第三十二章 妖しいバーテンダー

  第三十二章 あやしいバーテンダー


 人間の精気せいきう恐ろしい本の顛末てんまつを話していたのに、懸賞金けんしょうきんが七億円と聞いてすべて頭の中から吹っ飛んだ。けい高槻たかつきは一件落着した安堵感あんどかんから笑い声を立ててなごやかな雰囲気ふんいきかもし出していた。

 「高槻たかつきさん、そんな大金受け取れません。」

 小心者しょうしんものの私は怖くなってそう申し出た。

 「なら、俺の分だけ小夜さよの口座に。」

 すかさずけいが言った。けいが受け取れば半額の三億五千万円が振り込まれる。十分大金だ。

 「けい!」

 私は分不相応ぶんふそうおうな大金を受け取ることをけいにも断って欲しかった。

 「これでこの店も安泰あんたいですね。」

 高槻たかつき冗談じょうだんぽくけいに言った。高槻たかつきもこの店があまり繁盛はんじょうしていないことに気が付いていた。


 「懸賞金けんしょうきんはクリーンな商売しょうばいかせいだものですから、税金はちゃんとおさめて下さいね。半分お上に持って行かれることになりますが。」

 高槻たかつきくぎすように言ってブランデーを飲んだ。税金のことは分かっている。半分持って行かれたとしても一億七千五百万円。一生分のかせぎにはなる。ちゃんとけいに税金はおさめさせる。気になるのはクリーンな商売という言葉だった。クリーンでない商売もしているということをにおわせている。やはり高槻たかつきは普通のビジネスマンではなかった。意固地いこじになって懸賞金けんしょうきんの受け取りを拒否きょひするのはかしこいとは言えないのかもしれないと思った。


 「あれ、黒沼くろぬまさん、電話鳴っていませんか?」

 高槻たかつきが私のカバンを見ながら言った。話に夢中で気づかなかったが、確かにバイブ音がしていた。

 「会社からです。すみません。ちょっと外で電話して来ます。」

 私はそう言って席を立った。店の外に出た私はこの後、けい高槻たかつきの間で交わされた会話を聞いていなかった。


 「マスター、チベット語は得意とくいですか?」

 高槻たかつき好奇心こうきしんに満ちた目で尋ねた。

 「ええ。まあ。」

 けい否定ひていしなかった。

 「それは驚いた。では私が読んだチベットそうの日記もお読みになりましたか?」

 けいは質問に答えなかった。何か意図があっての質問だと気づいたのだ。

 「黒沼くろぬまさんに話していましたね。『西域さいいきからの旅の僧侶そうりょは本の殺し方を伝えていて、チベットそうはそれを書きしるして残していた』と。本の殺し方はチベットそうの日記を読んでいなければ知りえない事実だ。あるいはその場に居合わせて僧侶そうりょたち会話を聞いていたか。残念ながらチベットそうの日記はマスターが生まれた頃には火災かさい焼失しょうしつしてしまっている。だからマスターは日記を読むことはできない。となると残る選択肢せんたくしは一つ。」

 けいは冷たい目で高槻たかつきを見下ろしていた。

 「そんな怖い顔しないで。私は何もしゃべらない。もちろん黒沼くろぬまさんにも何もしゃべらない。マスターにはりがあるからね。」

 高槻たかつきはそう言ってブランデーを飲みした。

 「それでもマスターが心配だと言うなら私を殺したらいい。簡単なことだ。でもその前にもう少しだけ私の道楽どうらくに付き合ってくれませんか?」

 高槻たかつきけいの顔色をうかがうように見上げた。けいは相変わらず冷たい目で高槻たかつきを見下ろしていた。


 「すみません。仕事の電話が入ってしまって。何の話をしているところですか?」

 席に戻ると私も話に加わろうと二人にそう言った。

 「実は黒沼くろぬまさんとマスターに仕事を頼みたくてね。どうかですか?」

 「仕事ですか?」

 私はまたライターの仕事かと思ったが、けいも一緒となるとそうでもなさそうだ。また懸賞金けんしょうきんがらみだろうか。

 「黒沼くろぬまさんとマスターでんでオカルト体験記たいけんきなんて出さない?」

 「え?」

 「うちのお客さん相手に記事きじを書いて欲しいんですけど、ただの記事きじではなく、実体験じったいけんもとづいた体験記たいけんきを書いて欲しいんです。どうです?面白いアイデアでしょう?うちのお客さんもそういうの好きだと思うんですよね。」

 高槻たかつきはそう言いながらチラリとけいを見上げた。けいしらけたような冷たい目をして聞いていた。高槻たかつきのグラスがいているのにおわりをすすめようともしなかった。いつものけいらしくない。いつもならもう次を用意しているのに。

 「けいは乗り気じゃないみたい。」

 私は高槻たかつきにそう言った。

 「そう言う黒沼くろぬまさんは?興味きょうみない?書くのが好きだからライターの仕事をしているのですよね?マスターとめば面白おもしろい体験ができて、記事きじも書けると思うんですよ。」

