第三章 悪魔召喚の儀式

  第三章 悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしき


 サークルとうの一階にたむろしていた学生たちは午後七時半になると、悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしきを行う一室いっしつにゾロゾロと入って行った。部屋へやの中はカーテンがめられていてくらく、蝋燭ろうそくの火だけでかりをとっていた。アロマキャンドルを使っているのか、はながりそうなほどあまったるいにおいがした。


 「黒沼くろぬまさんはそこにすわって見学けんがくして下さい。」

 岡田おかだがわざわざ椅子いす用意よういしてくれた。

 「ありがとうございます。」

 六時間立ちっ放しを覚悟かくごしていたからうれしい。私はすわって録画ろくがし始めた。


 「じゃあ、悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしきを始めます!」

 岡田おかだがご機嫌きげんな様子で声高こえたからかに部屋の中央に立って言った。この部屋に祭壇さいだんはなく、ヤギの生首なまくびもなかった。ゆかえがかれている円陣えんじん魔女まじょのところで見たものとは違っていた。学生のお遊びにしてはっているが、魔女まじょの店で本気ほんき悪魔あくま召喚しょうかんを見た後だからインパクトにけた。やはりヤギの生首なまくびのインパクトは大きい。ささげものの供物くもつがあるからと言って、悪魔が出て来るとは思わないが。


 参加さんかしている学生の人数は八人。女子が二人、男子が六人だ。岡田おかだが中央に立ち、他の学生は円の外側そとがわ写真しゃしんったり、ビデオをまわしたり、映像えいぞう配信はいしんしたりしていた。実際に悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしきり行うのは岡田おかだ一人だった。


 岡田おかだふるそうな本を手に持っていた。大学の図書館としょかんりたのか、自分で購入こうにゅうしたのか後で質問しなければ。そんなことを考えながら岡田おかだが本を読み上げるのを見ていた。岡田おかだ魔女まじょとは異なり、日本語だった。視力しりょくが悪くて良くは見えなかったが、本も日本語のようだ。


 「偉大いだいなる悪魔あくまルシフェルよ。我が前に姿すがたあらわたまえ。そしてねがいを聞き届けたまえ。」

 岡田おかだ鳥肌とりはだか立つくらい恥ずかしい言葉を並び立てて悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしきを始めた。これを真顔まがお真剣しんけんにできるのは若者かガチの悪魔あくま崇拝者すうはいしゃだけだ。岡田おかだ撮影さつえいしている学生もクスクス笑っていた。


 岡田おかだは約三十分間同じ言葉をずっとかえして、悪魔を召喚しょうかんしようとこころみた。もちろん結果は何も起こらなかった。悪魔は来なかったようだ。具合ぐあいが悪くなったり、こわがって退出たいしゅつしたりする学生でもいれば、多少真実味しんじつみというか、何かあったのではとにおわせる記事きじが書けたのだが、皆ピンピンして、きゃっきゃっ言いながら打ち上げの相談そうだんをしていた。所詮しょせんはおままごとだ。


 「今日は取材しゅざいさせて頂き、ありがとうございました。」

 私はかたづけを終えた学生たちにサークルとうの一階でそう挨拶あいさつした。

 「黒沼くろぬまさん、いい記事きじ書いて下さいね。うちのサークルの宣伝せんでんもお願い申し上げます。」

 岡田おかだが楽しそうに言った。

 「はい。来月号らいげつごうお送り致しますね。」

 私はそう言って学生たちとわかれた。


 学生たちは学校近くの居酒屋いざかやで打ち上げ。私はいつものバーで一人で打ち上げ。学生たちに一緒に飲もうとさそわれたが、たかられるのが目に見えていたのでことわった。


 「こんばんは。」

 いつものようにそう言って店に入ると、知らない男がホールに立っていた。いつもならマスターが立っているはずの場所だった。アルバイトの人だろうか。

 「いらっしゃいませ。」

 目が合うと男は挨拶あいさつした。一昔前ひとむかしまえ映画えいが俳優はいゆうみたいな顔立かおだちの男だった。


 「マスターは?」

 私がカウンターに座りながらそう尋ねると、男はおしぼりを差し出した。私はいつものクセであたたかいおしぼりをすぐさま取った。冬でも夏でもあたたかいおしぼりは私のいやしだ。

 「マスターは私です。」

 男はそう言った。耳をうたがった。

 「前のマスターはどうかされたんですか?」

 先週までここに立っていたのに。突然とうぜんのことでそう思わずにはいられなかった。

 「常連じょうれんの方ですか?前のマスターはこしを悪くしまして、この店を私にゆずってご勇退ゆうたいなさいました。」

 丁寧ていねい口調くちょうで男はそう言った。

 「そうでしたか。」

 この店の魅力みりょくきゅうせた気がした。おしぼりを手に取っておいて何も注文ちゅうもんしないわけにはいかない。私はいつものように、ソルティードッグを頼もうとした。

 「ソルティードッグ・・・やっぱりマルガリータをお願いします。」

 一杯いっぱいんで帰るなら度数どすう強めなのがいいと思った。もちろんマルガリータもスノースタイルのカクテルだから、グラスのふちしおかざられている。

 「承知致しました。」

 男はそう言って手際てぎわよくシャイカーに氷とテキーラ、ライムジュース、ホワイトキュラソーを入れてり始めた。もしかしてマスターの息子むすこさんだったりするのだろうか。まるでダンサーのように体をらす男の姿態したいを見つめながら私は思った。としは私と変わらなそうにも見えるし、顔はマスターにていないけど母親似ははおやにということもありる。


 「どうぞ。」

 男が白くて美しいマルガリータをし出した。

 「ありがとうございます。」

 私はいつものようにグイっと一口飲んだ。ライムのかおりと酸味さんみに、グラスのふちについた塩の塩味えんみがマッチして美味おいしい。カクテルが好きなくせにアルコールには強くないから度数どすうの強いマルガリータはほとんど注文ちゅうもんしない。たまにはいいものだ。


 「美味おいしいです。」

 「恐縮きょうしゅくです。」

 男はそう言って小さくお辞儀おじぎをした。物腰ものごしやわらかく、言葉ことばづかいは丁寧ていねいだが、サービスぎょうれている感じはしなかった。優等生ゆうとうせいのおぼっちゃんがだつサラして、一時いちじまよいでバーテンダーをやっている。そんなふうに私の目にはうつった。


 「マスターは前のマスターの息子むすこさんだったりするんですか?」

 私はたずねてみた。

 「いえ。そういうわけでは。前のマスターにご家族はいなかったそうですよ。」

 男はマスターの息子むすこではなかった。この店に対する愛着あいちゃく応援おうえんしてあげたいという気持ちもなくなった。

 私は次の一口で一気にマルガリータを飲みした。

 「ご馳走様ちそうさまでした。」

 私はそう言って席を立った。

 「お気にしませんでしたか?」

 私が一杯いっぱい飲んですぐさま席を立つものだから男は心配しんぱいしてそうたずねた。

 「美味おいしかったです。今日は時間がないので、また来ます。」

 私は心にもないことを言った。

 「どうぞご贔屓ひいきに。」

 男はそう言って私を見送みおくった。

 マスターはいつも小夜さよちゃんと名前を呼んで見送ってくれた。家族も友達もいない私の名前を唯一ゆいいつ呼んでくれる人がマスターだった。もう私の名前を呼んでくれる人は誰一人いない。

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