Side Narcissus

 鳴海祥介が児玉智恵子の見舞いに行った日の夕方。

 とあるファミリーレストランで、私服姿の雪野辺羅々と帽子にサングラス姿の鳴海祥介が向き合っていた。

「鳴海くん、児玉さんの様子はどうだった?」

 羅々は声をひそめつつも、焦ったように言った。

「声はまだ全く出ない様子だった。あと、犯人は雪野辺だと思ってて、俺に証言しろってさ」

 祥介はアイスコーヒーを一口飲んでから淡々と答える。

「はあ!? 貴方まさか、こっちに全部なすり付ける気じゃないでしょうね!? 私は――あそこまでのことをしたのは、鳴海くんじゃない!」

 眉を吊り上げて、羅々は祥介を非難した。

「アイツを痛い目に遭わせることと、雪野辺の新薬を試すことの両方を叶えただけだろう? こちらの献身に対して酷い言い様じゃないか。大体、こっちも関わってるのに、証言なんてするわけないだろう、安心してくれ」

 激昂する羅々とは対照的に、祥介は冷淡に答える。

「しかし、開発中の薬の副産物として生じた声帯に炎症を与える薬か……悪用の未来しか見えないけどね」

 祥介が言えば、羅々はキッと睨んだ。

「今回の件は効き過ぎたのよ。本来ならそろそろ声が出ていい頃のはずなの。政治家が不祥事を起こした時に体調不良と称して入院する事象があるでしょう。元々は、そういうケースに、実際、軽度の不調になってもらうための薬なの。声が出なくて応答出来ないってことにするのが手っ取り早いでしょう。実際に話せないんだから心置きなく入院出来るわ。一週間そこそこあれば声は戻り、その間に不祥事を有耶無耶にする――そういう用途よ。他にどんな使い方をされてもこちらの責任ではないわ。睡眠薬を犯罪に使ったとしても、その薬を作った会社に責任がないのと同じ」

 羅々が言えば、祥介は無言で肩をすくめた。

「次のCMへの親子での起用も通したし、これで分かったでしょう。あなたにとって一番価値があるのは私。いい加減、私のことを選んでよ」

 羅々の視線に熱が混じる。その視線へ鬱陶しそうに一瞥をくれてから、祥介はアイスコーヒーを飲み干して席を立った。

「前にも言ったけど、三姉妹から一人を選ぶなんて無理だよ。雪野辺製薬と母は長い付き合いだから、君たち三姉妹との関係も拗らせたくないんだ。君の優秀さも熱意も分かってるから、こんな立場じゃなかったら君を選んでるんだけど……ごめん」

