54.5.プリンを作ります
セルディはその日、ダムド家のタウンハウスの台所に居た。
目的はただ一つ。
レオネルへの手作りプレゼントである。
レオネルを振り向かせるために何が出来るか考えた時、頭の中に浮かんだのは『手作りプレゼント』というワードだった。
どうも前世の恋物語で恋しい相手に行うものなのだとか。
この世界での好きな相手へ贈る品として定番なのは刺繍のされたハンカチなのだが、セルディは刺繍は苦手だ。手先の不器用さには定評がある。
前世の記憶も、胃袋から掴め、と囁いているし、フォード領でもキャンベル商会で井戸端会議をしにくる夫人の一人が、料理で旦那を捕まえたと自慢していた。
(私もレオネル様の胃袋を掴みたい!)
という訳で、セルディは台所へとやってきたという訳だ。
「セルディ様、料理人の邪魔になるので夕飯の仕込み前には退室して下さい」
「うっ、わかってます……」
チエリーの言葉にセルディは眉尻を下げた。
周りを見回せば、職場を荒らされるのでは、と料理人達が不安な顔をしながら並んで立っている。
フォード領でも料理の手伝いはしていたから、そこまで心配されるほどではないと思うのだが、事情の知らない料理人達は不安だろう。
「あ、あの! 料理長は……」
「はい」
一歩前に出たのは帽子を手に持った壮年の男の人だ。
身体は料理人とは思えないくらい筋肉質で、少し気難しそうな雰囲気がある。
セルディは悩んだ。
ダムド家の料理人にこんな頼みをしていいのか、しかし、折角勇気を出してここまで来たのだから、と口を開いた。
「その、実は、甘いプディングが作りたくて……!!」
「甘いプディング?」
料理長は眉を寄せ、他の料理人達がざわめく。
「甘い……?」
「プディングって蒸し料理だよな……」
「甘いプディングが想像できない」
「そもそも何故プディング……」
「ケーキの間違いじゃないか?」
セルディも料理人達の気持ちはわかる。
前世の記憶がなければ甘いプディングなんて考えもしなかっただろう。
この世界のプディングは、腸詰めされていないソーセージが近いだろうか。もっとも近いのは前世で売られている犬用の生食……。
セルディも食べたことはあるが、ハッキリ言って美味しいものではない。
肉や野菜などの色々な材料をミンチにして塩を混ぜて小麦粉で固めてじっくり蒸す。下級庶民向けのなるべく火を使わなくても作れる栄養価の高い食べ物、それがプディングだ。
けれどセルディの記憶は言っている。
プディング……いや、プリンは美味いと!
自分もプリンを食べてみたい!
フォード家では覚えてはいても作る事は出来なかった。
牛乳と卵は手に入れられても砂糖がなかったのだ。
しかし、ここはダムド家のタウンハウス。
牛乳と卵は毎朝牧場の人が売りに来てくれて、砂糖は買い置きが山のようにある。
そんな訳で、セルディはお願いしてみる事にした。
「牛乳と卵と砂糖を使いたいんです!」
「それだけですか……?」
「はい、甘いプディングはそれだけでいいんです」
困惑する料理長。
気持ちはわかる。
プディングを知っている人間には驚きだろう。
セルディは諦めずに主張した。
「試食してみて貰っても構いません! 作らせて下さい!」
「……」
眉間に皺を寄せたままの料理長と、見つめ合うセルディ。
数秒の間の後、料理長は息を吐いた。
「わかりました」
「やっ……」
「但し」
但し……?
