第十一章 オカルト・ライター

  第十一章 オカルト・ライター


 「マスター、同じのもう一杯いっぱい。」

 「はい。」

 奥のカウンター席の男があやしい色気いろけはなつこのバーテンダーに声をけた。男はバーテンダーらしくあらかじめ用意よういしていたグラスの中の氷の上にブランデーをそそいだ。客をよく見ていて準備のいい男だと思った。

 「どうぞ。」

 男が新しいグラスを置くと、ひげやしたその客の男がまた声をかけた。

 「ねえ、マスター。あちらのおじょうさんはお知り合い?」

 「ええ。」

 男は動揺どうようすることも躊躇ためらうこともなくそう答えた。

 「この名刺めいしを渡して紹介しょうかいしてくれないかな?」

 二人の会話は私にも聞こえていて、この金持ちらしい男にナンパされそうになっていると思った。男は名刺めいし両面りょうめんを確認すると、私のところに持って来た。二度もた女に平然へいぜんと男の仲介ちゅうかいができるのかとあきれた。


 「あちらのお客様からです。」

 私は名刺めいしを受け取るだけ受け取った。

 「私は高槻たかつきと申します。」

 高槻たかつき名乗なのる男は私が名刺めいしを受け取ったのを確認すると、その場に立ち上がって挨拶あいさつして来た。派手はで腕時計うでどけいをつけている割には上品じょうひん物腰ものごしだった。

 「どうも。黒沼くろぬまと申します。」

 私は会釈えしゃくだけした。

 「初めまして。黒沼くろぬまさん。マスターとあなたの会話が聞こえて来てしまってね。ちょっと興味きょうみがあって声をかけてしまいました。」

 「はあ。」

 私はこまっていた。うつむいていて分からなかったが、高槻たかつきは明らかに還暦かんれきを迎えていた。愛にとしは関係ないと言うが、私は恋愛れんあいがしたいわけではないので、高槻たかつき対象外たいしょうがいだった。健康で腹上死ふくじょうしのリスクのない男が理想りそうだ。


 「黒沼くろぬまさんは日記にっきを書いたりします?」

 「いいえ。」

 変な質問で何の意図いとがあるのだろうと思った。

 「そうかい。じゃあ、物を書く仕事に興味きょうみはありますか?」

 「ライターの仕事をしています。」

 「あっ!それならうってつけだ。私、小さな会社をやってるんだけどね。うちに記事きじ提供ていきょうしてくれる人を探してるんですよ。今、マスターに聞かせた話を記事きじにしてうちでネット配信はいしんしてみませんか?謝礼しゃれいはずみます。もちろんお勤め先にバレる心配もありませんよ。うちは会員制かいいんせい顧客こきゃくはその道の本物のプロというかディープな専門家せんもんかしかいませんから。」

 高槻たかつきはそう言った。ナンパではなかったが、あやしげな話だと思った。


 「黒沼くろぬまさん、月刊げっかんサタンという雑誌ざっしはご存じかな?」

 「はい。」

 私の勤め先なのだから当然知っている。

 「今月号でね。『猟奇的りょうきてき連続殺人事件れんぞくさつじんじけん真相しんそう悪魔あくまによるもの!?』とだいっているんですけどね、今黒沼くろぬまさんが話してくれた内容には一切いっさいれていないんですよ。私は黒沼くろぬまさんが話してくれたことが真実しんじつで事件の真相しんそうだと思っています。うちで書いて、真相しんそう発表はっぴょうしませんか?月刊サタンのどくにもくすりにもならない中途半端ちゅうとはんぱ記事きじを書いた奴に一泡ひとあわかせてやりたいと思いませんか?」

 高槻たかつきはそう言った。青木あおき一泡ひとあわかせてやるという一言が気に入った。

 「書きます。」

 私は引き受けた。

 「いいね。気概きがいがある人は好きだよ。じゃあ、記事きじが書けたら連絡して下さい。原稿げんこうを確認したら謝礼しゃれいを振り込みます。」

 「はい。」

 謝礼しゃれいなんて期待きたいしていなかった。この世のどこかで悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしきによって恐ろしい事件が引き起こされ、八人もの犠牲ぎせいを出したという真相しんそうが明るみになればいい。そしてひそかに青木あおき一泡ひとあわかせてやれればいいと思っていた。

