第十章 その男、バーテンダー

  第十章 その男、バーテンダー


 ニュースを見て岡田おかだ指名手配しめいてはいされたのは自業自得じごうじとくだと思った。直接手を下していなくても皆を生贄いけにえにして死にいたらしめたのは岡田おかだだ。証拠しょうこがなくてつみにはわれないと思っていたが、警察けいさつ勘違かんちがいに救われた。一方で鈴木すずき遺体いたいで発見されたことには納得なっとくが行かなかった。儀式ぎしきには参加さんかしていなかったのになぜ巻き込まれたのか。自分の身代みがわりになったのではないかという一抹いちまつ不安ふあんよぎった。


 会社に行くと連続殺人事件れんぞくさつじんじけんの話で持ち切りで、なぜか話題わだい中心ちゅうしん同僚どうりょうライターの青木あおきだった。

 「おはようございます。お休みありがとうございました。ご迷惑めいわくをおかけしてすみませんでした。」

 私はそう一言ひとこと言って席に着いた。


 「黒沼くろぬまさん、おはよう。」

 皆に囲まれていた青木あおきだったが、の中から出て来てわざわざ挨拶あいさつしに来た。絶対ぜったいに何かあると思った。私は警戒心けいかいしんびた目で青木あおき見上みあげた。


 「黒沼くろぬまさん、何日もお休みしてたから、俺が記事きじ書いといた。」

 ありがとうございますと言う前に青木あおきが自分の書いた今月号こんげつごう記事きじを開いて私に差し出した。書かれていたのは私が取材しゅざいしたオカルト研究会けんきゅうかいのことだった。


 「青木あおきさん、これどういうことですか!?」

 私は抗議こうぎした。自分が書くはずだった記事きじぬすまれたのだ。

 「休んでたでしょ?」

 青木あおきはそう言った。

 「だからって人の記事きじっていいことにはなりませんよね?」

 「素材そざい編集長へんしゅうちょうがくれた。うえの決定ってことだから。」

 青木あおきずるい言い訳でかわした。私は記事きじを取られたしさと怒りではらわたえくり返った。

 「文句があるなら編集長へんしゅうちょうに言ってね。」

 うらみがましい目でにらみつけている私に青木あおきはいつもの調子ちょうしでそう言って、の中に戻って行った。


 最悪さいあくだ。命懸いのちがけの体験たいけんをしたのに、何にも知らない外野がいやに取られるとは。しかも事件の真相しんそうは私ですらまだたどり着いていなくてこれから調しらべなくてはならないのに、フライングしてこんな中途半端ちゅうとはんぱ記事きじを出すなんて。

 私はこの八日間の出来事できごと文字もじに起こせないことを知って鬱積うっせきした気持ちで一杯になった。頭をえられないままパソコンを開くと、休んでいた間に届いた大量のメールの中に青木あおきのおつかいで手土産てみやげわたしに行ったインド哲学てつがく藤島ふじしま教授きょうじゅからのメールがあった。

 手土産てみやげに持って行ったチョコレートのおれいと会って話がしたいという内容だった。会って話がしたいというのはオカルト研究会けんきゅうかいの大学生たちが次々に遺体いたいとなって発見されている件について聞きたいということだろう。岡田おかだ指名手配犯しめいてはいはんになっている現時点でこのメールは有効ゆうこう期限きげん切れだ。それでも青木あおき一泡ひとあわかせるきっかけにはなるかもしれないと思って返信だけはしておいた。朝から飲みたい気分きぶんだった。


 午前中は雑務ざつむかたづけた。木曜日に会社を早退そうたいして、金曜、月曜と休んだだけで、メールボックスの未読は五百件をえ、社内稟議しゃないりんぎは私のところで止まっていた。社内打しゃないうち合わせの名目めいもく開催かいさいされる金曜の飲み会に行ってもいない私もなぜサインしなければならないのか。疑問ぎもんに思いながらもサインして承認しょうにんした。五百件越えのメールをさばきながら取材しゅざいのアポを取ってスケジュールをんだ。明日からまた取材三昧しゅざいざんまいの日々が始まる。


