第二十五章 正直者の刑事

  第二十五章 正直者しょうじきもの刑事けいじ


 三上みかみ忠告ちゅうこくを受け入れたわけではないが、私はそれからしばらくカルティック・ナイトには足を運ばなかった。代わりに近所のファミレスで三上みかみに会うようになった。三上みかみは遠いのにも関わらず、仕事が終わるとほぼ毎日会いに来た。まるで付き合いたての恋人同士のようだったが、話す内容は事件のことだった。私も三上みかみも二冊目のラーマーヤナの行方ゆくえさがしていた。


 「二人目の被害者ひがいしゃについて分かったことがあります。」

 ドリンクバーで取って来たコーヒーを一口飲むと三上みかみが話し始めた。

 「二人目の被害者は古川ふるかわ善幸ぜんこう、六十五歳、長野県で住職じゅうしょくをしていた男性です。長野ながの県警けんけいの調べによるとこの方は阪外大はんがいだいの卒業生とのことでした。つまり先日亡くなった古賀こが教授の後輩こうはいで、水川みずかわ教授の先輩せんぱいにあたるわけです。実家じっかの寺をぐためにサンスクリット語を専攻せんこうしたそうですが、今でも読み書きができて、年に一度檀家だんかさんの中から希望者をつのってインド仏閣ぶっかくめぐりに行っていたそうです。旅行会社や添乗員てんじょういんにもたよらずに宿泊先しゅくはくさきや現地の移動のすべて自分でやっていたというのですから、相当そうとう語学力ごがくりょくがあったようですね。」

 三上みかみ感心かんしんして言った。

 「本当にすごい方ですね。」

 私も語学ごがく苦手にがてだったから感心かんしんした。


 「古川ふるかわ住職じゅうしょくは亡くなる前に宅配たくはい小包こづつみを受け取っていたそうです。差出人さしだしにん不明ふめいですが、自宅に配達伝票はいたつでんぴょうが残っていて、そこに奇妙きみょう文字もじが書かれていたので、調べたところサンスクリット語文字でラーマーヤナと書いてあったそうです。」

 私はそれを聞いて胸騒むなさわぎがした。二冊目のラーマーヤナが住職じゅうしょくの命をうばったとしか考えられなかった。そして小包こづつみを送った人物が私の思い浮かべている人物ではないかとおそれた。

 「長野ながの県警けんけいに頼ってばかりではいられないので、こちらも都内とない監視かんしカメラをくまなく調べました。そうしたらコンビニに小包こづつみを持ち込んで配達はいたつ依頼いらいする藤島ふじしま教授の姿がうつっていました。藤島ふじしま教授は黒沼くろぬまさんを頼る前に二冊目の本を古川ふるかわ住職じゅうしょくのもとに送っていたようですね。一体何のためにそんなことをしたのか。」

 三上みかみは訳が分からないという口調でそう言うと、コーヒーを一口飲んだ。安くてうすいコーヒーなのに三上みかみ美味おいしそうに飲んでいた。


 「藤島ふじしま教授は今どこに?」

 私は三上みかみに尋ねた。

 「自宅です。藤島ふじしま教授は年金ねんきんらしの母親と二人暮らしで、釈放しゃくほうされた後は戻っています。大学にも出ています。休講きゅうこうした講義こうぎ授業じゅぎょうもしていつも通りという感じですね。」

 取り逃がした藤島ふじしま普段通ふだんどおりの生活に戻りつつあり、三上みかみはやるせない顔をして言った。


 やるせないのは私も同じだった。一度は頼って来た藤島ふじしまの言葉を信じてかくまったが、どうもあやしい。水川みずかわの死も住職じゅうしょくの死もうら藤島ふじしまが糸を引いているように思えて来た。

