ニーニアの夢
ニーニアは、入れられた貴族の罪人が入る塔の中でぼんやりと鉄格子の付いた窓から外を見ていた。
アクセサリーもドレスも、化粧までも剥ぎ取られ、罪人用の衣服を着せられ、許される自由は外を見つめる事と、いつ毒を飲むかを選択できる事くらいしかない。
ニーニアはちらりとボロボロの机の上に置かれた小瓶を見る。
中には赤黒い液体が入っていた。
その色はよく知っている物であり、恐らくコルクの蓋を開ければ匂いも嗅いだ事があるものだろう。
(因果応報と言いたいのかしら……)
こんな結末になっても、ニーニアの心に後悔はない。
ニーニアはただレオネルが欲しかった。
レオネルを手に入れるためならば、誰が何人死のうとどうでもよかった。
唯一心残りがあるとするならば、レオネルを殺せなかった事だろう。
殺してしまえば、レオネルは永遠に誰のモノにもならなかったのに……。
ニーニアは残念そうに息を吐いた。
=====
ニーニアは、昔は父親から大切にされていると思っていた。
姉と同じくお願いすれば大抵の事は許して貰えたし、買って貰えたからだ。
姉とは違い、父がニーニアを積極的に抱きしめたり、頭を撫でたりしてくれていたのも愛されているからだと思っていた。
それはとんだ勘違いだったと気づいたのは、五歳になって淑女教育の一端を学び始めた時だった。
「サーニアなら出来た」
「サーニアはこんな事はしない」
「サーニアだったら……」
父親は、何かにつけてそう言った。
ニーニアは貴族令嬢の平均としてはよく出来ていた方だと思う。
しかし、父が求めるのは愛する姪のサーニア夫人で、娘のニーニアではなかった。
父は、ニーニアをサーニア夫人にしようとしていたのだ。
その事に気付いた時、ニーニアは父親に期待をするのをやめ、淡々と生きるようになった。
言われる事にただ従う日々は単調で、退屈で、ニーニアは随分荒んだ子供になっていたと思う。
そんなニーニアを見て、父は第二のサーニア夫人を作るという計画は諦めたのか、ダムド領へと姉とニーニアを連れて行った。
そこで、ニーニアは運命と出会った。
「ニーニア、一緒に遊ぼうぜ」
使用人の後ろに隠れていたニーニアに、笑顔で手を差し出してくれた男の子。
その姿がニーニアには眩しく、差し出された手を掴むのを躊躇っていると、男の子――レオネルは少し強引にニーニアの手を掴んだ。
その強引さが、ニーニアには嬉しかった。
ダムド領に行く度、レオネルはニーニアと遊んでくれた。
サーニア夫人はしないから、という理由で出来ない事は山のようにあったが、ダムド領で遊ぶ時はそんな縛りはなかった。
剣に見立てた枝での打ち合いや、石投げ、木登り、競争。
女の子がやる遊びとは言えないものも、ニーニアには新鮮で、とても楽しかった。
数か月置きに行くダムド領の訪問をニーニアは切望するようになり、一緒に遊んでくれるレオネルの事を好きな気持ちはどんどん膨れていった。
レオネルは優しくて、格好良くて、温かくて……。
レオネルと一緒に遊べる事が嬉しくて、楽しくて、ニーニアはすっかり忘れていた。
自分は、サーニア夫人の代わりだったという事を。
「レオネルくんにあげなさい」
ある日、ダムド領の訪問前にそう言われて渡された飴の事を、ニーニアは知っていた。
父がこの飴を食べさせるのを見たことがあったからだ。
それは実験だったのだろう。
カラドネル領の孤児院へ訪問した時の事だ。
父は一人の男の子に飴を一粒あげた。
内緒だよ、と言われて渡された赤黒いその飴を、男の子はすぐに口に入れていた。
美味しい!と輝かせた顔を、よく覚えている。
赤茶色の髪をした男の子は、どことなくレオネルに似ていたから。
次に訪問した時、男の子は亡くなっていた。
孤児院で子供が死ぬ事は、よくある事だった。
病気になっても、医者に見せられない場合の方が多いから。
その病気が一般的ではなく、突然発症したものともなれば孤児院に出来る事は少ない。
男の子はその日のうちにあっという間に亡くなってしまったようだった。
ニーニアはレオネルに似た子供に会えなくなった事を少し残念には思ったが、子供が亡くなる事は多かったので、特に気にはしなかった。
父親に飴を渡されるまでは。
(これを、レオネル様に……?)
