73.戦います
馬車はガタガタと大きな音を出しながら走った。
深夜だから速度を上げて走れているが、これが昼間だったりしたら事故が起こりそうなほどだ。
魔石ランタンの灯りがあればこそ出来る暴挙とも言える。
馬車内で抱き込まれているセルディは、最初こそレオネルのたくましい胸筋や腰に回された腕の感触に真っ赤になっていたものの、数分もすれば皆が神経を尖らせている事に気付いた。
走り出して数分後、馬で並行していたラムが叫ぶ。
「後方7時の方角に追手がいます!」
「チッ、やはり来たか!! クリフ! 前だけ見てろ!」
「はいっ!」
御者のクリストフが決意の篭った返事をするが、セルディは初めて感じる戦いの気配が怖くて涙が出そうだった。
「レオネル様! 八騎です!」
「はっ、騎士団が使えないって事は把握済みかよ……」
忌々しそうにそう呟いたレオネルは、セルディを降ろし、椅子と椅子の間に押し込んだ。
「いいか、絶対に顔を出すな」
頭をぐっと抑えられ、セルディが蹲るようにしゃがむと、レオネルはセルディの返事を待たずに馬車の扉を勢いよく開けた。
「サットン! 何人いける!」
「閣下とならば何人でも!」
「馬鹿言ってんじゃねぇ……よ!!」
――バキッ
大木が折れるような音がした。
セルディが顔だけを上げてレオネルの方を見れば、馬車の扉が壊されてなくなっている。
(えええ、扉が壊れてるぅ!?)
馬車の扉って簡単に壊せるようなものだったっけ……。
セルディのそんな疑問に答えられる者が居る訳もなく、レオネルは馬車から体を半分出した。
「サットン! 一騎寄越せ! ラムは敵を近づけさせるなよ!」
「ハッ!!」
そして戦闘が始まった。
馬車が走っている分、どうしてもこちらの方が足が遅くなっているため、騎馬はすぐに四方を囲み始める。
「オラ!!」
レオネルは近づいてきた一騎が剣をレオネルに突き出した瞬間、その手を掴んで馬から引きずり下ろした。
そのまま男が使っていた馬に乗り込み、自身の剣を抜く。
セルディは鮮やかな手並みに目を瞬かせた。
「数を減らせ!」
「はい!」
レオネルの号令に二人の護衛は即座に対応し、レオネルがやったように馬から落としたり、斬ったりして、追手はみるみる数を減らしていく。
セルディはその様子をこっそりと出窓や開いた扉から見ていた。
(つ、強い……)
まるで映画のシーンを生で見ているようで現実感はまったくないが、レオネルや護衛として来てくれた二人が並はずれて強いという事は、その剣捌きからわかる。
さすがは前線を守るダムド家直属の兵士達だ。
その中で一人、圧倒的に他とは実力の違う男がレオネルと剣を合わせていた。
中々に隙を見せない男に、レオネルの表情は硬くなっていく。
――キィン、キィン!!
