第二部:婚約編

第二部01.デビュタントの準備をします


 カラドネル公爵家が没落してから、三年の月日が過ぎた。

 セルディの身長はレオネルの肩下くらいまで伸び、胸はそこそこ、パサパサの金茶だった髪は手入れのお陰でサラサラで光沢があり、肌もしっとりつやつやだ。


 非公式にレオネルと婚約をしたセルディはその後、火の魔石が取れる領地として陞爵も決まった事から両親共々忙しい毎日を送っていた。


 色々な貴族から送られてくる茶会や夜会の手紙、商人からは火の魔石に関する取引の申し出、伯父ガルドからだけではなく、裁縫師のマグガレからもドレスの部品だけではなく、デザインの相談を受けたり、ダムド家では高位貴族の仲間入りを果たす上でのマナー講座まで開いて貰った。


 セルディだけではなく両親も毎日忙しかった。

 魔石の管理をするには現在のフォード領では危険すぎると輸送ルートを整備する事になり、領主の館も大きく頑丈そうな煉瓦作りに建て直され、立派な柵のある貴族の屋敷らしい建物へと生まれ変わった。

 昔の面影は欠片もない。


 それを少し寂しくも感じるが、夏はともかく冬は断然暖かくなり、布団も羽布団へと変わったので、生活のしやすさの事を考えれば、建て替えてよかったと思える。


 町自体もキャンベル商会の手も借りて防備を固める事になったのだ。国王陛下に提示されていた一年はあっという間に過ぎた。


 陛下から手紙が来なければそんな約束をしたことも忘れていたくらいだ。

 手紙にはこれからもよろしく頼むというような文章が丁寧に書かれており、フォード家は結局爵位を返上する事なく、セルディのデビュタントの日を迎える事になった。


=====


「セルディ、今度はこのドレスを着てみなさい」


 母から手渡されたドレスは薄いベージュにスカート部分には白い花の模様が描かれたレースが付けられ、品が良く見える。

 セルディはそれを死んだ魚の目で受け取ると、侍女達の手を借りて着替えた。


「……」

「やっぱりこっちかしら……」


 次に渡されたのは薄い紫のドレス。小さな花の飾りがあちこちに取り付けられ、可愛らしい感じに仕上がっている。

 母はセルディの返事を待たずに侍女にドレスを手渡した。


 侍女達ももう慣れたもので、ベージュのドレスをあっという間に脱がせると、新しいドレスを着せた。

 そして何度かドレスを着替えているうちに、隣の部屋からぐずる赤ん坊の泣き声が聞こえ始める。


「お母様、エヴァンが泣いてますよ。休憩にしませんか?」

「……そうね。じゃあ十分後までに今度はこの系統のドレスを用意しておいて頂戴」


 ドレス職人達にそう指示を出すと、母は今年生まれた弟の元へと足早に向かった。


 セルディは大きく疲れた息を吐いて、傍の椅子に腰を下ろす。ずっと立ったままだったので、足がパンパンだ。


「お疲れ様です」


 チエリーがすかさず一口サイズのお菓子を持ってきてくれる。

 セルディは有難くそれを口を入れた。


「デビュタントの準備ってこんなに忙しいのね……」

「仕方がありません。人生で一度しか行わないものですから」

「はぁ、エヴァンが居てくれて本当によかったわ。ずっと立ったままでいなきゃいけないのかと思った」

「エヴァン坊ちゃまは奥様に構って貰えずにお怒りのようでしたが」

「あはは、お母様を独占しちゃって悪いわね。後で遊んであげなきゃ」

「お喜びになられますよ」


 セルディはチエリーの言葉に嬉しそうに笑った。


 半年前、セルディには弟が出来た。

 三年前までは農耕が主だったフォード領は魔石のために町全体が整備され、今では街と言えるほどの規模になっている。

 小麦を王都に運ぶだけだった輸送ルートは他領からも荷が行き来するようになり、働き手として雇って貰いたいと移民する人も現れ、人口は今では三倍に増えた。


 その増えた人口のうちの一人が、セルディの弟のエヴァンである。


 ダムド家のタウンハウスではさすがに遠慮していた夜の生活が、新しい屋敷が出来上がって住めるようになり爆発したのだろう。

