台風と豪水獣

 翌日の台風は熱帯低気圧に変わることなく、天気予報の通りに直撃した。

 雨戸の外がガタガタと音を立てるのを聴きながら、オレはバクバクする心臓を深呼吸で必死に落ち着ける。

 昼夜との連絡は取れない。電話番号を知らないし、そもそも電話なんて持って無さそうだし。もしかしたら似た道具は持ってるのかもだけど、オレには渡されてないし。

 両親は仕事に出た。今朝の段階では電車も動いていたし。だけどアヤカ三小は休校で、留守番になったオレは外には絶対出るなと言われている。


 言われなくとも、こんな天気の日に外には出ない。

 ふつうだったら。でも、汐見海璃はふつうのヤツか?

(もしアイツが液体ネコを探しに出てたら……)

 マズいことになる、と思う。雨や風でケガをするとか、そういうレベルじゃない。

 オレの予想が正しかったら、の話だけど。判断するのはオレ自身だ。ニュース番組で外の荒れ模様を確認しながら、オレは再三の自問自答を繰り返す。


 どうするべきだ?

 ……決まってる。なにも無かったら、全部オレのカン違いだったら、それはそれでいいんだ。でもこれを放っておいて、後で悔やむのはイヤだ。

「行くしかないよな、やっぱ」

 一人でつぶやいて、オレは昼夜にもらったキューブを胸に当てる。

 淡い光と共に、全身を覆う強化スーツ。これで準備は完了だ。

(誰かに見つかる心配は……この際いいか)

 仮に見られても、大雨の中だ。ハッキリとは分からないだろう。

 オレはそう考えて、家を出た。玄関から二、三歩出ただけで、叩きつけるような豪雨が体中を濡らす。

 町は静かだった。正確には、雨と風の音しかしなかった。

 車とか人とかの、生活の音がしない。ごうごうと重苦しい風と、バケツをひっくり返したみたいな勢いでコンクリートを叩く雨。見慣れた景色なのにどこか異世界みたく思えるその中を、オレは真っすぐに走った。

 目的地はもちろん、いつもの公園。

 歩けば二十分以上は掛かる道のりが、強化スーツで走ればほんの数分だ。

 そうして公園に着いたオレは、公園内に一人の子どもを見つけた。

 濃い青色の雨合羽を身に着けたその子は、雨や風で苦し気にしながらも、公園内を歩き何かを探している。

「やっぱり、汐見だ。なぁ、おい――」

 オレが声を掛けようとした、その時。


 がさがさがさがさ!

 茂みと木々が揺れて、公園の端から、巨大な影がぬるりと現れる。

 その大きさはリクザメ以上。アムールトラより一回りも二回りも大きい、巨大な水の獣。


「な、な……えええっ……!?」

 水の獣ににらまれて、汐見は驚き声を上げる。

 その叫び声に、水の獣は不愉快そうにうなりを上げた。うなりというか、滝の落ちる音みたいな何か、だけど。

「やっぱり、そうなるよなぁ……!」

 外れて欲しい予想が当たってしまった。

 水を吸収して生きる水状生命体と、台風。二つが揃った時点で、イヤな予感はしていた。


 液体ネコ……アクティトは、雨水を吸って急成長を遂げていた。

 その姿はもう、この前までのネコじゃない。ライオンやトラより厄介な、水の猛獣だ。

「ヴァジャァァァッ!」

 アクティトは吼えると、一気に汐見に飛び掛かる。

 マズい、と思ったオレは、地面を蹴って背後から汐見に接近。抱きかかえて、ダンッとアクティトから距離を取る。

 ずざぁ、と足元の水がしぶきを上げた。公園は水たまりだらけで、気を抜けば滑ってしまいそうだけど、強化スーツの足裏は摩擦力もそれなりに高かった。

(気を付けてれば平気かな。それより問題は……)

