Side Echo 3

 私はその後、通りかかった人の通報で病院に運ばれ、胃の洗浄や様々な検査を受けた。得体のしれない薬を飲まされたらしいけど、喉以外に問題はないそうだ。ただ、声帯の炎症が激しく、当分の間、もしくはこのままずっと、声が出ないかもしれないということだ。警察の事情聴取にも筆談で答え、状況から事件性のあるものとして捜査してもらえることになったけど、依頼人があの雪野辺羅々だという話については、『噂話くらいでそこまでするかなあ』と苦笑され、まともに相手をしてもらえなかった。

 スマホアプリの友達同士のグループチャットに、首謀者は羅々に違いないと書き込んでも、誰も取り合ってくれなかった。警察が取り合ってくれなかったのとは訳が違う。皆、羅々ならやりそうだと思ったから、その矛先が自分に向いては堪らないと、私を切り捨てたのだ。

 皆、私が提供した噂話で散々楽しんだくせに、自分だけは助かりたくて、私を生贄にするつもりに違いない。絶望と怒りと憎しみで頭がおかしくなりそうだった。

 返して! 私の声を! 言葉を! 居場所を! 

 そう叫びたくても、喉は痛み、吐息が零れるだけだ。

 しばらく安静に、という医者の指示で学校を休んで一週間。別に家の中で好きにしてもいいのに、私は状況の最悪さから自室に引きこもっていた。

「智恵子、お友達がお見舞いに来てくれたよ。入ってもらってもいい?」

 ドア越しに母が言うので、私はベッドのヘッドボードを一回叩いた。声が出なくなったので、家族の間で、「はい」は一回、「いいえ」は二回ノックするという決まりを作ったのだ。

 ずっと話を聞いてくれないグループチャットのメンバーの中で、自分の立場を恐れずお見舞いに来てくれる子がいたことに、思わず感動してしまった。きっと一番の仲のいい美由だ。ふて寝していたので、急いでベッドから身体を起こして、申し訳程度に髪を手櫛で整える。

「さ、どうぞ」

「どうも」

 母に促されて入ってきた人物は、美由ではなかった。信じられない思いで、目の前のを見つめる。

 目の前に居たのは、ある意味、今回の事件の元凶である鳴海祥介くんだったのだから。

「じゃあお母さんは、ちょっと席を外すわね」

 意味ありげな笑みで言って鳴海くんを残して去る母を、状況が呑み込めないまま見送る。

「おばさん、なんか勘違いしたみたいだから、後で撤回しといて」

 目を白黒させている私に、鳴海くんは淡々と言った。お見舞いの相手への第一声がそれとは、驚きを通り越して相手の常識を疑ってしまう。

『なんで鳴海くんがお見舞いに来てるの!?』

 その言葉でようやく我に返って、スマホのメモアプリに慌てて打ち込んで鳴海くんに見せた。

 噂話のネタにさせてもらっているとはいえ、私自身と鳴海くんは正直、全く接点がない。お見舞いに来るなど本来ならありえないのだ。

「ああ、うちの親が『どうせお前が原因だから菓子折り持ってけ』ってうるさくって。喉に負担かけないように、ゼリーらしいから」

 面倒くさそうに言って、鳴海くんは私に紙袋を寄越した。

「俺さあ、本当にお前のせいで迷惑してるんだよね。うちの親が昔、雪野辺製薬の咳止めのCMに出てたって知ってる? だからあの姉妹とは揉めたくなくて、告白をやんわり断ったってのに、面白おかしく話を盛ってくれちゃってさあ。母の方に雪野辺製薬の社長……雪野辺の父親から圧がかかったって。母が精神的に参ってるんだよ。本当に勘弁してくれ」

 こちらの身体の心配など皆無で、ただ苛立ちをぶつけるだけの鳴海くんに、憧れが音を立てて崩れていく。

『つまり、ララの父親があの男達にやらせたことで間違いないってこと!?』

 学校一のモテ男への幻滅よりも、語られた内容への衝撃が大きくて、勢い込んで打ち込んで鳴海くんに見せた。

「そうだとしたら何? 雪野辺家がやらせたとして証拠なんて出るわけないよ。揉み消されるのがオチなのに、そんなに意気込んで馬鹿じゃない?」

 心底、呆れたように言われて愕然とした。

『でも、鳴海くんはお母さんから聞いたんだよね? それを証言してくれたら警察だってさすがに』

「いや、証言なんかするわけないだろう」

 私が文字を打っているのを眺めていた鳴海くんが、打ち終わる前に吐き捨てた。信じられなくて鳴海くんを見上げれば、冷ややかな目で私を見ている。

「今回のことがあって、今度は親子で雪野辺製薬のCMへの出演が決まったんだ。この意味が分かるか? 黙っていれば悪いようにはしない、ってこと。仕事がなくなるようなことに協力するわけないだろう。大体お前のそれ、自業自得じゃないか。助ける必要なんて全く感じないし」

 鳴海くんに言われて、目の前が真っ暗になる。自業自得、その言葉が突き刺さる。

 でも、ここまでの代償を追う程のことはしていない。泣きそうな思いで言葉なく睨み上げても鳴海くんはどこ吹く風だ。

「じゃあ、俺、用は済んだし帰るから。まあ一応、お大事に」

 おざなりに言って、鳴海くんは部屋を出て行った。

 一人になった部屋で、鳴海くんが置いて行ったゼリーの箱を床に投げつけ、ベッドの上で膝を抱えてそこに顔を埋めた。胸に渦巻く激情が、涙になって零れる。

 何もかもが許せなかった。雪野辺羅々、鳴海祥介――この二人を私以上の苦しみに遭わせなければ、この怒りは、憎しみは、治まりそうにない。

「――その願い、叶えてさしあげましょう」

 不意に頭上から聞こえた、涼やかなアルトの声。

 顔を上げれば、すらりとした長身に緩く波打った長い黒髪、透けるような白い肌、左目のすぐ下に二つ並んだ涙黒子のある美少女――采女 静佳さんが、学校の制服姿で立っていた。

 そこには、さっきまで誰も居なかったはずなのに。

「驚かせてごめんなさい。でも、あまり気にしないでね。今、大事なのは、児玉さんの気持ちなのだから」

 采女さんは囁くように言った。混乱する私を、痛ましいものを見るような目で見つめてくる。

「可哀想な児玉さん。大事な声を、言葉を、居場所を奪われて、誰からも信じてもらえなくて……一体どれほど辛いでしょう」

 采女さんはそう言ってベッドの横に膝をつくと、その細い腕で私を抱きしめた。柔らかな胸に抱き留められ、優しく頭を撫でられる。

「私は貴女を信じるわ――力になってあげる」

 耳元で囁かれ、さっきとは違う涙が零れた。ああ、こんなに私の気持ちを分かってくれる人が居た。力になってくれる人がいた。それがこんなに嬉しく、安心できるなんて。

「貴女が復讐したいのは、雪野辺羅々と鳴海祥介――この二人ね?」

 身体を離してしっかり目を見て問われ、私は頷いた。

「いいわ。そしたら、貴女の復讐を叶える情報を差し上げましょう。その代わり、貴女の一番大切なものを頂戴?」

 采女さんは、すうっと目を細め、蠱惑的な笑みで提案してきた。

『あの二人に復讐できるなら、何だってあげる! 力を貸して!』

 スマホに打ち込んで、采女さんに見せる。この屈辱を晴らせるなら、悪魔に魂を売っても構わない。

「ええ、任せて――その復讐、承りましょう」

 采女さんはゾッとするほど完璧な笑顔で、謳うように承諾した。

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