翻弄されながら、僕は夢に場所に向かって一歩ずつ踏みしめた。


 ***


〈廊下〉


「ほへー、入学式、終わったねー」


 伸びをしながら言う。背中から鳴る音が僕の背筋をねぎらっていた。


「学園長、話、長過ぎ。希望や夢がなんちゃら、とか。日々のなんとかがなんちゃら、とか」


「はいはい海真君、そういうこと言わないのー。しかも内容ほとんどなんちゃらじゃん……」


 入学式が終わってやっと海真君への接し方を掴んできた。


「海真君クラス何組だった?」


「2。雪斗は?」


「あー、僕は3組だったよ」


「……そっか」


 ちょっと残念そうだったのは僕の気のせいじゃないはず。離れてしまったことを知ってか、君は少し俯いて軽くそっぽ向いた。いじけているようで可愛いな、と思ってしまった。


「まあ、同じグループ入るし」


 思いがけない即答、しかもその嬉し過ぎる内容に僕の思考回路は一瞬停止した。


(何だよう……意外と凹んでると思ったのに不意打ちとか……)


「う、うん、そうだね……ふふふっ」


 つい笑ってしまう。仕方ないよね。だって僕は単純なんだもん。


「何笑ってんの」


 溜め息と共に僕の方をジロリと見る海真君は、相変わらず毒を吐くような口調だけど、もしかしたら照れているのかも。


「だってさー、くふふふふ」


「そろそろ気持ち悪い」


 快活なその一言で、僕は一気に大人しくなる。


(折角せっかくいい雰囲気に浸ってたのにさ、そんなはっきり真顔で言わなくても……まあ海真君いつも真顔だけどさ。いつもってゆうか今朝会ったばっかだけどさ。とにかく、今のは結構刺さったよ?)


「あ、教室」


 長考の最中さなか海真君がそう言ったから顔を上げてみると、前方に『1-1』と書いてあるプラスチック製のプレートが見えた。プレート下のドアに、他の1年生たちが流れ込むように続々と入っていている。


「あ、じゃあ海真君ここだね」


 2組のドアの前で僕はにこりとして海真君を見た。


「海真君?」


 でもその海真君が黙っているから顔を覗き込んだら、海真君はスタスタと教室の方へ歩いて行こうとした。突然の放置に驚いて、思わずを追いかけて袖を掴んでしまった。それと同時に。


「3組でも頑張れ。でも俺のこと忘れて置いてかないで」


(えっ?)


 ぱっと顔を上げたときにはもう海真君が目を逸した後だった。けれど、それは確かに僕に向けられたものだったはず。力が抜けた隙に腕をするりと抜かれ、静かに歩き出した海真君を見てようやく僕の思考が帰ってきた。


「う、うん!海真君もねっ!」


 滑り込ませた言葉は間に合ったようで、去ろうとしていた海真君が立ち止まる。僕の行動が予想外だったんだろうか。でも、言い逃げなんてずるいだろ。振り返ってくれた海真君はむすっとしたように口を尖らせていた。海真君のそんな表情は、今朝と違って、もう、怖くない。


 ***


〈放課後 1-2前廊下〉


「はあー!緊張したよー!」


「ん、お疲れ様」


 帰りのHR終了後、チャイムが鳴ると速攻合流した僕を海真君はねぎらってくれた。窓枠に腰掛けて話す。縦に長い、ステンドグラスのような窓が沢山の光の粒子を閑静な廊下に注いでいた。


「海真君はどうだった?2組」


「ん、変な奴、いた」


「へ、変な……?」


 正面の教室をぼやっと見つめながら海真君はそう言った。


(な、何だろう……『変な』って。自己紹介で踊りだす人でもいたの?)


「外国人」


「はへ?」


 唐突な発言に困惑させられっぱなしの僕だったけど、何とか咀嚼そしゃくしていく。


(えーと、あ、ああ、外人さんがクラスにいたのかな……って違う!)