 「じゃあ、黒沼くろぬまさん、マスター、またね。いいビジネスができた。今日の黒沼くろぬまさんの分の支払いは私が。」

 高槻たかつきはそう言って、テーブルの上に代金を置いて上機嫌じょうきげんで帰って行った。


 「面白おもしろい人だよね。」

 男が閉じた扉の方を見てポツリと言った。

 「よく来るの?」

 「二、三度程度かな。」

 「そう。」

 私はもらった名刺めいしに目を落とした。『株式会社高槻かぶしきがいしゃたかつき』とあったが、何の会社なのかさっぱり分からなかった。


 「ねえ、さっき話の続きをしてもいい?まだ聞きたいことがあるの。」

 私は高槻たかつきがいなくなると、気を取り直して男に尋ねた。

 「何?」

 男は私の方を見た。

 「岡田おかだは何に連れて行かれたの?あなたは何を追い払ったの?」

 私はさっき尋ねられなかったことを尋ねた。何となく答えにさっしがついていて、それを確認にしたかったのだ。

 「悪魔あくま悪霊あくりょう悪鬼あっき。そんなふうに呼ばれるものだよ。」

 男は言いよどむことなくそう言った。

 「やっぱりいるんだ。」

 私は無意識むいしきにそうつぶやいていた。男は何を考えているのか分からない顔でじっと私を見つめていた。



 私は翌日には記事きじをまとめて名刺めいしに書かれた番号に電話をかけた。従業員らしい男が電話を取り、原稿げんこう謝礼しゃれいの送金先を送るよう指示した。私は渾身こんしん記事きじを送ったが、それから数日経っても株式会社高槻かぶしきがいしゃたかつきから何の連絡もなかった。もちろん送金もなかった。だまされたか揶揄からかわれたのかもしれないと思ったが、記事きじを書いたらモヤモヤと鬱積うっせきした気持ちが少し晴れたのでそれでよしとした。


 急展開きゅうてんかいを迎えたのは金曜日の午後だった。何の音沙汰おとさたもなかったのに高槻たかつきから電話があった。

 「もしもし、黒沼くろぬまさん?高槻たかつきですけど。」

 「え?はい。」

 私はもう連絡はないものと思っていたので驚いた。

 「いい記事きじありがとうございました。謝礼しゃれいをお振込みしましたのでご確認下さい。」

 「わざわざご連絡を頂き、ありがとうございます。」

 「いえいえ。実は用件はこれだけじゃないんです。詳しいことをご説明したいので、もし宜しければ今夜七時にあのバーでお会いできませんか?」

 高槻たかつきのことを胡散うさんくさいと思っていたが、あのバーで会うならいいかと思って承知した。

 「はい。うかがいます。」

 「良かった。では午後七時に。」

 高槻たかつきはそう言って電話を切った。


 午後七時、時間通りにバー・カルティック・ナイトに着いた。

 「いらっしゃいませ。」

 男が私を出迎えた。

 「こんばんは。高槻たかつきさんと待ち合わせなんだけど、いらしてる?」

 「まだ。でも別のお客さんが来ている。」

 男は小声でそう言って、店の奥に目をやった。視線の先には二人組の男がいた。一人は三上みかみだった。警察がここに何の用だろうと思った。

 「我々はこれで。」

 三上みかみたちはそう言うと、私の横を通り過ぎて足早あしばやに店から出て行った。


 「あの人たち何しに来たの?」

 「その口ぶりだと刑事けいじだと知っているね。二人はあなたのアリバイを確かめに来た。」

 「警察けいさつに何て言ったの?」

 「正直に全部本当のことを言った。あなたが店にいた時間、店を出て一緒に過ごした時間。もちろん何をしていたのかも話した。」

 刑事けいじたちはとんだ尻軽女しりがるおんなだと思ったに違いない。どうでもいいことだが、恥ずかしさはあった。


 「いやあ、遅れてすみません。」

 二人で話しているところに高槻たかつきが店に入って来た。私はみょうかんが働くことがあった。高槻たかつきは男に挨拶あいさつせず、開口一番かいこういちばんに『遅れてすみません』と言った。それはすでに男と挨拶あいさつを交わして、私が店に入っていることを知っていたからだ。

