第五章 一人、二人【R】

  第五章 一人、二人


 私はそのまま喫茶店きっさてんに残って黒魔術くろまじゅつサイトの管理人かんりにんという男に会った。いつものように名刺交換めいしこうかんから始めて、記事きじにできそうな話を聞き出して、終わったら会社に戻って原稿げんこうを起こして、校閲こうえつに回して、一日の仕事を終えた。

 何のこともない一日だったが、まっすぐ家に帰りたくなかった。昨日も飲んだが今日も飲みたい気分だった。でもマスターのいないあの店は物足りなく感じたし、二日連続で通ってあの新しいマスターに店を気に入ったと勘違かんちがいされるのも嫌だった。多少自意識過剰じいしきかじょうなのは分かっている。

 「新しい店を開拓かいたくするか。」

 私の答えはそこに行きついた。かねてから一度入ってみたいと思っていた会社近くのバーに行ってみることにした。


 バー・グレン・エアの外観がいかんはレンガ造りでシックだが、青い照明しょうめいが都会的でありながらも幻想的げんそうてき雰囲気ふんいきかもし出していた。私が好きな感じだ。中に入ってみると、客は二人しかいなかった。照明しょうめいが暗くて顔はよく見えなかったが、二人共男のようだった。女一人で入っていい店ではなかったかと思っていると、店のマスターが声をかけてくれた。

 「いらっしゃいませ。」

 「どうも。」

 私は身構みがまえて反射的はんしゃてきにそう言ってぺこりと会釈えしゃくした。

 「初めてのお客様ですね。カウンター席にどうぞ。」

 ここのマスターは白髪しらがじりで、優しそうな紳士しんしだった。としは四十代後半くらいだろうか。店をかまえてこの道は長そうだった。きっとカクテルも期待きたいできる。

 「何にしましょう?」

 「ええと。」

 私はマスターの後ろにあるたなに目を走らせた。ウイスキーのラインナップが豊富ほうふだった。

 「リベリオン。」

 私がそう言うと、マスターがふっと口元くちもとうれしそうな笑みを浮かべた。

 「リベリオンですね。」

 マスターはい黄色の大きなオレンジを包丁ほうちょうで二つにると、真っ赤な果肉かにくしぼった。まるで血のようにしたたるブラッドオレンジの果汁かじゅうつぶしたグローブが入ったグラスにそそぎ、そこにウイスキーとベルモット、チョコレートリキュールもくわえてかき回し、しながら花のようなシルエットのマティーニグラスにそそいだ。

 「どうぞ。」

 マスターが差し出した。琥珀色こはくいろのウイスキーにうすくスライスしたオレンジがかざられ、まるで一つの作品のように美しかった。私は勿体もったいないと思いながらも美しい作品に口をつけた。

 「美味おいしい!」

 初めて訪れた店でそう声を上げてしまうくらい美味おいしかった。

 「ありがとうございます。」

 マスターは優しく微笑ほほえんだ。ここが私の新しい行きつけの店になりそうだ。


 「マスター、二杯目はマスターのおまかせでお願いします。」

 一杯目が空になる前から二杯目に期待きたいふくらませてそう言った。

 「何か苦手にがてなものやおこのみはありますか?」

 「苦手にがてなものはないです。今日は甘いのが飲みたいです。」

 「分かりました。」

 二杯目に出て来たのはレッドチェリーがえられたマンハッタンだった。ウイスキーベースのカクテルでは王道中おうどうちゅう王道おうどうだ。これも美味おいしかった。調子ちょうしに乗って三杯目も頼んだ。話の流れでチョコレート・マンハッタンを注文ちゅうもんした。これも美味おいしかったが、アルコール度数どすうの強い酒を三杯も飲んでフラフラだった。マスターとウイスキーの話をしたということはおぼえているが、話の内容まではおぼえていない。こんな状態じょうたいになってしまったらもう帰らないと。

 私は『また来ます』と言って、会計かいけいを済ませて店を出た。


 そう。私は家に帰るつもりだった。そのつもりで電車でんしゃに乗った。けれど家の最寄もより駅に着くと、なぜかまた帰りたくなくなって、足が自然とあの店に向かった。バー・カルティック・ナイト。店の扉を開けると昨日と同じ男がいた。