 午後は鈴木すずきの事件について調しらべた。自分のせいで死んだのでないかという疑惑ぎわくが頭の中でふくらんで気になって仕方しかたがなかった。


 鈴木すずき岡田おかだの家で遺体いたいとなって発見されたのは間違いないようだ。隣人がケンカする男二人の声を聞きつけて月曜の夜九時に一度目の通報つうほうをし、となりの部屋から異音いおんがすると午後十時に二度目の通報つうほうをした。警察けいさつが深夜の零時に訪問ほうもんすると玄関先げんかんさき岡田おかだが友人とケンカしたと言って警察けいさつ謝罪しゃざいし、追い返した。だが訪問ほうもんした警察官けいかんの一人がギラついた岡田おかだ異様いよう雰囲気ふんいきに気づき、三度目の通報つうほうを受けた時に管理人かんりにんかぎ岡田おかだ部屋へやに入り、そこで鈴木すずきの変わりてた姿を見つけた。


 そこからは報道ほうどうにある通り家宅捜索かたくそうさくが行われ、岡田おかだの部屋は徹底的てっていてき調しらべられた。岡田おかだ行方ゆくえ捜索そうさくされたが、実家じっかにも友人宅ゆうじんたくにもおらず、いまだに見つかっていない。鈴木すずきの死の真相しんそうを知っているのは岡田おかだだけだ。早く見つからないものか。そんなことを思いながら各社の記事きじやネットの掲示板けいじばんあさっていた。


 岡田おかだ行方ゆくえが気になって自分の足で追いたくなったが、こればっかりは警察けいさつまかせるしかない。逃亡犯とうぼうはん行先いきさきなど検討けんとうもつかないのだから。ただ気にかかるのは岡田おかだつかまったとして、八人の殺人犯として立件されるだろうかということだった。悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしき生贄いけにえとして岡田おかだが差し出したと言っても誰も信じないだろう。無罪むざい放免ほうめんになる可能性が高いように思われた。


 午後七時、私の足はあの店に向かっていた。バー・カルティック・ナイト。昨日の晩、私が八人目の生贄いけにえにならなかったのはあの男のおかげだと分かっていたが、男が何をしたのかは分からなかった。話を聞かなければならないと思っていて、朝から頭の片隅にあったが、あまりにも荒唐無稽こうとむけいで現実離れしているので、朝一で話を聞きに行く気にはなれなかった。


 「いらっしゃいませ。」

 店の扉を開けると男がいた。黒いバーテンの衣装いしょうあやしい色気いろけはなっていた。

 「こんばんは。」

 私はそう言いながら店内を見渡すと、奥のカウンター席にスーツ姿でひげを生やした男が座っていた。私は手前のカウンター席に座った。

 「来ると思ってた。」

 男は温かいおしぼりを手渡しながら言った。店なのに敬語けいごは使わなかった。

 「聞きたいことがあって。でも他のお客さんがいることだし、出直でなおす。」

 奥のカウンター席を見ながら私は言った。

 「あちらのお客さんのことは気にしなくていい。聞かれても問題ないから。」

 男は小声こごえでそう言った。

 「何飲む?」

 「マルガリータ。」

 「はい。」

 男はそう返事をすると作り始めた。男がシェイカーに氷とテキーラを注いでいる間、奥のカウンター席の男が気になってチラチラと視線を送った。うつむいてブランデーをロックで飲んでいた。スーツは既製品きせいひんではなくオーダーメイドだとそでの長さと光沢こうたくのある美しい黒蝶貝くろちょうがいのボタンで分かった。スーツが男の武器だと思っている営業マンか会社経営者だろうと思われた。おそらく後者だ。目を引く派手はで腕時計うでどけいをつけていた。営業マンならあからさまに自分の経済力を誇示こじするようなものは身につけない。