 セルディは突然出来た十五も下の弟にびっくりした。


 この世界では高齢出産と言える年齢だったために心配したが、初産ではなかった事が幸いしたのか、弟は比較的早い時間で生まれてくれた。

 今も母の体調は落ち着いている事から、セルディも父も、もう大丈夫だろうと安堵している。


 セルディはレオネルと婚約してしまったために起きた跡継ぎ問題も、これで解消されたと少しホッとした。

 実は、親戚だという人間が陞爵後に何人か現れたのだ。

 屋敷にやってくるなり、自分の息子を養子に……、と言い出すものだから、父も母もセルディも最初の頃は唖然とした。


 結局、古い貴族名鑑を見たり、フォード家の家系図を探し出したりまでしてよく調べたところ、赤の他人だった訳なのだが、改めて力のある貴族の地位って怖いと思った。


 ちなみに、古い貴族名鑑を持ってきてくれたのも、母のために医者を紹介してくれたのも、レオネルだ。

 セルディ達がフォード領に戻ってから一年、会えたのは片手で数えるほどしかないが、手紙のやり取りはずっと続いていた。

 レオネルはフォード家が困っていることを聞きつけると、婚約者の家なのだから頼って欲しいと言っていつも力を貸してくれる。

 その事はとても嬉しいが、セルディは寂しくて仕方がない。


「レオネル様は今どうしているかしらね……」


 セルディはぽつりとそう零す。

 カラドネル公爵家が没落したために起きた王都の混乱はようやく落ち着いては来たものの、未だ油断は出来ない状況であると聞く。

 北国に関係する不穏な気配はそこかしこで漂っており、それはフォード領も例外ではない。


 呪われているという洞窟に、抜け穴が見つかったのだ。

 人一人くらいしか行き来出来ないような穴で、繋がっている場所は海の中だった。

 噂されていた毒は、洞窟の劣化によって出来た小さな穴のお陰で人が入っても大丈夫な程薄まっていたのだ。


 人が本当に行き来していたかどうかは定かではない。

 けれど、噂を口にしていた老婆の息子が行方不明だという事が判明した。


 老婆はフォード領が整備される前に高齢のために亡くなってしまったため、その後の調査は停滞してしまっているが、老婆は最期まで息子の安否を心配していたという。


 フォード領全体が整備された後は村に入る人間は厳選されるようになり、魔石は安全を考慮して陸と海の両方から運ばれる事になったが、警戒態勢は以前続いている。


「デビュタントでお会いになれますよ」

「そ、そうよね、正式に婚約発表もしなきゃだし!」


 セルディは頬を染め、気合を入れて拳を握りしめた。

 非公式だった婚約はセルディのデビュタントが済めば公式として扱われる事になる。

 婚約発表後はフォード領には戻らず、ダムド家のタウンハウスで公爵家の嫁になるための教育が始まる予定だ。


「ありがとうチエリー、元気が出てきたわ」

「よろしゅうございました」


 そう二人で話をしていると、母がエヴァンを抱いたまま戻ってきた。


「まぁ、エヴァン。お目目が真っ赤よ」

「奥様から離れるのがお嫌なようで……」


 乳母として雇っているエルシーが困り果てた顔でそう言う。

 そんな彼女の腕にはエルシーの子供のネイトが抱かれていた。

 ネイトは泣き虫のエヴァンが興味深いようで、じっとその姿を見つめている。


「誰に似たのかとっても甘えん坊だわ」


 苦笑しながら言う母は、久しぶりの子育てに苦戦しながらもなんだか嬉しそうで、セルディの心も温かくなった。


「お母様はエヴァンを抱いて座ってて、後は私が決めるから」

「仕方がないわね」


 セルディは意気揚々と並べられたドレスを選び始めた。

 脳裏にはレオネルと一緒に歩く自分の姿を思い浮かべる。


(お母様のような清楚な美人系を目指すぞ!)


 レオネルの隣に立っていても、侮られる事がないように。


 そうしてドレスは決められ、セルディはデビュタントの日を指折り数え待つ事になった。

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