戸惑いながら見上げた微笑む父親の目が、少しも笑っていないことに、その時ようやく気付いた。
父は、サーニア夫人に似たニーニアが、公爵とそっくりなレオネルの傍に居る事が許せなくなったのだろう。
ニーニアは黙って飴を受け取り、思った。
(殺さなきゃ……)
目の前の父親を……。
=====
しかし、結局殺したのはレオネルが好きだと言った使用人の女になってしまった。
「だって、レオネル様があんな女を好きだなんて言うから……」
嫉妬というものを知ったのは、あの時が初めてで、衝動的に行動をしてしまった事を、ニーニアは少し残念に思っている。
今だったらもっと上手く殺せた。
レオネルにだって気づかれなかったはずだ。
そうすればあの生意気そうな少女も殺して、父親も殺して、レオネルの婚約者の座は自分の物だったかもしれないのに。
ニーニアは外を見るのをやめて、ベッドへと転がった。
目を閉じれば、埃とカビの臭いに眉を寄せてしまうが、気づけば夢を見ていた。
=====
その夢では、アデルトハイム王国に戦火が広がっており、カラドネル領には他領から多くの民が避難してきていた。
あちこちの人間が慌ただしく移動している屋敷の中、ニーニアは花束を手に鼻歌を歌っていた。
「お父様、庭の花がとても綺麗ですわよ」
ノックもせずに父親の寝室へと入ると、枕元の古い花を新しい花へと入れ替える。
「今日はとても良い知らせがありましたの」
ニーニアは、ベッドへと近づくと内緒話をするように声を潜めた。
――レオネル様が、亡くなったのですって。
「ふふふ、お父様も嬉しいでしょう?」
これでダムド家の人間は一人もいなくなったのだから。
そう囁くが、相手からの返事はない。
ニーニアはそのまま花瓶の花を触っていたが、一輪の花を手に取ると、もう片方の手でその花弁を握りしめた。
「私と結婚しましょうと言ったのに、死んだ方がマシだなんて仰るから……」
強く、強く握りしめ、長い爪が刺さった手のひらから、血が滴り落ちる。
「せっかくレオネル様のために邪魔なお父様を始末したというのに……」
父は、カラドネル公爵は、腐敗していた。
ニーニアは気にせずに花を触り続ける。
「レオネル様を毒で殺そうとしたのに、娘の私に毒で殺されてしまうなんて、お父様も可哀想な人でしたわね……」
ニーニアは握りしめていた花を、捨てるように父親の胸元へと投げた。
「ふふ、それではお父様。私はレオネル様を引き取りに行って参ります」
――やっとレオネル様と結婚出来るわ。
ニーニアはまた楽しげに鼻歌を歌いながら、部屋から出た。
普通であればいるはずの使用人の姿は、どこにもなかった。
=====
ニーニアは、目を覚ます。
目を覚まして、残念に思った。
「私も、レオネル様と結婚したかった……」
それが例え遺体でも。
ニーニアはゆっくりと起き上がると、机の上の瓶を手に取り、一息に瓶の中身を飲み干した。
あの飴と同じ、甘い香りが口の中へと残る。
ニーニアは再びベッドへと横になった。
「あの夢の続きが見れますように……」
――ニーニアが夢の続きを見られたかどうかを知る者は、もう誰もいない。
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