67.闇を知ります
「何を馬鹿な……」
レオネルは溜め息を吐いた。
「さっきの話が事実だとして、俺が最終的に引き継ぐのは辺境伯領だ。公爵家を継ぐお前と結婚なんて出来る訳ねぇだろ」
紳士的だった口調はレオネルの苛立ちを表すかのように一気に荒くなった。
それでもニーニアはレオネルから視線を逸らさない。笑みさえ浮かべていた。
「跡継ぎにはお姉さまがいますわ」
「はぁ?」
「お姉さまは確かに間違いを犯しましたが、お姉さまの子供には罪はないでしょう?」
「え?」
どういう事なのか。
セルディはニーニアの言葉の意味を図りかねた。
いや、正確には理解したくなかった。
「お父様はサーニア様と一緒になるために何か良からぬ事をするかもしれません。お姉さまの子供に公爵家を継いで頂いて、わたくしはレオネル様と共にカッツェ領をお守りします」
「それはお前がそうしたいというだけの話じゃないのか。パールの了承も取っていないような話に頷ける訳がないだろう。そもそも助けてくれと言った事となんの関係がある」
ニーニアは憂鬱そうに息を吐いた。
「……お父様がサーニア様を未だ愛していらっしゃるという話はしましたでしょう?」
「それがどうした」
「わたくしの名前がどうしてニーニアと付けられたか、おわかりになって?」
「母の名前から取ったと聞いていたが?」
「ええ。そうです。二番目のサーニア様だから、ニーニア……」
言った後、ニーニアは蔑みを含んだ笑みを浮かべた。
「ふふふ。お父様はね、わたくしをサーニア様の身代わりにしているのですよ」
一瞬、なんと返せば良いのかレオネルが迷う仕草を見せた。
だがここで言葉を選んでも仕方ないと思ったのか、嫌そうに問いかける。
「……それは、体の関係を強要されているという事か?」
「さすがにまだそこまで狂ってはおりませんが……、いつそうなってもおかしくはないと、わたくしはそう感じているのです……」
ニーニアは胸の前で手を組んみ、懇願する。
「これは取引です。レオネル様がわたくしと結婚し、助けて下さるのであれば、わたくしはカラドネル家の人間として、これからあの男が起こそうとしてる事件の全容を国にお話しします」
セルディは戦慄した。
レオネルは優しい。
だからセルディみたいな子供と婚約してまで守ってくれているのだ。
そんな彼が今のニーニアの話を聞いて、同情をしないという保証がどこにあるのだろう。
しかもこの結婚はダムド領だけではなく、国全体を守るためにもなる。
明確な証拠がないから、未だにカラドネル公爵を捕える事が出来ないでいるのだ。その証拠を、恐らくニーニアは持っているのだろう。
だから彼女はここまで強気にもなっている。
レオネルが自身を犠牲にして結婚さえすれば、反逆者を捕える事が出来る……。
(そんなの嫌っ!!)
セルディは拳を握りしめ、手のひらに爪を立てた。
彼の心を自分に向けるためにがんばりたい。
でも、それは婚約者であるからこそ出来る事で、自分以外の誰かの婚約者になってしまったら、セルディに出来る事は何もなくなってしまう。
「……馬鹿か」
しかし、そんなセルディの怯えを吹き飛ばすように、レオネルは言い放った。
「そんな取引に応じる訳がないだろう」
レオネルの言葉に、ニーニアの顔から表情が消えた。
「セルディ、帰るぞ」
「お待ちになって!」
レオネルはセルディの手を握って立ち上がり、扉へと向かう。
それをニーニアが引き止めるように大声を出した。
「ダムド領がどうなっても良いと仰るのですか!?」
「……そもそもだ」
レオネルはゆっくりとニーニアを振り返り言った。
「俺はお前の話を信じる気がない」
「なぜ?」
「お前が、メイドのハンナを殺したからだ」
「……ハンナ?」
ニーニアは誰の話をしているのかわからない、と首を傾げる。
「……残念だったな。俺もセルディも、ここに来てから一切の飲み食いをしていない。何を盛っていたとしても、その何かが起きる事は永遠にない」
レオネルはセルディを連れて部屋を出た。
部屋を出て、扉の閉まる瞬間。
ニーニアの人形のような顔と瞳が見え、セルディはその眼差しの暗さに息を飲んだ。
*****
「悪かったな、茶番に突き合わせて」
レオネルはダムド家の馬車が走り出すと少ししてからそう言った。
その表情には疲れが見てとれ、セルディは心配になる。
「私は大丈夫ですが……、その、よかったのですか?」
二人の間に過去何があったのかは気になるが、今はそれよりも取引の応じなかった事は大丈夫なのかと聞きたい。
セルディは婚約を解消するのは嫌だが、あの美しいダムド領に何か被害が起きてしまうのも、レオネルが悲しむのも嫌だ。
「勝手に取引に応じた方が問題だ」
レオネルは苦笑した。
「セルディは、あの話は本当だと思うか?」
「……カラドネル公爵がサーニア様を愛していて、ダムド領を憎んでいるから壊そうとした。その可能性はあるのでは、とは思います」
カラドネル公爵がサーニア夫人に並々ならぬ執着心を持っていて、ダムド領を壊そうとした。
あの小麦粉だって、本当に王位を狙っているのだとすれば、ダムド領ではなくそのまま王城に持ち込み、グレニアンを暗殺するために使った方が有効のはず。
それなのに、壊そうとしたのはカッツェ領の前線にある砦でもなくダムド領の都市なのだ。
ダムド領という存在をなくしてしまいたかったのかもしれないと思わずにはいられない。
「俺もそれは思う。よくよく思い出してみれば、カラドネル公爵と話した数は数えられるほどしかない。恐らく父に似た俺に近づきたくなかったのだろう」
「……カラドネル公爵様は、またダムド領に手を出すつもりなのでしょうか」
「それはわからないが、その可能性は高いだろうな」
「……なら」
なら何故、取引に応じなかったのですか?