「外国人は別に『変な奴』じゃないでしょ!」


 内心でツッコもうとも思ったが、口をついて出てしまった。海真は、特に何も言わずにいたけど、しばらくしてから口を開いた。


「別に、外人が変、じゃなくて、その外国人が、変、だった」


「あ、あーそういうことね?もー、海真君言葉足らずなときあるってばー。たまに焦る」


 ガックリ肩を落として僕は息を吐き出す。本当、内容によってはえらいことになるからこの美青年は気が抜けない。


「ま、まあ、確かにいたよね。二人だったら覚えてるよ、名前。当の本人たちはいなかったけど、先生が読み上げてたよね。名前キングだったし印象強いよね。もう一人はシリウス、だったかな。ていうかやっぱり、不思議な人は沢山いたよねー。流石花幸学園」


 入学式のときのことを思い浮かべて話していると、隣の海真君がポカーンとしていることに気がついた。


「海真君?」


「雪斗さあ、覚えてんの?」


「何を?」


 話が見えず、僕は顔を少ししかめてしまう。


「名前ってゆーか他の生徒のことってゆーか」


「え?うん、まあ」


「すっご……」


 海真君はただ一言そう言った。


「え、これって、すごいこと?」


(と言うか、海真君が僕を『すごい』だって?)


「あっ、でも前に姉ちゃんに言われたことあったかな。僕の記憶力がちょっと異常だって」


(あのときは確か、姉ちゃんが苦戦してた暗唱の課題をチェックしてたんだ。姉ちゃんの暗唱手伝ってたら僕の方が全部覚えちゃって、姉ちゃんいじけたんだよねー)


 そんな遠い記憶を掘り起こしていると、海真君が納得したように真顔に戻っていた。


「だよな。なら、いい。雪斗が普通だったら、やばい」


「そういう海真君は?ちゃんと覚えた人いる?」


 なんとなく返答内容は予想できたけど聞いてみた。


「俺、入学式は寝てたし、自己紹介は興味湧かなかったからそれも寝てたし」


「はいい!?」


(寝っ……!?式中に!?第一印象決定会中に!?猛者もさ!?いや、そもそもさ)


「入学式のとき、海真君遅れずに起立も着席もしてたよね」


「あ?あー、まあ、確か……ってよく知ってんな……!?隣の席でもなかっただろ」


 ちょっと引かれてるのがわかって僕もあたふたし始めた。


「だってそーゆー風に目立ってた人いなかったもん!」


「逆算かよ!?頭いいなあ!」


「海真君だってきっと頭いいでしょ!」


 意味もなくギャーギャーやっているうちに、僕らはお互い大接近していた。1秒見つめてそろりと離れる。お互い、同時に。


「やっぱり海真君の方がすごいじゃん」


「もう否定すんのも面倒になってきたな、それ。どーも」


 観念したように海真君は僕にお礼を言った。


「で、どーするよ、一番目」


「ん?……あっ、見学!」


「それ忘れるかよ普通」


 呆れ混じりに海真君は笑う。そう、今はグループの見学時間だ。新入生がそれぞれ自由に、自分が所属する学科の色んな班を見てまわれる時間。要するに、部活動見学みたいな感じ。


(僕たち、なにやってるんだか)


 さいわい、周りには人がまだ結構いた。


「じゃあ、とりあえず順番に行こっか」


「ふっ、雪斗らしい。了解」


 僕たちは窓枠から腰を上げて、会話を続けながらあゆみを進めた。


 ***


〈3-1前廊下〉


(き、緊張する!!)


 手が、足が、全身が震え始めて、口が乾いてきた。閉ざされた扉の前っていうのはどうも苦手だ。自分から新世界にお邪魔する勇気っていうのは想像以上にエネルギーを要する。

 しかし、そんな僕をよそに海真君がするりと教室のドアを開く。


「お邪魔しまーす」


 しかも間延びした挨拶で。


「みっ、海真くっ」


「なに緊張してんの?さっき来たじゃん」


 首をかしげて「は?」の表情で海真君が言う。彼はすでに半歩教室に入っていた。確かに僕らは全グループをまわってここに戻ってきた、けど。


「いやそうだけど……」


 自分の声の合間に足音が聞こえた。僕らが入団希望するこの『season actors《シーズンアクターズ》』のリーダー、春岡桜四朗はるおか おうしろう先輩がそこにいた。


 ***


「season actorsに入団させて下さい!」


 僕と海真君は机を挟んで向かい合っている春丘先輩に言った。まあ、正確にはズレズレだったんだけど。相変わらず海真君の台詞は間延びしていたし、僕は早口で若干噛んでいた。春丘先輩はというと、持ち前の明るさでひたすら笑った。