 「いらっしゃいませ。」

 そう言ったのが聞こえたが、挨拶あいさつし返さなかった。無言むごんでカウンター席に座った。失礼なのは分かっている。自分からこの店に来たくせにこの新しいマスターに対する反発心はんぱつしんがあった。

 「どこかで飲んだ帰りですか?」

 男がおしぼりを差し出しながら尋ねた。

 「リベリオン。」

 「REBELLION?」

 みょうに男の発音はつおんは良かった。私は男の顔を見上げた。

 「お店の名前ですか?」

 私は注文ちゅうもんしたつもりだったが、男はリベリオンを店の名前だと勘違かんちがいした。たぶんこの男はリベリオンというカクテルを知らない。

 「マルガリータ下さい。」

 「マルガリータですね。」

 男はそう言うと、昨日と同じように手際てぎわよくシャイカーに氷とテキーラを入れた。そこにライムジュースとホワイトキュラソーがくわえられると、ほのかに柑橘系かんきつけいのフレッシュなかおりがただよって来た。ふたを閉じると男は軽快けいかいなリズムでシェイカーをった。その姿は思わず見とれてしまうほど美しかった。うでばすと、服の上からでも筋肉質きんにくしつな体のせん強調きょうちょうされ、れるかみ色気いろけいていた。

 「どうぞ。」

 昨日と同じ白いマルガリータを差し出した。私はグイっと一口ひとくち飲んだ。

 男は私の顔を見つめていた。『美味おいしい』の一言ひとことを待っているようだった。

 「美味おししいです。」

 作ってもらった礼儀れいぎとして、そこは口をきいた。

 「ありがとうございます。」

 男は少し微笑ほほえんでそう言った。昨日よりも表情や雰囲気ふんいきやわらかくなっていた。もしかしたら常連じょうれん相手あいてにこの男も緊張きんちょうしていたのかもしれない。それなのに昨日は不機嫌ふきげんそうにさっさと帰ったりして、私は意地いじの悪いことをしたものだ。

 「今日はお客さん私だけなんですね。」

 私は店内を見回みまわして言った。いい時間だった。いつもなら食事を済ませた客が流れて来て席がっていた。

 「ええ。今日はもう店をめようかと思っていたところなんです。」

 男は弱気よわきにもそう言った。開店早々そうそうこれではさきが思いやられる。やっぱり客商売きゃくしょうばいの大変さを知らないあまちゃんだ。

 「めてどうするんですか?」

 私はマルガリータのグラスを片手かたてたずねた。

 「どうしましょう?」

 男はこまり顔をして見せたが、口元くちもとには余裕よゆうみをかべていた。その表情を見て目の前にいるのがしたたかな男だと分かった。こういう奴はかしこくて立ち回り方も上手うまい。信用ならない人種じんしゅだ。マスターと違って優しくもない。やっぱりこの店には来るんじゃなかった。お気に入りのものがなくなったことを思い知るだけだった。私はマルガリータを飲みした。

 「一緒に帰る?」

 私はそう言って男を誘った。もう二度とこの店に来るつもりはなかった。それならこの男を試してみたいと思った。ダンサーのようにいい体をした男。

 「一緒に帰ります。」

 男はさそいに乗って来た。口元くちもとにはずっと同じ笑みが浮かんでいた。


 名前も知らない男を家に連れ帰るなんて、自分はとんだアバズレだと思う。けれど誰かにそれをることはない。親も兄弟も友達も恋人も誰もいないのだから。

 「シャワーびて来るから適当てきとうに座ってて。何か飲むなら冷蔵庫れいぞうこにビールがあるから勝手かってに取って。」

 私はそう言って男をリビングに残して風呂場ふろばに行った。男はれているのか物怖ものおじする様子ようすはなかった。

 シャワーをびて戻ってくると男はソファーに座りながらたなかざられている家族写真をながめていた。

 「ご家族ですか?」

 「そう。」

 「お亡くなりに?」

 「そう。」

 なぜ分かったのだろう。

 「一軒家に連れて来られたので、少し驚きました。てっきり誰かいるのかと。」

 ああ。そういうことか。独身女がマンションを買うことはよくあることだが、一軒家いっけんやを買うのはかなりめずしい。一軒家いっけんやには家族と一緒に住んでいると思って当然とうぜんだ。