「私が作ります。お嬢様は指示だけして下さい」
セルディは少し迷った後、頷いた。
セルディだって記憶はあっても初めて作る物なのだ、料理に慣れた人が手伝ってくれた方がありがたい。
「よろしくお願いします!」
そしてプリン作りが始まった。
「卵二個と、砂糖は大きいスプーン三杯だったかな。二つを合わせてよく混ぜて下さい。混ざったら牛乳を紅茶カップ二杯分入れて、更に混ぜて……」
料理長は手早い動作で言われた材料を混ぜていく。
その手つきはさすが料理長を任されるだけあって軽快だ。
あっという間に混ざってしまった三つを、網目の細かいザルを使って濾して貰った。
「これを陶器の器に入れて、鍋に並べて沸騰したお湯を……」
器の中にお湯が入らないように外側に向けてゆっくりと注ぐ。注ぐお湯の量は器の高さの三分の二くらい。
これで弱火で一○分、放置で一○分、時間が経ったら魔石の冷蔵庫に入れて冷やせば完成だ。
セルディがそう料理長に言うと、聞き耳を立てていた料理人の一人が呟いた。
「え、それで終わり?」
不思議に思うのも無理はないが、とっても簡単だからセルディも覚えていられたのだ。
複雑なケーキとかになると名前は浮かんでも、材料の分量までは思い出せなかった。
前世の料理で食べてみたいものはたくさんあるが、出来るものと出来ないものはやっぱりある。
その中でプリンは一番簡単で、一番楽で、一番美味しそうだった。
「冷やすのはどのくらいでしょうか」
「うーんと、中が固まってたら大丈夫かと……。あ、かけるソースはカラメルで」
カラメルは割と難しい。
セルディの記憶に、前世でやり過ぎて鼈甲飴になってしまった記憶が思い浮かぶ。
でもカラメルは紅茶に入れたり生クリームに混ぜてカラメルクリームを作ったりしているので、料理長でも作れるだろう。
「かしこまりました。それではあとはこちらでお任せ下さい。味を確かめてから夕食のデザートで出させて頂きます」
「あ、はい。じゃあ、お願いします」
料理長の仏頂面を見ると、出してもらえるか不安になってしまうが、そこは信じよう。
セルディは大人しくチエリーとキッチンを後にした。
=====
プリンをどうしてもレオネルと食べたかったセルディは、我儘を言ってレオネルが帰ってくるまで夕食の時間を遅らせて貰った。
久しぶりのレオネルとセルディの二人での夕食。
どきどきしながら待っていると、デザートがやってきた。
「本日のデザートです」
皿を覗けば、それはちゃんとプリンだった。
器に入ったままの、冷えたプリン。
リクエスト通りにカラメルがかけられているが、料理長が手を加えている場所もあった。
なんと、生クリーム付き。ブルーベリーまで添えられている。
さすが料理長はセンスがあるなとセルディは関心した。
「……デザート?」
レオネルが不思議そうな顔でプリンを見た。
初めて見る食べ物に警戒しているのがわかる。
セルディは笑って教えてあげた。
「これはプリンです!」
「ぷりん?」
「セルディお嬢様が料理長にレシピをお教えしたそうです」
「セルディが?」
レオネルはセルディの名前を聞き、少し警戒を解いてくれたように見える。
「これはですね、スプーンで掬って食べます」
お手本を見せるかのようにセルディはスプーンで掬い、一口食べた。
初めて食べるその味に、セルディは目を輝かせた。
「んー! 美味しい!!」
思わず足踏みをしてしまいたくなるような美味しさ。
セルディは幸せな溜め息を零した。
「そんなに美味いのか。じゃあ俺も……」
レオネルがセルディの様子を微笑ましそうに見つめてから、同じように掬って食べる。
「うん、美味い。それに……これは食べやすいな」
つるりと咽喉に滑り込むその食べやすさにレオネルはまず驚いたようで、何度も頷きながら食事を続ける。
「これなら体力のない病人や、あまり量を食べられなくなった老人も食べやすいかもしれない……」
「えっ」
そんな事、考えもしなかった。
セルディはレオネルの発想に驚きの声を上げる。
「さすがセルディだな。このレシピはダムド家が買い取っても良いか? もちろんフォード子爵と相談はさせてもらう」
「あ、はい。どうぞ……」
「素敵なプレゼントをありがとう」
微笑むレオネルに、セルディもへらりと笑みを返した。
(どうしてこんな事に?)
そこで気づく。
(あれ、そもそも料理長に作って貰ったなら、手作り料理じゃなくない?)
セルディの目論見とは違い、このプリンのレシピは後日、砂糖の代わりに蜂蜜やジャムを使ったりなどのアレンジもされ、貴族内だけではなく、病院などにも広まっていった。
そのお陰かはわからないが、アデルトハイム王国の生存率が少し上がったとか、上がらなかったとか……。
「痛ーい!」
セルディはそんな事も知らず、今日も手作りプレゼントをするために刺繍を頑張っている。
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