「あははは!そう緊張すんなって!大丈夫だから」


「はい……」


 春丘先輩と僕と、海真君。三人しかいないこの教室で、緊張しない方が無理だ。


(海真君は飄々ひょうひょうとしてるんだよなー、いいなー)


 隣に座っている海真君を横目でチラリと伺うと、いつも通りの表情。


「で、入団の話だが」


「は、はい!」


 慌てて春丘先輩の方に体の向きを変える。


「悪いが、独断するわけにはいかねーからさ、もうちょっと待っててもらえるか。すぐ帰ってくると思うんだ」


「は、はい……」


「リーダーなのに、ですか?」


「み、海真君、先方にだって事情っていうものがあでしょ」


「お前おもっしれーな……『先方』とか生徒の口から初めて聞いたぞ」


 どこかにハマったのか、笑い続けている春丘先輩だった。

 そのとき、後方で教室のドアが開いた。


「オウお待たせー……ってあれ、新入り?」


 振り返ってみると、明るい茶髪をサラサラと揺らして、スラリとした男の人が入り口に立っていた。よくよく見ると、被せるように流している前髪の隙間から右側だけ刈り上げが見え隠れしている。緑の瞳が窓からの日差しを受けて、透けるように光を帯びていた。それに加えて、長身なことがそれら全ての魅力を増幅させているように思えた。その人はseason actorsの副リーダー、秋庭紅葉あきばもみじ先輩だった。


「おー、コウおかえりー!そう、新入りだ。さっきの、ほら、えーと……」


 急に春丘先輩が口籠ごもった。


「あれだ、その……自己紹介するって言ってたぞ!」


 なかば本気でコケそうになった。


(なにをためらっているのかと思ったら、名前が出てこなかったんですね……)


「いや、オウが名前忘れただけでしょ」


 僕がそ胸の内でそう思っていたら秋庭先輩がスバリと言ってのけた。そんな遠慮のなさに、信頼し合っている2人の安心感が感じられた。


「い、いや自己紹介は大事だぞ!」


「オウ……」


 まだ弁解を続ける春丘先輩。それに対して冷ややかな目を向ける秋庭先輩。そんな構図がおかしかった。


「よーし!じゃあそっちのくるくる水色パーマからだ!頑張れっ!」


「え!?」


 突然の指名に慌てふためく僕を見て、秋庭先輩がフォローを入れてくれる。僕の様子を見かねたのかもしれない。


「ほら、雪斗君も困ってるでしょ?突然指ささないの」


 しかも秋庭先輩は名前を覚えてくれていた。


「桃坂雪斗君に雛摘海真君だったよね。入団希望で戻って来てくれたの?」


 物腰柔らかく、秋庭紅葉はそう言ってくれた。


「はい!ぜひよろしくお願いします!」


 バッと頭を下げた上から軽い笑い声が降った。


「オウがいいなら。全部の被服科班まわってから来てくれたんでしょ?それでseason actorsを選んでくれたならなおさら大歓迎だよ」


 僕は秋庭先輩の笑い方に違和感を覚えていた、実は。なんて言っていいのか明確にはわからないけど、仮面のように思えた。人形のように綺麗な顔立ちだからその裏返しかもしれないけど。


「それじゃあオウ、お前が好きな自己紹介を改めてやろうか」


「おう!」


 秋庭先輩がそう提案すると、春丘先輩はわんこみたいに喜んでいて、尻尾が見えるようだった。そして、そのとき僕は不思議なことを思った。


(あ、秋庭先輩笑ってる)


 その表情は人形とは思わなくて、キラキラと眩しかった。


「じゃあ改めて始めるか!新入生二人から頼む」


「はい!」


 春丘先輩の音頭に威勢の良い返事をして、1回目同様僕からスタートする。緊張はもうだいぶ解けてきた。


「1-3の桃坂雪斗です!冬担当希望で入団しました!衣装作りは全くの初心者ですが、よろしくお願いします!」


 先輩と海真君が拍手してくれた。思いのほかスラスラ言えてよかった。次に、「はーい」と言ってゆるゆると海真君が手を挙げる。


「雛摘海真でーす」


(うんうん、今朝会ったばかりの、でも、もう僕の大事な……)


