72.認識します


(間に合ってよかった……)


 セルディは厩舎で安堵の息を吐いた。

 もしレオネルが何も気づかずに帰宅しようとして、落馬するような事になったら死んでいたかもしれない。


(そんなこと、絶対にさせない……!!)


 セルディの中で、前世の自分と思考が重なった。

 今までの虫食い状態だった記憶がパズルのピースを埋めるかのように塞がっていく。


 ポーニア領を見つけた時に出てきたアニメ映画の内容も、今ならはっきりと思い出せる。

 前世の記憶を思い出した頃に浮かんだ動く絵は、実写の映画の事だったのだ。

 前世の自分は、ようやく実写化した侵攻編の第一部を見た次の日に、車に轢かれて死んでしまっていた。轢かれた瞬間に視点が一回転した事まで思い出すが、幸いな事に痛みまでは覚えていない。

 そこまで思い出したらセルディはふと、もしかしたらこの世界は自分が死ぬ前に見ている夢なのかもしれないと思った。


 死ぬ直前の、長い長い、自分に都合の良い夢なのでは、と……。


「セルディ?」

「あ、はい……」

「針は取ったが、バーニーには乗れない。何か食わされている可能性もあるからな」


 バーニーは知らない相手から食べたりしない、と言いたげに鼻を鳴らしているが、用心は確かにした方が良いだろう。

 セルディはぼんやりする頭で頷いた。


「……大丈夫か?」

「え?」

「いや、突然元気がなくなったからな……」


 心配気な顔をしたレオネルが、顔をセルディへと近づけた。

 突然近づいた距離に、セルディは目を大きく見開く。


「え……、うぇええ!?」

「熱はなさそうだな」


 一瞬口づけかと淡い期待をしてしまったが、額と額を合わせての熱を測る行為でも、セルディの顔は一気に赤くなった。

 そんなセルディを見てレオネルは笑う。


「なんだ、元気だな。何か気になる事でもあったのか?」

「い、いえ! ナンデモナイ、です!」

「そうか、とりあえず行くぞ」


 そしてまたセルディをさっと持ち上げる。

 再びの子供抱きだ。


「ええ!? またですか!?」

「この方が速い」


 レオネルはさっさと歩き出した。

 仕方なくセルディはレオネルの首に腕を回す。


(レオネル様は実写で見た俳優さんよりもカッコいい……)


 そうだ、これが夢ならばこんな格好の良い人間を思い浮かべる事なんて出来るはずがない。

 カラドネル公爵なんていう存在が裏に居る設定なんて単なる会社員だった前世の自分が思いつけるとも思えない。


(やっぱりこれは現実!!)


 この腕の中の温もりも、全部、本物だ。

 セルディはぎゅっと抱きついた。

 その姿はどう見ても父親と娘だが、セルディは気にしない。


(レオネル様を私が守るんだ……!!)


 前世とか関係ない。この世界の、セルディ・フォードが、レオネルを守る。そのために全力を尽くそう。

 セルディが固く決意した時、レオネルが城門ではなく、別の建物に向かっている事に気付いた。


「あれ、帰り道はあっちじゃ……?」


 指さす方向には灯りが取り付けられている城門があるが、レオネルが向かっているのはどちらかという城側だ。


「命が狙われているかもしれない状況で、何もせずに帰るのは不用心すぎるだろう……」


 呆れた様子で言われ、セルディはそれはそうだな。と納得した。


「こっちにあるのは騎士団の詰所だ。夜間での襲撃に備えて待機してる奴らが居るだろうから、人員を少し借りよう」

「はえー、そうだったんですね……」


 セルディは自国の事だというのに全然知らなかった。

 でも前世の警察だって夜間の事件に備えて待機している人が居るんだから、国を守る騎士団も同じなのだろう。


「あれ、近衛の隊長さんじゃないすか」


 騎士団の詰所から最初に出てきたのは、だらしのなさそうな男だった。


「夜間にすまない。団長はいるか」

「あー、今呼んでくるんで、ちょっと待っててくださいっす」


 そうして扉の中に戻って行った男に、セルディは不安になった。


「あの人、騎士様ですよね?」

「言いたいことはわかるが、今の騎士団は平民の方が多い。口調はあれでも丁寧な方だ」


 まさかの事実。

 でも言われてみれば前王弟のせいで貴族がだいぶ減ってしまったのだから、そうなっても仕方ない。


「慣れれば素直でわかりやすいから問題ない。そっちよりも騎士団長がな……」

「団長さん?」


 セルディが首を傾げると同時に、扉が勢いよく開いた。


「近衛隊長がなんの用事だ、この忙しい時に!」


 最初から喧嘩腰の態度に、セルディもポカンと口を開けてしまう。

 この団長も平民なのだろうかと思わず思ってしまったが、服装は貴族らしい綺麗なものなので貴族なのだろう。


「すまないが、帰宅時に夜襲を受ける可能性があると判断したため、人員を借りたい」

「夜襲?」

「そうだ。何人か貸してくれないか」

「ふん……」


 騎士団長は鼻を鳴らすと、レオネルの腕の中に居るセルディに気付いた。そしてじろじろと不躾な目線を送ってくる。

 レオネルはその視線から遮るように、セルディの頭を肩口へと抑え込んだ。


「はっ……、まさかそのちっこいのが早馬が持ってきた手紙の差出人か? 通りで早馬なんか使って手紙を送ってくるわけだ。子供じゃないか」

「貸せるのか、貸せないのか」


 レオネルは質問には答えず、苛立たし気に問い返した。

 しかし、騎士団長はその問いには答えず、嘲るような笑みを浮かべる。


「はっはっは、お前も可哀想なやつだな! いや、もしかして幼女趣味だったのか? だから今まで恋人がいなかったんだな! 今度の夜会で俺がみんなに教えてや」


 騎士団長の身体が台詞の途中で鈍い音と共に途切れた。

 静まった気配に、セルディが恐る恐る顔を向けると、扉の中まで吹き飛んで倒れている騎士団長がいる。


「下種になり下がりやがって……」

「ひぇ……」


 ドスの効いた声に、セルディは震えあがった。

 レオネルは諦めて踵を返す。


「あいつは交代させた方が良いと陛下に伝えておく。今日は気を付けながら帰るぞ。襲われると決まっている訳ではないからな」

「え、あの、近衛の人に頼むとかは……」

「近衛は陛下を守るための組織だ。俺を守るためのものじゃない」


 レオネルはきっぱりと言い切り、足を城門へと向けた。

 セルディは不安だったが、こればかりはどうしようもない。


「閣下! 馬はどうされました?」

「鐙に細工がされていた」

「なんだって!?」


 護衛のサットンとラムが慌てる。


「今からでも応援を呼んできましょうか」

「いや、お前らに危険が及ぶかもしれん。心もとないが、この人数で急いで帰るぞ」

「ハッ!!」


 レオネルはセルディを腕に抱いたまま馬車に乗り込んだ。

 そのままセルディは膝の上に乗せられる。


「え?」

「行ってくれ!!」

「はい!」

「え?」


 レオネルに抱き込まれるような形になったセルディは、馬車が動き出しても膝の上から降りることは出来なかった。

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