 「住職じゅうしょくのところに送られた本はどうなったんですか?」

 私はまた三上みかみに尋ねた。

 「長野ながの県警けんけい押収おうしゅうしました。保管庫ほかんこの中です。」

 三上みかみが当然でしょ?という顔をして言った。

 「ということは藤島ふじしま先生が水川みずかわ先生のホテルの部屋から持ち出した本は二冊とも警察が持っているということですよね?」

 私は確認した。これはとても重要なことだ。

 「はい。そうです。」

 三上みかみは何の気もなくそう答えてコーヒーをまた一口飲んだ。

 「警察で本をさわった人の中に亡くなった人は?」

 「え?」

 私の奇妙きみょうな質問に三上みかみは思わず聞き返した。

 「警察で本にたずさわって亡くなった人はいないか聞いているんです。」

 私は真剣しんけん口調くちょうでもう一度尋ねた。

 「いませんけど。」

 私の奇妙きみょうな質問に三上みかみは変な顔をして答えた。

 どう思われようとも質問に答えてくれさえすればいい。三上みかみの答えで私の中である仮説かせつが立った。ラーマーヤナは誰彼だれかれかまわずに人を襲っているのではない。サンスクリット語を理解できる頭脳ずのうの持ち主だけおそっているのだ。だから警察や私は無事ぶじなのだ。に落ちないのは藤島ふじしまだ。藤島ふじしまはインド哲学てつがくの教授で当然サンスクリット語を理解している。それなのになぜ無事なのだろうか。


 「黒沼くろぬまさん?考え事にふけっていたようですが、何か分かったことでもあるんですか?」

 三上みかみが私の顔をのぞき込みながら尋ねた。

 「いえ、別に。」

 そう答えたが刑事けいじうそ通用つうようしなかった。

 「私にだけ情報をしゃべらせて自分は何も提供ていきょうしないなんてずるいんじゃありませんか?」

 三上みかみは口をとがらせて言った。私は仕方しかたなく、信じてもらえないと分かっていながらも話すことにした。

 「ラーマーヤナののろいって聞いたことありますか?」

 私がそう尋ねると三上みかみはまた変な顔をした。

 「聞いたことありません。」

 それでもこの時はまだ私の口から有力な情報が出るのではないかと三上みかみは期待しながら答えていた。

 「ラーマーヤナの翻訳ほんやくはインド研究の第一人者だいいちにんしゃだけができるんです。でもラーマーヤナを翻訳ほんやくすると必ずその人は死ぬ。そういうジンクスみたいなものがあるんです。」

 私がそう言うと三上みかみあきれたようにため息をついた。

 「それは単に翻訳者ほんやくしゃ寿命じゅみょうきただけの話でしょう?その道の第一人者になる頃には高齢こうれいですから、道半みちなかばばでたおれるのも無理むりのないことですよ。」

 三上みかみはもっともなことを言った。

 「そうですね。」

 私は同意どういしておいた。この誠実せいじつ実直じっちょくな男に人以外のものが人の命をうばうのだと警告けいこくしてやったのだから義理ぎりたした。信じるかどうかは本人次第ほんにんしだいだ。


 「明日、有力な情報を持っていそうな人に会う約束があるんです。カルティック・ナイトで待ち合わせしているんでここへは来られません。結果報告期待していて下さい。それではそろそろ・・・」

 私はそう言って、席を立とうとした。

 「待って下さい。」

 私が伝票でんぴょうを持って立ち上がると三上みかみがものすごいいきおいで私の手をつかんで引き留めた。

 「コーヒーをお代わりしたくて・・・もう一杯だけ付き合って下さい。」

 三上みかみは顔を赤らめてそう言った。この時にさっすることができれば良かったが、眼中がんちゅうにない男の気持ちなどさっしてみようなどとも思ってもみなかった。

 「三上みかみさん、うすいコーヒーお好きですね。」

 私はそう言った。

 「かんコーヒーより美味おいしくて。」

 三上みかみはしどろもどろそう言った。

 「そうですか。どうぞ。お代わり取って来て下さい。」

 再び席について私がうながすと、三上みかみはぎこちない動きでコーヒーをつぎにドリンクバーへ向かった。そして戻って来るとまたぎこちない動きでコーヒーを飲み始めた。

 「私、家では毎回まめからいてれているんです。」

 「そうなんですか。」

 三上みかみの声が少し上ずっていた。

 「美味おいしいコーヒーれるんで、今度うちにいらっしゃる時は遠慮なくお代わりして下さい。」

 私は嫌味いやみじりの冗談じょうだんを言ったつもりだったが、三上みかみはそうとは受け取らなかった。思わせぶりな態度たいどを取ったと言われればその通りなのだろう。三上みかみあなきそうなほどねつっぽい視線しせんを送っていた。

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