 「二人共少し前に亡くなったの。今は一人で住んでる。」

 「ねこもいたんですね。」

 「・・・そう。」

 「最近までいました?」

 「何でそう思うの?」

 「ねこの毛がまだソファーについているから。」

 男は何度あらっても繊維せんいからみついてとれないねこの毛をソファーカバーから見つけて言った。

 「シャワーびて来て。タオルは浴室よくしつにあるから。」

 私はそう言って男を浴室よくしつに追い立てた。もう家族の話はしたくなかった。男はだまってソファーから立ち上がった。


 リビングに一人になると猫が写った家族写真を手に取った。メソメソと過去を振り返るのはガラではないが、この写真を見るとつい思い出してしまう。去年まで一緒にいた毛むくじゃらの相棒あいぼう。両親を亡くした私の唯一の家族だった。今まで生きて来た中で本当の愛情をそそいだのは彼だけだった。いつもこのソファーで目が合うとひたいこすりつけて来て、私もそれにこたえるようにひたいてて、『愛してる』とささやいた。

 「ケイ。」

 私は写真の中の彼をゆびでながら呼びかけた。心がこわれそうだった。


 十分じっぷんもしない内に男はれたかみこしにタオルをいてリビングに姿をあらわした。父のふくしてやることもできたが、きずりの男にさわらせたくなくてめた。心のどこかで男をきたなけがれたものだと思っていたのかもしれない。

 「こっち。」

 私は男を自分の部屋に誘導ゆうどうした。廊下ろうかを歩いて階段かいだんのぼっている間、男はだまってついて来た。向こうにしてみても私は得体えたいの知れない女だった。こんな一軒家いっけんやれ込まれて気味悪きみわるくはないのだろうか。やることしか考えてないということか。


 部屋の扉を開けて中に入ると部屋の中央の壁際かべぎわにベッドがあった。私はそこに向かってふくぎながら歩き、はだかでベッドに上がった。男は後について来て、こしいていたタオルを取った。思っていた通り、いい体をしていた。うす皮膚ひふの下に隆々りゅうりゅうとした筋肉きんにくかくれていて、体をばしたり、よじったりすると、それがかんで来た。動作どうさ一つ一つが造形美ぞうけいびあたいする美しさだった。

 「きたえてるの?」

 ベッドの上に乗って来た男に尋ねた。

 「いいえ。」

 男は短く答えると、私の顔から首筋くびすじむね指先ゆびさきでなぞるようさわった。もうおしゃべりをするつもりはないようだ。


 男は私のうでつかみながらキスとすると、ベッドの上にたおした。おたがいこれが目的だ。前戯ぜんぎはそこまで期待きたいしていなかったが、男の仕事は丁寧ていねいだった。いきなり挿入そうにゅうなんてことはせず、肌の上に手をすべらせ、したわせ、私の体がうずき出すのを待った。

 男のれたかみが肌にれるたびに自分もれていくのを感じた。私が甘い吐息といきくと、男は太ももの内側に手をわせ、私の中にゆびを入れて具合ぐあいたしかめた。思わずりきんで息をめた。

 「ちゃんといきして。死んじゃうよ。」

 男はそう言って、自分がめやすいように私の足をひろげた。主導権しゅどうけんうばわれたような気がしたが、男のゆびが動くと、思考しこう停止ていしして、あらがうことができなかった。何度も気持ちいいところをこすられて、自分から足を大きくひろげて、男のゆびおくに入るのを期待きたいした。男は期待きたい通りに何度もゆびおくいた。いずみのように愛液あいえきあふして来た。

 「一回、手でイかせて欲しい?」

 男が尋ねた。

 「うん。」

 私はうなずいた。

 男は早く小刻こきざみにゆびを動かし、どうして分かったのか、私が一番感じるポイントをこすった。こすられてねつはっするのではないかと思うくらいこすられて、私はあえぎ出していた。男は楽しんでいるように口元くちもとに笑みが浮かべていた。