 高槻たかつきは食い下がった。

 「確かに面白そうですけど、ラーマーヤナみたいな事件は滅多めったに起きませんし、難しいかと思います。」

 私はやんわりと断ろうとした。

 「黒沼くろぬまさん、ラーマーヤナみたいな事件はしょっちゅう起きていますよ。黒沼くろぬまさんの目にうつっていないだけで起きています。」

 高槻たかつきはまたチラリとけいを見上げながらそう言った。なぜそう言い切れるのだろうと思った。この人はたくさん見て来たということなのだろうか。

 「案件あんけんは私からご紹介させて頂きます。そうですね。まずは簡単なところから。『吸血鬼きゅうけつき』なんてどうでしょう?」

 「吸血鬼きゅうけつきですか?」

 人間の精気せいきう本があるなら、吸血鬼きゅうけつきもいるのかもしれないが、さすがに吸血鬼きゅうけつきがいて人間の生き血をすすってまわっていたら事件になるだろう。もう警察に捕まっているかもしれない。

 「その吸血鬼きゅうけつき絶世ぜっせいの美女らしいですよ。男性読者の喰いつきが良さそうでしょう?」

 高槻たかつきが良い案件だろうと言いたげだった。

 「はあ。」

 私は曖昧あいまいな返事をした。

 「もしその案件が無事ぶじに片付いたらその次は『よみがえりの土地』をご紹介しましょう。」

 「よみがえりの土地?」

 よみがえりという言葉が私をきつけた。

 「地方へ行ってもらうことになりますが、あるのですよ。その土地に死者の亡骸なきがらめると生き返るとうわさの土地が。」

 私は自分の体がふるえ出すのを感じた。

 「どこにあるのですか?その場所。」

 私はふるえた声で高槻たかつきに尋ねた。

 「まずは吸血鬼きゅうけつきから。じゅんを追って行きましょう?」

 高槻たかつきはそう言った。

 「両方やります。だから場所を教えて下さい」

 私は失礼にも高槻たかつきの腕をつかんでそう言った。高槻たかつきは嫌な顔をしていなかったが、驚いた顔をしていた。けいも必死に場所を知りたがる私を見て驚いていた。


 「黒沼くろぬまさん、何かご事情があるようですね。」

 高槻たかつきがそう言ったが、私は答えられなかった。黙って高槻たかつきの腕を放した。

 「教えますよ。よみがえりの土地の正確な場所も調べておきます。だからそれまでは吸血鬼きゅうけつ面白おもしろ記事きじを書いて下さい。記事きじが書き終わる頃には私も調べ終わっていると思います。」

 高槻たかつきは私をなだめるようにそう言った。私はうなずいて高槻たかつきの申し出を受けた。

 「けい・・・。」

 私は顔を上げて消え入るような声でそう呼びかけた。高槻たかつきの申し出を受けるには、よみがえりの土地の場所を知るには、けいの協力が不可欠ふかけつだった。

 「俺もやるよ。」

 けいこころよくそう言ってくれた。

 「高槻たかつきさん、首の皮一枚でつながりましたね。」

 けい高槻たかつきに向かってそう言った。『申し出を断られなくて良かったね』という意味で言ったのだろうか。『まるで命拾いしたな』と言っているようにも聞こえた。

 「そうですね。本当に。」

 高槻たかつきは少しうつむいてそう言った。けいおびえているようにも見えた。

 「では話がまとまったところで、私はおいとまします。マスター、黒沼くろぬまさん、良い夜を。」

 高槻たかつきは顔を上げると、気を取り直して明るい声と表情で、恐怖心きょうふしんはらうかのようにそう言った。


 高槻たかつきが帰った後、私はグラスに残っていたマルガリータを一気に飲みした。

 「二杯目はどうします?」

 けいがバーテンダーらしく尋ねた。私が触れて欲しくないと思っていることには触れるつもりはないようだった。

 「ううん。もう帰る。明日は朝から出かけるから。」

 「明日は土曜なのに。めずしいね。」

 けいが言った。

 「教会のミサに行くの。」

 「・・・・・・」

 けいが何を考えているのか分からない表情で沈黙ちんもくした。

 「神様を信じているようには見えないけど。」

 しばらく続いた沈黙を破ってけいが言った。

 「ミサで人と会う約束をしているの。」

 「へえ。誰と?」

 まるで束縛そくばくする恋人のような質問だった。

 「気になるの?」

 「誰と会うの?」

 けいはしつこく聞き出そうとした。かくす理由もないから私は正直に話した。

 「前に取材した女の子。行方ゆくえをくらませていたらしいんだけど、私に会いたいんだって。」

 「へえ。」

 けいの目が妖しく光ったのを私は見逃していた。


 「もう帰るね。」

 私はそう言って席を立った。

 「うん。」

 「高槻たかつきさん、ラーマーヤナを置いて行ったわね。」

 私はカウンターの上に置かれた美しいラーマーヤナに目を落として言った。

 「私が持って帰ってもいい?」

 私はけいに尋ねた。

 「いいけど、怖くないの?人間をおそった本だ。」

 けいが言った。

 「何だか可哀かわいそうで。人間が作って命を吹き込んだのに、人間の都合で命を奪った。この本もよみがえりの土地にめたらよみがえるのかな。」

 私は半分独り言のように言った。

 「ラーマーヤナのことは俺も残念に思っている。小夜さよが望むなら、元の普通の本に戻してあげる。」

 けいが言った。

 「そんなことできるの?」

 「できるよ。」

 「けいは何者?」

 「小夜さよの恋人。」

 けいはそう言ってお休みのキスをした。



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