「……」


「……」


「……」


「……」


 流れる時間と空気。僕でも感じ取った。鈍感でよく天然って言われる僕でも。これは。


「海真君もしかして終わり!?それで終了!?」


「もしかしなくてもそう」


 思わず立ち上がってしまった僕に対して「当たり前だろ?」と言うように海真君は即答した。むしろなんで僕が騒いじゃってんのかわからないと言いたげな瞳を向けてくる。


「いやもっとなにかあるでしょ!」


「え、名前以外に何言えばいいの、逆に……あ、よろしくお願いします」


「うんうん、挨拶忘れちゃ駄目だよ!ってそれもそうだけど違うー!!」


 コントのような滑稽劇を繰り返す僕と海真君をなだめたのは秋庭先輩だった。なんだか今後もこんな感じの流れで活動していくんだろうな、と想像してしまう。


「まあ、じゃあ僕らのことも言わないとね?オウ、俺からいくよ」


「おー」


(あれっ、今)


 微かに感じた違和感。まただ。秋庭先輩には違和感が多過ぎる。でも、僕のそんな考えをよそに自己紹介が始まったので僕は考えることを保留した。


「改めまして、副リーダーの秋庭紅葉です。2-1で、オウとは1年生の頃からずっとseason actorsで活動してきました。何か質問があれば、いつでも聞いてね。答えられる範囲で教えるから。あ、あと」


 ふと思い出したように秋庭先輩は続けた。


「僕は硬式テニスの副部長もやってるから、よかったら来てね」


「ええ、あ、そうなんですか!すごいです!」


「ははは、そんな大したことはないよ。僕自身あまり強くもないしね」


 そのときだった。「なあ、オウ?」と振り返った秋庭先輩の表情が、途端に曇った。その緊迫した空気で、僕も先輩の視線を追って、その先には。


(春丘先輩?)


 春丘先輩は、僕が今日見た中では珍しく黙り込み、険しい顔で俯いていた。なにかを真剣に考え込んでいるように思えた。春丘先輩も秋庭先輩も目を合わせないまま微動だにせず、教室の雰囲気は徐々に重くなっていた。僕にはそんな気がした。

 そんな空気を裂いたのは海真君だった。


「秋庭先輩って、テニス部なんですか」


 弾かれたように振り向いた秋庭先輩は、本当に不意を突かれていた。


「あ、ああ、そうだよ」


 秋庭先輩の語調には、どこか不安が拭いきれずに残っていた。


「へー、そうなんすね。あーでも、俺運動部入るつもり、今はないので、なんとも言えないですね、すみません」


 海真君は、台詞のようにつらつらと述べていた。おまけに珍しくペコっと頭を下げて、それがとんでもなく可愛かった。


(やっぱり、海真君はかっこいいよ)


 僕は改めてそう思い直した。自分だったら、きっとこんな風にフォローできない。空気を変えられない。海真君自身、そんなつもりは全くないのかもしれないけど、彼の行動を僕は感心して尊敬する。海真君のお陰か、秋庭先輩ははじめの笑顔を取り戻して話していた。


「あはは、いいのいいの。一応宣伝したっていう事実が大事だから。それに、今ここで僕が宣伝したってことを部長にも見せれば後から楽だし」


「えっ?」


 部長に見せるとはどういうことだろう、と思ったら。


「さて」


 秋庭先輩が一呼吸置いた。そしてそれが合図だったかのように。


「おっ、俺の番か!?よーっし!」


 春丘先輩は勢い良く立ち上がった。椅子がけたたましく後ろへ倒れ、滑るように流れていった。さっきまではわずかにあった暗いものは、全てえぐり取ってしまうような陽気な風に当たった気がした。陽光が教室中に降り注がれる心地、その変調に僕は喉を鳴らしてしまう。

 見上げた春丘先輩は、返照のせいで眩しかった。もちろん、実際にはいきなり光なんて降ってこないし、そんなまぶしいくらいの光量が実際に飛んでくることはないけれど……春丘先輩はそんな人だったんだ。ほんの少し話しただけの僕でも一瞬でそれを理解できた。金の糸を手繰り寄せる力を持ってる人だと思った。だって、春丘先輩が立った瞬間だったんだ。春丘先輩の動きに合わせて、操られるように光が踊るんだ。


(綺麗だ)


「俺はseason actorsのリーダー、春丘桜四朗だ!コウと同じ2-1で硬式テニス部部長だっ!!」


「えっ!」


(春丘先輩が部長!?)