セルディはそう問いかけそうになり、口を噤んだ。
「メイドのハンナはな、俺の初恋の人だ」
「え?」
突然の言葉にセルディは目を瞬かせた。
「ちょっと裕福な商家の娘でな。箔を付けるために下働きとしてやってきた女だった。美人という訳ではなかったが、はにかんだ時のえくぼが可愛くてなぁ……」
レオネルは遠い昔を思い出すように目を細める。
「悪ガキだった俺が泥まみれにした服をこっそり洗ってくれる、優しい人だった」
そのハンナとの出会いが、レオネルにとって異性を意識した瞬間だったのだろう。
セルディはそのハンナという女性の事をちょっぴり羨ましく感じた。
「その頃はパールとニーニアはまだ幼くて、母親を亡くして可哀想だからとカラドネル公爵がダムド領まで連れて遊びに来ててな……。弟が欲しかった俺はニーニアを弟の代わりに可愛がっていたんだ」
ニーニアは色彩がサーニア夫人とそっくりだから、家族として受け入れやすかったのもあるのだろう。
「しばらくは問題なかった。あちこち引きずり回して、女が遊ぶような事じゃない遊びにまで参加させて、今では可哀想な事をしたなと思うくらいだ」
苦笑したレオネルはすぐに笑みを消し、目線を床へと落とした。
「ある日、一緒に泥まみれになったニーニアを連れて、ハンナのところに行った。ハンナはいつものように笑顔で服を洗ってくれてな。俺達は服が乾くまでの間、お茶と菓子を貰ってシーツに包まっていた。そこで、ニーニアにこっそり教えてやったんだよ」
――俺、ハンナの事が一番好きなんだ。
「その時は恋をしている自覚もなくて、ただ使用人の中で一番好きなんだと言ったつもりだった。だが、俺の事が好きだったニーニアはわかったんだろうな。俺がハンナに恋をしていると」
数日後。ハンナが自室で死んでいるのが発見された。
「え?」
「最初に診察した医師は心臓発作だろうと言っていた」
特に外傷も見当たらず、誰かともみ合った形跡もない。
息が出来なかったのか、胸やのどを自身で掻きむしった跡はあったが、部屋で飲食をした様子もなかったため、病死として片付けられた。
レオネルはショックだった、大好きなハンナが死んで、悲しみに打ちひしがれた。
ニーニアもハンナの死をレオネルと共に悲しんで、一緒に泣いてくれた。
少しの間だけだったけれど、良い人だったのにとその死を悼んでくれた。
ニーニアは小さいけれど優しい子供だと、その時レオネルは思った。
自室に戻り、窓の外でニーニアが庭に何かを埋めているのが見てしまうまでは。
「なんとなくだ。なんとなく、あいつが何を埋めたのか気になった」
そして、レオネルは見つけた。
「それは飴だった。真っ赤な、血のような色の小さな飴だ……。俺は、それを母に見せた。もしかしたら、と思ってしまったんだ」
サーニア夫人は、その飴が発する香りに覚えがあった。
王家に生まれた者は誰しもが、暗殺を警戒してまず毒の見た目と匂い、そしてどのように使われる可能性があるのかを徹底的に叩き込まれる。
その毒のことも、サーニア夫人はよく覚えていた。
とても美味しそうな、甘い香りを放っていたから。
「山で簡単に採れる木の実だ。熟れるととても甘い香りがするが、動物たちは決してその実を食べようとはしない。子供が知らずに食べてしまって死ぬ事もあるらしい。だから山で美味しそうな実を見つけても、動物や虫が食べていないのなら取ってはいけないと子供たちも習う」
そんな実の果汁で作られた飴を、ニーニアがこっそり捨てて、土に埋めていた。
「飴なんて、捨てずに持って帰ればよかったのにな。母が念のためにと詳しい原因を調べさせようとしたから、見つかる前に捨てようとしたんだろうと言われたよ」
「なんで、そんな飴をニーニア様が……?」
「今思えば、父親であるカラドネル公爵に持たされたんだろうな。あの頃から俺の見た目は親父に似ていたから……」
セルディは口元を両手で抑えた。
「だから、お茶会に来る時に飲食はしないようにと言ったのですね……」
敵地で盛られる毒や薬を警戒してのことだとセルディは勝手に思っていたが、レオネルには警戒するだけの根拠があったのだ。
「そうだ。ハンナが食べたという証拠がなかったために、子供である事も考慮され、ニーニアは話を聞かれる事さえなかった。もちろんその後はダムド領に来れるのはパールだけになったがな」
嘲るような笑みを浮かべるレオネルの顔には、ニーニアへの憎しみが見える。
セルディはカラドネル公爵家の歪みが、サイロンやレオネルへと与えてしまった影響は根深いものなのだろうと思った。
サイロンは明確に女嫌いになったが、きっとレオネルもそうなのだろう。
ニーニアの歪んだ愛故に自分の大事な人を奪われ、レオネルは愛を押し付ける人間に嫌悪を抱くようになっている。
セルディはそのトラウマを自分がなんとかできる、なんてとても思えなかった。
でも……。
「……」
セルディは黙ってレオネルの横に移動し、そしてその手を握った。
レオネルが、ダムド領の屋敷でセルディにしてくれたように……。
「カラドネル公爵が何を思って行動しているのかはわかった。今後の事は陛下達とまた相談するとしよう」
ぎゅっと手を握り返しながら、レオネルはそう強く言った。
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