 男がシェイカーを振り始めた。自然と目が男を追った。リズミカルに体をらす姿がびやかでダンサーのように美しかった。

 「どうぞ。」

 男はふちに塩がついたグラスにそそぐと白いマルガリータを差し出した。

 「ありがとう。」

 私は一口グイっと飲んだ。口の中で溶ける粗目あらめの塩が私好みだった。

 「美味おいしい。」

 本当にあじわって、そう思って言った。男は満足まんぞくそうなみをかべていた。


 「聞きたいことって昨夜ゆうべのこと?」

 男の方から話を切り出した。

 「そう。あなたは何をしたの?」

 私は思わずり出して尋ねた。

 「俺はあなたを守った。昨日見たでしょ?」

 「池内いけうち生首なまくびは何度も見たけど、昨日は何も見なかった。」

 本当のことだ。私は布団ふとんの中にかくれていた。

 「信じてない?」

 男はどことなく不機嫌ふきげんそうな雰囲気ふんいきかもし出して言った。

 「そういう訳じゃない。あなたが何をしていたのか私には分からなかっただけ。だから聞きに来たの。」

 私は男の機嫌きげんそこねて、話をしぶられないように言葉ことばえらんで言った。

 「まずはそっちが知っていることを話して。俺も自分が何をはらったのかまでは分からなかった。」

 男は無表情むひょうじょうでそう言った。私はまだ残っている恐怖感きょうふかんがざわめき出しているのに気づきながらも話始めた。


 「私は先週の月曜日に大学のオカルト研究会けんきゅうかい悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしき取材しゅざいに行ったの。主催者しゅさいしゃ岡田おかだと言う学生で、今、連続れんぞく殺人事件さつじんじけん容疑者ようぎしゃとして指名手配しめいてはいされて行方ゆくえをくらましている。岡田おかだはオカルト研究会けんきゅうかいのメンバー七名と私を悪魔あくまへの生贄いけにえにした。月曜の深夜しんやから一人ずつ死に、それが儀式ぎしきの時に使ったじんにあらかじめられていた番号順ばんごうじゅんで、私にも八番という番号がられていたことに気づいたのは水曜。水曜日の内に岡田おかだに死を回避かいひする方法を尋ねに行ったけれど取り合ってもらえず、木曜日をむかえ、三人目が死んだことを知って、私は何もかもあきらめた。オカルト研究会けんきゅうかい副部長ふくぶちょうだった鈴木すずきが何度も連絡れんらくをくれていたけど、それも無視むしして責任せきにん放棄ほうきした。もう死ぬと思って、最後に一杯いっぱい飲みたくなって、月曜の夜にこの店に来た。それが昨日。私は今もこうして生きてるけれど鈴木すずきが首のない遺体いたいとなって岡田おかだの部屋で発見された。鈴木すずきは私の身代みがわりで死んだの?」

 私は話し終えると男の顔を見上げた。男の目はじっと私を見つめていた。


 「鈴木すずきはたぶん岡田おかだに殺された。」

 「え?」

 男はまるで探偵たんていのようにそう言った。

 「本物の殺人事件さつじんじけんが起きたんだ。鈴木すずきは仲間のために何とかしようとして首を突っ込み過ぎたんだろう。」

 鈴木すずき言動げんどうに思い当たるふしがあった。自分の主義主張を正しいと信じてそれを他人にも押し付けるところが確かにあった。社会に出ていない学生にありがちで、若い証拠しょうこだ。大人になると主義主張がうすれて消えてゆく。


 「岡田おかだはもう探しても見つからない。」

 「岡田おかだが?なぜ?」

 「生贄いけにえらなくて連れて行かれた。」

 「どこに?」

 「深淵しんえん。俺にもくわしいことは分からない。」

 「生きているの?」

 「死んだと思っていい。」

 男はそう言いながらアイスピックでこおりくだき始めた。奥のカウンター席に目をやると、男のブランデーがからになっていた。


 「ねえ、あなた何者なにものなの?」

 私は小声こごえで尋ねた。

 「見ての通りバーテンダー。」

 男は球状きゅうじょうに切り出した氷をグラスに入れるのを見せながら言った。



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