 『何が可笑おかしいの?』そう尋ねてやりたかったが、指に翻弄ほんろうされて私の体は意思いしに関係なくピクピクと刺激に反応し、あえぐことしかできなかった。

 男の指の動きが変わって早く大きく動き出した。男の手は愛液あいえきれ、おくまでよく届いた。一番奥までし込まれると我慢がまんしていても声がれた。その声を聞いて男は喜んでいた。

 「イった?」

 男が尋ねた。

 「うん。」

 私はただうないた。

 「次はもっとイかせてあげるから。」

 男はそう言って、体勢たいせいを変えてゆっくり挿入そうにゅうした。私の体はほぐされてやわらかくなっていたし、愛液あいえきあふれていたからスルスルと入った。全部入りきると男は私の上におおかぶさり、動き出した。ずっとシーツをにぎめていたが、自然しぜんと男の背に手を回したくなった。しがみつくように背に手を置くと、男のねつ鼓動こどうを感じた。躍動やくどうする体が野生やせいけもの彷彿ほうふつとさせた。本能ほんのう忠実ちゅうじつせい享受きょうじゅし、自由にけ回るけもの。それがこの男の正体しょうたいのように思えた。

 「足をからめて。」

 男が言った。私は言われた通りに男のこしに足をからめると、男ははげしくこしを動かし始めた。接続せつぞく部分があつくなり、おくかれるたびに私はあえぎ声を上げた。

 「気持ちいい?」

 男は動きながらたずねた。

 「うん。」

 私はうなずいた。

 「イった?」

 何度も秘孔ひこういて、私のあえぎ声を聞いたくせに男が尋ねた。

 「うん。」

 私はうなずいた。

 「じゃあ、そろそろ終わりにするね。」

 男はそう言って、私の口をふさぐようにキスをし、押さえつけるように体重を乗せると、私の中に射精しゃせいした。

 「んんっ!」

 私は男を退けようと抵抗ていこうしたが、たくましい男の体に乗られて身動みうごき一つとれなかった。出し切った後、ようやく男は私の上からどいた。

 「どういうつもり!?中出なかだしするなんて!?」

 私は男に抗議こうぎした。

 「嫌なら最初からなまでやらなければいい。てっきり全部入れて欲しいのかと思った。大丈夫。これで妊娠にんしんしたりしないから。」

 無責任むせきにんにも男はそう言った。

 「出て行って!」

 私は怒りにまかせてそう言った。

 「・・・今夜めてくれたら守ってあげる。」

 「はあ!?」

 「聞く耳を持ってないならもういい。」

 男はそう訳の分からないことを言うと、ぱだかのまま部屋から出て行った。服は浴室よくしつに置きっぱなしだった。間抜まぬけな男。


 私は玄関げんかんの扉が開いて男が出て行ったのを確認してから、階段かいだんを下りて再びシャワーをび、精液せいえきまみれにされた体を洗った。いやな夜になった。

 かみかわかしてからリビングに戻ると時刻じこくは午前二時を回っていた。私は真夜中まよなかに男を外にほうり出したらしい。ろくでもない男だ。気にめることはない。私は冷蔵庫れいぞうこやしてあったビールを取った。今日は飲んでばかりだが、飲まないとイライラして眠れない。リビングのソファーで缶ビールのふたを開けると、キッチンの方から重たい何かがゴトンと床に落ちる音がした。何だろうと思って、立ち上がってキッチンの方を見ると、そこに人間の生首なまくびころがっていた。気味きみの悪いうねった黒髪のあいだから青白あおじろい顔がのぞいていた。私はこおり付いて声も出なかった。生首なまくびはゴロゴロと動き出して私の足元あしもとまでころがって来た。私はソファーの上に退いた。

 「黒沼くろぬまさん、げて。」

 生首なまくびはそう言った。したを見ると生首なまくびと目が合った。私はこわくなって目を閉じて耳をふさいだ。

 いつまでそうしていたのだろう。次に目を開けると、そこには何もいなかった。まだ口をつけていなかったビールが床に転がって、中身がこぼれ出していた。飲み過ぎで幻覚げんかくでも見ていたのだろうかとうたがったが、こんなことは今まで一度もなかった。それにあの生首なまくびの顔には見覚みおぼえがあった。今日会った池内いけうちの顔だった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る