第二部05.大人しく座ります


「ヤニク……?」


 セルディは聞こえた声に目を瞬かせた。


「そうっすよぉー。扉、ゆっくり開けるっすね」


 微かな呟きだったのに、それを耳にしたヤニクから返事が返ってきた。

 ヤニクは言葉通り、馬車の扉をゆっくりと開いていく。


 そこに居たのは、正真正銘のヤニクだった。

 全身茶色でコーディーネートされた地味な服装のヤニクは椅子と椅子の間に四つん這いになっているセルディを見ると、にっこりと笑った。


「お、今度はちゃんと待てたんすね。偉い偉い」


 いつものように軽口を言うヤニクを見ても、セルディは安心は出来なかった。――ヤニクは、血まみれだったのだ。


「ヤニク大丈夫なの!?」


 鉄臭さを漂わせたヤニクは怪我の確認をしようと手を伸ばしたセルディを片手で静止する。


「あー、駄目っすよ。近づいたら……。せっかくの可愛い服が汚れちゃうっす」

「馬鹿!!」


 セルディはヤニクの血まみれの手を掴み、ワンピースのポケットからハンカチを取り出した。

 だが、どう見てもハンカチでなんとかなる量の血ではない。


「お父様! 水の魔石の使用許可を!」

「あ、ああ、そうだな」


 父もヤニクのあんまりな姿に唖然としていたが、セルディに怒鳴られて慌てて立ち上がると、反対側の扉を開けて外へと出た。

 すぐに父が魔石の使用許可をだし、怪我人の治療をするようにと指示を出している。

 セルディは飲み水用にと置かれていた水の魔石を手に取ると、ヤニクに渡した。


「怪我は?」

「あはは、俺は大丈夫っすよー。でもお嬢サマは外には出ない方がいいと思うっす」


 馬車から少し離れて、魔石から出た水を頭から被るヤニクの言葉に、セルディは動きを止めた。


 それは、つまり……。


「誰か、死んだの……?」

「……」


 ヤニクが黙った。

 いつもとは違い、無表情な顔で視線を逸らす様子に、呼吸が浅くなる。


「だ、誰が……?」

「……」


 セルディの問いかけに、ヤニクがチラリとチエリーの方を見た瞬間、チエリーは馬車から飛び出した。

 セルディは事実を知るのが怖くて、ただ深く呼吸をする事しかできない。

 ついさっきまで話していた人が、突然いなくなってしまう事は、どこの世界でも起こりうる事ではある。

 しかし、誰かの死というものはいつでも、どこでも、重く、苦しい。


 セルディは少しの間の後、勇気を持って現状を問いかけようと口を開いた時、怒鳴り声が響き渡った。


「この、馬鹿ぁ!!」


 それは、チエリーの声だった。


「ぷっ、怒られてやんのぉ」


 噴き出したヤニクが楽しげに笑っている。

 セルディの涙は引っ込み、次に湧きあがったのは怒りだ。


「ヤニク……?」

「俺は死んだなんて一言も言ってないっすよぉ」


 それはそうだ、ヤニクは何も言ってない。

 しかし、これは詐欺だろう。

 セルディは眦を釣り上げた。


「……今後、人の生死に関する事で悪ふざけはしないように」

「えー?」


 こいつ、聞き入れないつもりだ。

 セルディはハンカチを持ったままの拳を強く握りしめた。


「ヤニク?」

「いやー、ラムがチエリーさんが冷たいって旅の間中ずーっと愚痴ってたんすよー。それがうるさくてうるさくて」


 だからちょっと仲直りのきっかけをって思ったんす。

 なんて呆気らかんと言うヤニクに、チエリーは重い息を吐き出した。


「……ヤニク、被害状況を報告しなさい」

「軽傷者五名、中傷者二名、重傷者一名。馬車への被害は三台ともナシ。馬は何頭か逃げ出しちゃったんで、あとで探さないと……」

「重傷者!?」


 みんなが無事の可能性は低いだろうと思っていたが、まさか重傷者まで居るとは思わなかった。

 セルディは焦るが、ヤニクは大丈夫だと微笑む。


「腕にヒビが入っただけなんで、大丈夫っすよ。ラムのやつ、キャンベル商会の護衛をつい庇ったらしいっす」


 こう、腕を頭の上で交差させて鎧越しに重い剣を受け止めたのだと、ヤニクが実演付きで教えてくれたが、セルディは心配だった。


「やっぱり私もみんなの手当てを手伝……」

「ダメっす」


 ヤニクがずぶ濡れのまま道を塞いでくる。

 セルディはヤニクを思わず睨みつけた。


「なんでよ。そりゃ死んだ人を見るのは怖いけど、私だって何か……」

「暗殺者が居たからですよ」


 ヤニクの後ろから、別の人物が声をかけてきた。

 それは、鎧に血を付けたサットンだった。


「暗殺者……」

「私達にはわからなかったんですが、ヤニクが言うには間違いないと……」


 セルディが視線を戻すと、ヤニクは苦笑いしている。


「いやー、生け捕りにしようと思ったんすけど、自害されちゃいましてー」


 ヤニクが全身から血を浴びてしまったのは、どうやら敵が目の前で首を掻き切ったからだったようだ。


「生け捕りに出来た奴を問い詰めましたが、自害した男に唆されて今回の襲撃を目論んだと言っています」

「貴族の花嫁を誘拐して身代金を請求する予定だったみたいっすねぇ」


 貴族の花嫁が誘拐されたなんて、醜聞以外の何ものでもない。

 大抵の花嫁の実家は嫁ぎ先にバレないようにと金を積むのだという。

 二人は敢えて何も言わないが、無事に戻る花嫁は少ないのだろう……。


「暗殺者の本当の目的は不明ですが、花嫁と指定していたところからして、セルディ様が狙われた可能性が高いです。しばらくはヤニクから離れないようにしてください」

「わ、わかった……」


 セルディは神妙な態度で頷いた。


(婚約発表を阻止しようとしたのかな……)


 今の現状ではその可能性くらいしか見いだせないが、そうと決まったわけでもない。とりあえず守りを固めて自衛するしかないだろう。

 セルディは大人しく椅子へと腰を下ろした。


「いやー、今回はお嬢サマがじっとしててくれて助かったっす」


 前のように外に飛び出してきたらどうしようかとヤニクは心配していたらしい。


「あんなこともうしないわよ!」


 いや、するかもしれないが。

 それは緊急の中の緊急が起きた場合だ。


「あの時はレオネル様に散々怒られましたからね……」

「思い出させないでよ……」


 サットンの言葉に、セルディは口をへの字に曲げる。

 好きな人からの説教はご褒美……とはさすがにならず、セルディは心配かけてごめんなさいと何度も謝ったのだ。


「その暗殺者の男が意外とやり手だったので、今回はヤニクが居てくれて助かりました」

「そういえばヤニクはどこに居たのよ」


 いつも神出鬼没な男をセルディは不思議に思っていた。

 フォード領を出発した時にはいなかったし、道中一緒に食事をとった記憶もない。


 セルディの問いかけに、ヤニクは片手の人差し指を立てた。


「上っす」

「え?」

「馬車の上」


 セルディは自分達が乗っていた馬車の上に、予備用のテント布が乗せられていた事を思い出す。

 まさか、あれにずっと包まってたってことだろうか……。


「え、ラムの話は……?」

「俺は聞いてただけっす。絡まれてたのは別の奴っす」

「ご飯は……?」

「やだなー、一週間くらい水と干し肉だけでもなんとかなるっすよぉ」

「……」


 セルディは無言で自分用の焼き菓子を取り出すと、ヤニクの手に握らせた。

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