 仮面を被ったように紳士的で悲し気な笑みを浮かべ、羅々の髪を一撫でして言う。

「鳴海くん……ごめんなさい、立場があるもんね。今は、我慢する。でもいつか選んでもらえるようにするから、それまで待ってて」

 頬を染めて祥介を見上げた羅々は、恋に燃える瞳で答えた。

「ああ、待ってる。じゃあ、俺はそろそろ帰らないといけないから」

「ええ、また」

 そう言葉を交わして店を出た祥介は、鞄からウェットティッシュを取り出して羅々の頭を撫でた手を念入りに拭く。

「誰も彼も全く分かってない……美しいものにしか、価値なんてないのに」

 夕闇の雑踏を歩きながら、祥介は呟いた。


 祥介はその後、繁華街を抜け、少し離れた最寄り駅へ移動すると、そこから電車で25分程の自宅の最寄り駅で降りる。

 駅から徒歩5分程のタワーマンションに入り、高層階にある自宅へ向かう足取りは、先程の羅々との会話での憂鬱さが嘘のように軽やかだ。

「ただいま、麗理れいり

 自宅に着いた祥介は、先程とはうって変わって弾む声で言った。

「お母さんと呼びなさいと言っているでしょう、祥介」

 厳しい声で諌めたのは女優かつ祥介の母である鳴海 麗理なるみ れいりだ。

 その容姿は祥介と双子と言われても頷けるほど瓜二つで、母親という年齢に見えない程若々しい美貌を保っている。

「いいじゃないか、家なんだから。俺達を阻むものは何もない。ほら、もっと顔をよく見せて」

 ソファに座っていた母親の隣に座った祥介は、麗理の肩を恋人のように抱き寄せて甘く囁いた。

「やめて、祥介! こんなこと、間違ってる」

 青ざめてその腕を振り払おうとする麗理の抵抗をものともせず、祥介はその柔らかな肢体を抱きすくめた。

「どうして拒むの? この前は、俺のことを受け入れてくれたのに」

 耳元で囁きながら、祥介は艶めかしい手つきで麗理の背を撫でる。

「あれはあなたが薬を盛ったからでしょう! そうでなければ、あんな恐ろしいこと誰が……!」

「そんなこと聞きたくない」

 苛立ったように言った祥介は腕の中で叫んでもがく麗理の唇に口づけ、ソファに押し倒すことでその言葉の先を封じた。

「この姿が何よりも美しくて、何よりも価値があるんだよ、麗理! 俺一人じゃ孤独で死んでしまいそうだ……でも、同じ顔の麗理となら、愛し合うことが出来る!」

 馬乗りになりぎらついた眼差しで言う祥介に、麗理は眉をひそめた。

「やめなさい! そんな恐ろしいこと口にしないで!」

 麗理が叫んだところで、不意に祥介のスマートフォンの着信音が響き渡る。

「その音、マネージャーの緊急連絡でしょう。早く出なさい」

 毅然として言う麗理の言葉に舌打ちして、祥介は母親から離れると服のポケットからスマートフォンを取り出した。

「雨井さん、何? 今、忙しいんだけど――」

『ショウ、お前、なんてことしたんだ!? なんでもいい、テレビをつけてみろ!! ワイドショーだ、早く!!』

 マネージャーからの電話に不機嫌に出た祥介だったが、電話越しでも分かる尋常でない気迫で怒鳴られて、訝し気にテレビをつけた。

『――人気モデルで、女優の鳴海麗理さんの息子でもある、SYOUこと鳴海祥介さん17歳に、暴行罪の幇助の疑いがあることが、マスコミへの匿名の投稿によって判明しました。こちらの動画をご覧ください』

 続いて流れる映像に映る、児玉智恵子へ薬を飲ませる男達の映像と、その男達へ金を渡す祥介の映像。

「な、んだよ、これ……!?」

『この男たちによって何らかの薬を飲まされた女子高生は、命に別状はなかったものの、喉に異常があり現在は自宅療養中とのことです。また、続いてこちらの映像もご覧ください』

 衝撃を受ける祥介に追い打ちをかけるように、先程いたファミリーレストランが映し出される。

『はあ!? あなたまさか、こっちに全部なすり付ける気じゃないでしょうね!? 私は――あそこまでのことをしたのは、鳴海くんじゃない!』

『アイツを痛い目に遭わせることと、雪野辺の新薬を試すことの両方を叶えただけだろう? こちらの献身に対して酷い言い様じゃないか。大体、こっちも関わってるのに、証言なんてするわけないだろう、安心してくれ』

 携帯で撮ったように荒い画質で、羅々の顔にはモザイクが入り、声に加工もされているが、間違いなく先程の二人の会話だった。

『お聞きの通り、この事件には雪野辺製薬も関与しているとの情報も入っています――』

「嘘だろ、なんでついさっきのことが……!」

 唖然とする祥介がスマートフォンを取り落とす。

「――復讐を受けているのよ、鳴海くん」

 突然テレビの反対側から聞こえた声に、祥介は振り返った。

 そこに居たのは、スラリとした長身に緩く波打った長い黒髪、目元の二つの涙黒子が特徴の、高校の制服に身を包んだ少女――采女静佳だった。

「何だお前、どうやってここに!?」

 セキュリティ万全のこのタワーマンションに、本来なら入ってくることが出来ないはずの闖入者に向けて、祥介は声を荒げた。

「貴方の後ろをついてきただけよ」

「はあ!? そんなわけないだろ、そんなの絶対気づくはず――」

「じゃあ、貴方のお母さんが私に気付いていないのは何故かしらね?」

 静佳に言われて、祥介は麗理を見遣った。麗理はワイドショーを写す画面に釘付けになったまま、静佳と祥介のやり取りに気付いた素振りもない。

「何なんだよ、お前……!」

「私は、人の認識を操ることができるの。今は、お母さんの認識を、さっきは鳴海くんの認識を弄って、気づかないようにしただけ」

 祥介にとって訳の分からない事態の中、それでも思い至るのは。

「じゃあまさか、あの映像も?」

 目の前でたおやかに微笑む静佳に向かって、祥介は訊いた。

「私が撮影したものね。だって貴方は、恨みを買いすぎた」

 黒々とした静佳の瞳に宿る常人ならぬ気迫に、祥介は無意識に一歩後ずさる。

「過ぎた行為には然るべき報いを、求める人には適切な援助を――私は復讐のお手伝いをしているの」

 妖艶な笑みを浮かべる静佳が、祥介には死神に見えてくる。

「ふっざけるな! 児玉のせいか!?」

「あら、おめでたい人。貴方を恨んでいるのは、たった一人だと思っているの? その傲慢さと冷たさ、歪んだ自己愛が、どれだけの人を傷つけてきたか考えてみるといいわ」

 凛としたアルトの声が、祥介に罪を突き付ける。

「周りの奴等のことなんて知るかよ!」

「そう。それが貴方の答えね」

 祥介の返答に、静佳は呆れたように溜息を吐き、制服の胸ポケットから取り出したスマートフォンを操作した。

「じきに、母親へのレイプのことも世に知れ渡るわ」

 こともなげに言って、静佳はスマートフォンを制服の胸ポケットに仕舞う。

「さよなら、鳴海くん。貴方の芸能人生は、これで、おしまい」

 静佳は莞爾として告げ、そのしなやかな手を一回、打ち鳴らした。

「は……? あいつどこに行った!?」

 その音と共に静佳が一瞬にして祥介の視界から消え、祥介は辺りを見回す。

「祥介、何言ってるの? あなたこれ、どういうこと!? 説明しなさい!」

 麗理の知覚能力はようやく正常に戻ったようで、ワイドショーの内容について祥介へ問いただした。

「どういうことって……」

 ワイドショーで報じていたことが全てである。それ以上の話は何もできない。

 言い淀む祥介が、ふと何かが窓の外で瞬いた気がして外を見遣れば、迫る夜闇をものともせず、マスコミが階下に集まっていた――

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