「部長兼リーダーってこと……やば」


 声に気づいて隣を見ると、表情は変えないものの海真君も驚いているようだった。僕らの感心した顔を一人ずつ見て、春丘先輩はにっと笑って続ける。


「熱いものや熱い人が大好きだ!このグループもどんどん活気あるものにしていきたいと思ってる!どうか二人ともついて来てくれっ!」


 ぐっ、と拳を胸元で握って春丘先輩は前傾姿勢になっていた。


「オウ、ちょっと声でかい。セーブな。ここ普通教室だし、隣のグループに迷惑かかるとアレだから」


 秋庭先輩が立ち上がり、落ち着かせるように春丘先輩の肩に手を置く。にひっと笑う春丘先輩の隣で秋庭先輩が開口する。


「まあ、オウは中学一年生から服作りをしてるから、なんでも聞くといいよ。でしょ、オウ?」


「おう!なんでもじゃんじゃん聞いてくれ!」


 ビシッと親指を立てて春丘先輩は太陽のように笑う。


(ふふっ、この調子じゃあ、夏を担当する海真君の役が取られちゃいそうだよね)


 でも海真君なら、仕事が楽でいいじゃん、なんて言いそうだな、と思いながら気づいた。


「中学一年生から!?」


「遅いよ」と秋庭先輩がほがらかに笑う。入れ代わりに春丘先輩から一言が飛び出す。


「まあな!ひひっ、あの瞬間は本当に感動したんだよな!」


 何か思い出を浮かべ、浸るように春丘先輩は天を仰いだ。


 これはまた今度話してあげような、と秋庭先輩がもったいぶる。僕は別に今聞いてもいいんだけど、先輩がそう言うならお楽しみとして取っておこう。今のこの状況や、楽しい雰囲気が、なんだかとってもうれしくってニコニコしてしまう。更に言うと、さっきから黙々と聞く側に徹している海真君がちょっとレアっぽくて。

 そんな僕らに春丘先輩が不意に言った。


「さっきからすごいすごいと言ってくれて嬉しいことこの上ない、が!お前らもなるんだからな」


「え?」


 突然の宣告に僕は間抜けな返事をする。春丘先輩は僕らに向かってさっきよりもゆっくりと告げる。減速したテンポの中に、染み込んでくるような心地良さがあった。やっぱりこれが春丘先輩のパワーなんだ。


「雪斗も海真も、season actorsの一員として、すっごいworker(ワーカー)になってくれ!これからよろしくなっ!!」


 真っ正面からまともに熱風を浴びた気がした。冴え渡る瞳の奥で、得体の知れないなにかが激しく燃焼する。春丘先輩が真っ直ぐに差し出してくれた手は肩から一直線を描いていて力強かった。この手を掴んでずっとずっとついて行こう。


(ううん、ついていきたい!)


 春丘先輩は今日の一瞬で僕の太陽になった。春でも冬でも、夏だろうと秋だろうと手を貸してくれる。春丘先輩は、そういう人なんだと思う。僕のそんな想像は確信を帯びていて、僕の心に刻まれたように強く存在を主張していた。

 僕は差し伸べてもらった両手の右を取った。同時に先輩の左手にも透明感のある色白の手が伸ばされた。


(海真君)


 横を見て、海真君と目が合う。二人で小さく笑って、頼もしい二人の先輩に向き直る。合図をしたわけじゃない。ただ偶然に、僕と海真君は一緒に叫んでいた。


「「はい!」」


 初めて聞く海真君の大声だった。僕の声と相性がいいかもと、根拠もなく思った。もしたとえそうじゃなくても構わないとも思った。


(今日一日で、海真君は僕の大切な友達……仲間になってくれたんだよ)


 僕と海真君も、春丘先輩と秋庭先輩のように……ううん、二人とは違う輝きを放つ、強い強い光になれたらいいよね。夏と冬、正反対の二人はきっと、むしろなによりも強く引き合い、引かれ合って、最強なれるよね。


(信じるよ、僕は、信じる)


 海真君も春丘先輩も、秋庭先輩も。もし僕がそのしるべを見失ってしまったら、みんなを信じた僕の心を信じて進もう。

 こうして、僕らはseason actorsになった。

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