第十五章 その男、偽物


  第十五章 その男、偽物にせもの


 最後は本を引き渡して無言むごんで終わったランチ会。よく分からない終わり方をしたが、せっかくの休日をつぶしたのだから次の仕事につながることをいのるばかりだ。

 気分を変えたくて最寄もより駅の喫茶店きっさてんでコーヒーを飲んだが物足りなかった。けれど酒を飲みたい気分でもなかった。でもあの店に行きたかった。まだ午後三時。開いているわけがない。それでも足は雨の中、カルティック・ナイトに向かった。


 店の扉の前に来たところで、われに返った。開店前のバーの前で女が一人立っていたら異様いようだ。それにけい出勤しゅっきんしてきたらどう思うだろうか。付きまとってくる危ない女だ。私は再びかさを差して歩き出そうとした。

 「小夜さよ。」

 店の扉が開いて、呼び止められた。けいだった。こんなに早い時間からいるなんて思わなかった。

 「入らないの?」

 「・・・入る。」

 私はかさを閉じた。


 店に入ると、驚いたことに奥のカウンター席に先客せんきゃくがいた。しかも前のマスターの時に顔馴染かおなじみだった常連客じょうれんきゃくの二人だった。名前は知らないが、陽気ようきな客で何度かマスターをまじえて話したこともある。

 「あれ、おじょうさんは・・・」

 男の一人が私に気づいて言った。おじょうさんなんて言われるとしではないが。

 「どうも。」

 私はそう言いながら二人に向かって軽く頭を下げてお辞儀じぎをした。

 「最近も良く来るんですか?」

 もう一人の男も私に気づくとそう尋ねて来た。

 最近もというのはマスターが変わってからという意味だろう。二人も少なからず前のマスターに愛着あいちゃくがあったのだ。

 「はい。最近もよく来ます。」

 私はそう答えた。


 「何にしますか?」

 けい先客せんきゃくとの話が途切とぎれた合間あいまにそう尋ねた。他の客の前であるのを気にしてか、敬語けいごだった。

 「マルガリータ。」

 私は馬鹿ばかの一つ覚えのようにまたそれを注文した。

「はい。」

 けいははニコリと笑ってそう返事をするとシェイカーに氷とテキーラを入れた。


 「今日はさ、若いマスターが昼間ひるまから店を開けてくれるっていうから、二人で飲みに来たんだよ。やっぱり明るい内から飲む酒はいいね。背徳感はいとくかんがある。」

 男の一人がグラスをかかげながら私に話しかけて来た。

 「今じゃそんなこと言ってるけど、マスターが変わったばっかりの頃は二度と行かねえって言ってくせに。」

 もう一人の男が意地いじの悪い突っ込みを入れた。

 「そりゃあ、あれだよ。前のマスターとは長い付き合いだったからさ。急に新しいマスターですって言われたら、あれ?ってなるだろう。でも今はメチャクチャ気に入ってる!」

 男はそう言いながらけいに向かってグラスをかかげた。けいはベロベロの陽気ようきな客に仕方しかたなさそうに愛想あいそ笑いを浮かべた。

 「ねえねえ、お兄さん名前何ていうの?」

 陽気ようきな男はけいからみ始めた。

 「露木つゆきけいです。」

 圭が答えた。

 「露木つゆき・・・けい・・・じゃあ、圭君けいくんだ!よし、それで行こう。これから俺は圭君けいくんって呼ぶ。」

 男は突然とつぜんそう宣言せんげんした。

 「圭君けいくん、ズバリ聞きます!圭君けいくんは彼女いるの?」

 男はマイクを持ったレポーターになったつもりでそう尋ねた。っぱらいは気が大きくなって、何にでもなれるから幸せだ。

 「ご想像そうぞうにおまかせします。」

 けいは一昔前のアイドルみたいなことを言った。

 「あーはぐらかした!」

 男は子供っぽく口をげてそう言った。


 けいは男のセクハラまがいの質問をかわすとシェイカーり始めた。二人の男も黙ってその光景こうけいを見ていた。私と同じように魅入みいっているのだろう。しんの強そうなどうからえたしなやかでびやかなうでかみみだしながらそれをしならせるのがたまらなくなまめかしくて、そそられた。

 「どうぞ。」


 けいがそう言って白いマルガリータを差し出した。

 「ありがとうございます。」

 私はそう言ってグイっと一口飲んだ。

 「おじょうおさん、美味おいしそうに飲むね。俺もおわり。」

 陽気ようきな男が私の飲みっぷりに刺激しげきされてそう言った。

 「すみません。こおりが切れてしまいまして。すぐに買って来るので少しお待ち下さい。」

 けいはそう言うと、裏口うらぐちから店を出た。男たちは『いいよいいよ。』とその背中を笑顔で見送った。


 「露木つゆきけいか。確か前のマスターもそんな名前だったな?息子むすこかな?」

 陽気ようきな男が少しトーンダウンしてそう言った。

 「前のマスター、まんま露木つゆきけいだったよ。あの若いマスター、偽名ぎめいじゃないのか?」

 もう一人の男が言った。

 「そうだったっけか?」

 「お前が前のマスターに名前を聞いてた時も隣にいて、一緒に聞いてたから間違いない。」

 「俺ってば前のマスターにも名前聞いてたのか?野郎やろうの名前ばっかり聞いて何が楽しんだか。」

 陽気ようきな男は過去の自分のことを他人にように言った。もう一人の男はあきれて突っ込まなかった。

 「何で昔からの常連じょうれんの俺たちにすぐバレるような偽名ぎめい使ったんだろうな。あれジョークか?突っ込むところだったんじゃないのか?」

 陽気ようきな男はいがまわって通常つうじょう思考回路しこうかいろ逸脱いつだつした結論けつろん辿たどりついた。

 「偽名ぎめいを使うってことは後ろ暗いことがあるんだよ。水商売みずしょうばいやってる奴にはめずらしい話じゃない。あんまり根掘ねほ葉掘はほり聞いてやるなよ。」

 もう一人の男がくぎした。


 私は無表情むひょうじょうでマルガリータを飲みながら、二人の会話に聞き耳を立てていた。今日のマルガリータは塩がよくきいていた。私好みの味だった。

 圭が氷を買って店に戻って来ると、私は会計かいけいを頼んだ。

 「あとで行くから。」

 二人の客に聞こえないようにけいはそう耳打みみうちした。私はだまってうなずいて返事をした。

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