「お前、闇ギルドか!!」
闇ギルド、金さえ貰えれば殺人や盗み、禁止物の売買を請け負う組織の総称だ。
セルディも名前だけは聞いた事があったが、市民の中では都市伝説的なもので、本当に実在しているとは思わなかった。
カラドネル公爵家はそんな組織とも繋がりがあるのかと思うと、その闇の深さに身体が震える。
ダムド家まではあと十数分はかかるだろう。
たどり着けさえすれば確実に勝てるのに、それまでがやけに遠く感じた。
――その時。
「ぐっ!!」
「レオネル様!?」
「閣下!!」
敵がレオネルの一瞬の隙を突き、刃物を投げた。
その刃はレオネルの右腕に切り傷を付け、馬車内の椅子の背に突き刺さる。
敵はレオネルが怯んだ瞬間、手に持った剣を振りかぶり……。
「やめてぇええ!!」
セルディは体を起こし、開いた扉へと駆けた。
数歩の距離が、とても長い。
足がもつれそうになるのを必死でこらえ、セルディは突き刺さっている短剣を勢いのまま引き抜き――投げた。
レオネルを巻き込むかもとか、外れるかもとか、何も考えられなかった。
ただ剣が振り下ろされるのを止めたかった。
「く……っ!!」
そんな鬼気迫った様子で投げられた短剣は、どちらにも当たる事はなかったが、敵を怯ませる事には成功した。
「この、野郎……っ!!」
「ぐあ!!」
レオネルはセルディが作った隙を狙い相手に剣を突き刺す。
そのまま剣を横に振い、敵を馬から落とした。
気付けば周りの敵はすべていなくなっており、馬車は数メートル走った後、緩やかに止まった。
「はぁ……、はぁ……」
セルディは震える身体を自分で抱きしめる。
怖かった。
レオネルが殺されるんじゃないかと思って。
あの映画のようになるんじゃないかと思って。
怖くてたまらなかった。
「れ、レオネル様、よかっ……」
セルディがホッとしたのも束の間、レオネルの体が前かがみになる。
馬に乗りながらそんな体勢になったら危ない。そう言おうとしても、声が出なかった。
「……ッ!!」
眉間に皺を寄せ、青ざめた表情。
セルディは嫌な予感がした。
レオネルは素早く自分のベルトを外すと、腕の上にきつく巻きつける。
「ラム!! 男を、探れ!!」
「は、はい!」
――毒だ。
「そ、それらしいものは、ありません!!」
「クソが!!」
レオネルの心からの叫びに、セルディは頭が真っ白になった。
(毒? 毒なの?)
嫌だ。
セルディの頭の中にはそれしか浮かばない。
レオネルに死んでほしくない。
まだ一緒に居たい。
あなたを失うくらいなら……。
「レオネル様を馬車に乗せて!! クリフ!! ポンプのあるところへ行って!!」
「セルディ様!?」
「早く!!」
ラムとサットンが馬上からレオネルを降ろし、馬車へと担ぎ込む。
御者のクリストフは乗った事を確認すると急いで馬を走らせた。
ここからならばほど近い広場にポンプがある。
そこは、この国が初めて設置したポンプのある広場だった。
=====
「どいて下さい! 緊急です!!」
サットンとラムとでレオネルを抱えながら馬車から降りる。
その広場のポンプは、深夜だというのに数人の人が飲み水のために並んでいた。
「どうしたんですか!?」
ただならぬ雰囲気を感じて、ポンプを見守っていた警備兵が駆け寄ってきた。
「怪我人です! 刃に毒が塗ってあって!!」
「レ、レオネル様!?」
警備兵も、周りの人たちも、レオネルの顔を見て顔色を変える。
彼らは知っていた。レオネルが前王弟の手から国王と共にこの国を解放してくれた英雄だと。人々は進んで場所を開けてくれた。
「……ぐ……ぅ」
「レオネル様……っ!!」
よほど強力な毒なのだろう。まだ数分しか立っていないというのに、レオネルは舌が麻痺して話せなくなっている様だった。
「私が、助けますから……!!」
セルディは覚悟を決めた。
「すみませんが、水をたくさん下さい!」
「は、はい!」
みんなが自分が汲んだ桶の水を差しだしてくれた。
セルディはその水をレオネルの傷口に豪快にかける。
「わ、私、医者を呼んできます!!」
一人の平民がそう言って走り出せば、自分も傷薬を、自分は包帯を、と駆けて行く。
そしてセルディは――。
「セルディ様!?」
小さな切り傷だ。
セルディの口でも覆えそうな程度しかない。
でも、この傷口には毒が入っている。
セルディはその傷口に唇を寄せた。
「おやめください!!」
サットンが止めるが、セルディはやめなかった。
思い切り吸って、血と一緒に地面に吐き出す。
水を含み、それをまた吐き出してから、再度吸い付く。
「セルディ様!! 私がやります!!」
ラムはセルディを無理やり引き離したが、セルディは暴れた。
「レオネル様! 死んだらダメ! あなたが死んだら私も死んでやるんだからー!! 死んだら、ぜったい、ゆるさな……」
泣きながら心の底から叫んで、セルディもまた舌がもつれ始める。
「セルディ様!?」
「もしかして毒が……!!」
「吐いて下さい! 早く!!」
人々の悲鳴のような声を聞きながら、セルディの意識は暗転した。
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