 乱入したオレに、アクティトは警戒心を向ける。

 オレはそんなアクティトをじっと見つめながら、じり、じりと後ろに下がっていく。

 そしてちらりと抱きかかえた汐見に目をやると……

「え、えええ、あの、えっ……」

「あー……説明は後でって言いたくもなるな、これ」

 汐見は驚き、混乱していた。気持ちはよく分かる。オレもそうだったし。

 同時に、あの時の昼夜の気持ちもちょっと分かった。切羽詰まった状況で、何がなんだか分からない状態のヤツに説明するの、けっこうめんどくさい。

「あの。……千葉くん、ですよね?」

「まぁな。それより、なんで汐見こんな日に公園来てんだよ」

「なんでって、そりゃあ……液体ネコを探しに……」

「"あと一日"にしたって、明日とか明後日とかじゃダメだったのか?」

「……っ」

 オレが問いかけると、汐見は唇をギュッと結んでオレの目を見た。

 オレはその大きな瞳が耐えられなくて、思わず目を逸らしてしまう。

「あのコメント、千葉くんでしたか」

「昨日たまたま見つけて、もしかして……って思ったんだよ」

 言いながら、オレは汐見を降ろして、一歩前に出る。

「そうですね。明日や明後日に、出来れば良かったんですが」

 今日じゃなきゃダメだったんです、と汐見は言う。


「私、両親に「こんな無駄なことはもう止めろ」って言われていて。存在しないものの話をしても、将来なんの役にも立たないから、って」


 未確認生物とか、宇宙人とか、妖怪とか、謎の古代文明とか。

 そんな非現実的なものに夢中になるより、将来の為になることをしろ、と。


「それでも、趣味としては認めてくれていたんですよ。息抜き、遊びとしてなら。動画の編集だって役には立ちますし。……でもちょっと、やりすぎちゃいましたかね」


 液体ネコ探しに、時間を使い過ぎた。

 そのせいで両親は汐見の将来を危ぶみ、一度は与えた自由を取り上げようとしたらしい。

 よくある話といえばよくある話だ。ゲームのやりすぎでコントローラーを隠される、みたいな経験はオレにもあるし。……でも。


「――おかしいですよねぇ!? だって、液体ネコは……フカシギな存在は確かに、ここに、いたのに! ……なのにそれを、認めてもらうことは出来なくて……!」


 ただ大人しくしていればいい、という話ではない。

 認めて欲しかったんだ、汐見は。自分が見たもの。胸を躍らせたもの。

 オレはじっとアクティトに目線を向けながら、静かに唇を噛む。悔しかった。そりゃあ、汐見の好きなもの全部じゃないだろうけど、中には本当に、この世界に生きてるものだっているのに。汐見だって、それを確かに見たのに。

(……けど、オレのせいでもある)

 あの日、液体ネコを見た時、オレは汐見に記録を取らせないようにした。

 正しい判断だったと思う。昼夜の事を考えたら、ああするしかなかった。

 でも汐見が悔しい想いをしたのは、オレのせいだろう。

 汐見があの日、自分の見たものを証明出来さえすれば、今日ここで汐見が危険な目に遭う事もなかったかもしれない。

「なぁ、汐見――」

 せめて。せめて言うべきことがあるはずだ。オレがそう思い、振り返ろうとした瞬間。


「ヴァジュラァァッ!!」


 しびれを切らしたアクティトが、オレに飛び掛かってきた。

 汐見に意識を向けていたオレは、とっさの反応が間に合わない。

 振り下ろされた前脚を、オレはモロに頭から食らってしまう。

 ずどん、と重たいものを叩きつけられる感覚。ビカッと視界が弾けて、揺れて、これが水の重さかよと心の中で叫ぶ。

「ぐ、ぎぎ……」

 地面に叩きつけられたオレに、アクティトはグッと体重をかける。

 すると水で出来た前脚が、じわり、じわりとオレの体を包み始めた。

(吸収しようとしてるのか……!?)

 分からないけど、もし取り込まれたら呼吸が出来ない。

 っていうか今だって苦しい! 強化スーツのおかげか、身体が潰されることはないけど、肺は押されてるし、地面だって水っぽくて息が吸いにくいんだ。

(そもそも、アクティトは……)

 なんでこんなに怒ってるんだ!? 汐見が何かしたか!?

 いや、オレが見た限り、アクティトは最初っから興奮していた。原因は別にあるんだ。

 とにかく、このままじゃヤバい。オレはどうにか手足に力を入れて、アクティトの前脚から逃れようとするけど……重すぎる!

「千葉さんっ!?」

「……い、ぃ……からっ……逃げ、ッ……!」

 逃げろ、と言っても汐見はその場を動かない。

 しきりに辺りを見回して、何か手はないかと考えているらしかった。

 勇敢なのかもだけど、逃げて欲しいよなぁ、そこは。オレは小さく苦笑いし、いよいよ意識が遠くなってきた、その時だ。


「ああ、もうっ! なんで二人ともいるのさっ!?」


 聞きなれた、木琴の音がオレの耳に届く。

 それから、ズドン。大きな音がして、ずしゃあとオレの体の上に大量の水が降り注いだ。……身体が、軽い。

「ほら、起きて陸人。それから深呼吸。出来る?」

 差し伸べられた手をつかんで、立ち上がる。

 そこにいたのは、やっぱり昼夜だ。ルミナ人の姿に戻った彼は、オレを軽々と引き起こすと、心配そうに顔を覗き込む。

「げほっ。……すぅぅ。はぁぁぁ。悪い、助かった」

「うん。怒るけど、それは後で。今はアクティトを助けなきゃ」

 見上げると、アクティトは前脚から水をだくだくと流していた。

 それに伴って、アクティトの体は少しずつ小さくなっていく。やっぱり、水が抜けると小さくなるんだ。

「助けなきゃ、って。やっぱアレ、変な状態だったりする?」

「過吸収だね。その気も無いのに一気に水を吸っちゃって、彼自身、混乱してる」

 だから水を減らさないといけないんだけど……

 昼夜が言っている間に、アクティトは降り注ぐ雨水を吸収してしまう。

 さっき減らした分が、もうほとんど元通りだ。

「わぁ。やっぱり雨だとダメだなぁ」

「トリカゴで一気に捕まえるのは?」

「混乱して暴れるから、難しいかな。ある程度小さくなるまでは無理」

「じゃあ手数勝負か? 攻撃とかして、痛くないか?」

「痛覚は無いよ。正確には、神経系が体の中心部分にあるんだけど……」

 表面に切れ込みを入れるくらいなら、アクティトが痛がることはないという。

 それなら安心だ。とにかくアクティトを小さくして、トリカゴで捕らえる!

「でも陸人。……分かってるよね、

「今更だろ。その話も、後でいい。……今はアクティトの方、やるぞ!」


 オレは後ろの汐見に、そこから動かないようにと伝える。

 汐見がこくこく頷くのを確認してから、アクティトに向き直り……ダンッ!

 昼夜とタイミングを合わせ、踏み出した。

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