 「この店って裏口があるの?」

 私は男に尋ねた。高槻たかつきはドキッとした顔をした。

 「あるよ。」

 男がわずかに口角こうかくを上げて答えた。

 「さっき高槻たかつきさんは警察が来るって知ってあわてて裏口うらぐちから出て行った。」

 男が正直に話した。

 「ひどいよ、マスター。言ってしまうなんて。」

 高槻たかつき弱ったように言った。

 「なぜ警察をけたんですか?」

 私は当然の質問をした。

 「それはうちのビジネスがダークウェブ上で行われているからね。警察とは関わりたくないんだよね。」

 高槻たかつきは頭をきながら言った。

 「でも誤解ごかいしないで下さい。小さな法律はいくつかやぶっていますが、人身売買じんしんばいばいとかくすりとか凶悪犯罪きょうあくはんざいには関わっていません。うちがあつかっているのはうらな霊媒師れいばいし宗教団体しゅうきょうだんたい自称じしょう魔女まじょ魔術師まじゅつしなどのその道のプロに向けた商品です。お客様が明日儀式ぎしきやるからヤギのくび一つって注文ちゅうもんしてそれを手配てはいするのが我々株式会社高槻かぶしきがいしゃたかつきです。」

 高槻たかつきはそう言った。本業ほんぎょう取材しゅざいしたいと思った。


 「じゃあ、まあ誤解ごかいけたところで、本題ほんだいと行きましょう。」

 高槻たかつきはそう言ってバーカウンターの椅子いすに座った。高槻たかつきのペースに飲まれた気がしたが私もバーカウンターの椅子いすに座った。


 「黒沼くろぬまさんが書いた記事きじ業界内ぎょうかいないでも評判ひょうばんになりましてね。次の配信はいしんはいつ?ってお客様から問い合わせが来ているんです。それでもし黒沼くろぬまさんにその気があるなら、今後もうちに記事きじろして頂けないかなと思いまして。もちろんきちんと謝礼しゃれいもお支払いいたします。」

 高槻たかつきはそう言った。


 「私の記事きじはどういう使われ方をしているんですか?商品販売事業しょうひんはんばいぎょうなら必要ないですよね?」

 私は疑問ぎもんに思ったことを尋ねた。


 「黒沼くろぬまさん記事きじに合わせて商品も抱き合わせで紹介しょうかいしています。今回の件でしたらお守りや白魔術しろまじゅつけい商品などです。ですが次は黒沼くろぬまさんの記事きじだけの配信はいしんでもいいかなと考えています。というのもお客様の中には黒沼くろぬまさんの体験たいけんを一つの事例じれいとしてとらえて、そこから悪魔あくま対抗たいこうする手段しゅだんを考えたいという要望ようぼうをお持ちの方が多くいらっしゃるんです。どうです?やってみませんか?」

 高槻たかつきは私の顔をのぞき込むように尋ねた。


 面白い話だとは思ったが、そうそうあんな本物の悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしきに立ち会うことも巻き込まれることもない。これまでも散々さんざんいろいろ取材してきたが、ほとんどが眉唾まゆつばで、本物は今回が初めてだった。


 「せっかくのお話ですが、記事きじは今回限りということでお願いします。本物に遭遇そうぐうしたのは私もこれが初めてだったんです。もう二度はないと思います。ですから記事きじも二度目はありません。偽物にせもの記事きじでは意味がないでしょうし、大変有難ありがたいお話ですが、辞退じたいさせて頂きます。」

 私はそう言ってことった。

 「そうですか。そうですか。それは残念ざんねん。もし気が変わったら、いつでも連絡して下さいね。私も黒沼くろぬまさんの記事読みたいと思っているうちの一人ですから。」

 高槻たかつきはそういうとカウンター席から立ちあがった。

 「今日はゆっくりできないので、これで失礼します。何も注文ちゅうもんしなくてすみませんね、マスター。」

 「ぜひ今度ゆっくりできる日にいらして下さい。」

 男は営業用えいぎょうようスマイルでそう言った。

 「じゃあ、黒沼くろぬまさん。ごえんがあればまたいつか。」

 高槻たかつきはそう言うと店の正面口しょうめんぐちから出て行った。


 「よかったの?」

 高槻たかつきが出て行くと男が尋ねた。

 「うん。もう書けないから。」

 そう言った私の顔を男はじっと見つめていた。

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