60.推しキャラは戸惑う

 その日、レオネルは疲れていた。

 通常業務の他、連日の騎士団との打ち合わせ、フォード子爵家をダムド家に招いた事に対する他貴族からの遠回しな問い合わせなど、気を遣うような案件が続いていたからだ。

 こういう時はセルディの顔を見て癒されたいと思うが、タウンハウスに帰る時間がないほどの予定の詰まり具合で、寝顔を見る事すら叶わなかった。


(今日こそ絶対帰るぞ俺は……)


 そんな決意と共に鬼気迫る表情で書類にサインを書いているレオネルを見て、部下達は震えていた。今邪魔したら殺されるのでは、と……。

 その中の一人が、意を決して声をかける。


「えっと、隊長……」

「ぁあ!?」

「すみません!!」


 反射的に謝られ、さすがのレオネルもばつが悪そうに後頭部を掻いた。


「……なんだ、これ以上の面会は無理だぞ」

「あ、その、そうお伝えしたらこちらを渡して欲しいと……」


 部下が差し出したのは手紙だった。

 そこに付けられた印章にレオネルは眉を寄せる。


「カラドネル公爵が来たのか……?」

「いえ、ニーニア様の遣いの方が」

「そうか……」

「は、はい、では失礼します!」


 手紙を渡してきた部下は逃げるように立ち去った。

 カラドネル公爵家が怪しいという話は部下の中でも更に一部の人間にしかしていない。

 だから部下があっさりと公爵家を信じて手紙を持ってきた事を咎める事は出来ないのだが、レオネルはこんな時に貰ってくるなと怒鳴りつけてやりたかった。

 ちらりと宛先を見れば、ダムド家とフォード家の両家となっている。

 レオネルは慎重にペーパーナイフで封筒を切ると、中を改めた。


(手紙以外に入っているものや仕掛けられているものは無さそうだな……)


 中身を読んでみれば、それは一週間後に行われる茶会への招待状だった。


(ここで茶会の招待状か……)


 最近、セルディが公爵家にドレスのデザイナーを呼び、新しいドレスを作ろうとしており、デザイナーや針子の人間が公爵家を何度も出入りしているという事は報告を受けていた。

 服の事など興味のないレオネルには何がどう新しくなるのかなどさっぱりわからない話だったが、そのドレスは今までのドレスとは違った物になるのだとか。

 その話はじわじわと社交界に広がっているようで、どんなドレスが見られるのかと貴族女性たちは楽しみにしているらしい。

 もちろん、好意的に受け取る者は二割も居れば良い方だ。

 誰かが新しい事を始める時、期待するものの方が少ない。

 公爵家の後ろ盾があるものの、作っているのが子爵家ともなれば嘲笑の的にしたいと思う女性の方が多いだろう。


 そんな時にカラドネル公爵家からの茶会の招待状……。

 レオネルは我慢していた溜め息を吐きだした。


 アデルトハイム王国は女の権力が低い国ではあるものの、基本的に社交界の中心になるのは王妃や王族の血を受け継ぐ女性が担う事が多い。

 男の社交というものも勿論あるが、男は外で働く者の方が多く、茶会や舞踏会の準備などに手を出していられない。出来るとすれば小規模で自宅の遊戯室に客を招くくらいだ。

 そのため、社交界というものは女性が中心となって主催する、というのが常識となっていた。それは国を運営する王妃でも変わらない。


 現在、国王であるグレニアンには王妃どころか婚約者もいない。

 次に社交界を引率していくはずのレオネルの母サーニアはダムド領から離れる事ができない。

 となれば、残っている王族の中で最年長の女性であるパールが引率をすると考えるの普通だが、パールはサイロンに付き纏っており、王都に来ることも少ないため、役割をこなす気がなかった。

 そこで出てきたのがニーニアだ。

 彼女はレオネルの母と似た面差しをしている事もあり、あっという間に社交界に受け入れられ、今では先頭に立って貴族女性たちを引率するような立場になっていると聞く。

 ダムド家のタウンハウスに手紙を送らず、レオネル個人に直接渡すという無礼も、そんな彼女だから許される暴挙だろう。

 そんな彼女からの誘いを断るという事は、社交界からの孤立を意味していた。


(行くしかないな……)


 茶会、という事はデビュタント前の子息令嬢も招待しているのだろう。

 フォード家の名前も載せられているということはセルディも連れてこいという事だ。

 嫌な予感しかしないが、断る事も出来ない。


(セルディに話さないと……)


 レオネルはとりあえず手紙を机の隅に置くと、さっさと仕事を終わらせるためにペンを手に取った。


*****


 レオネルが半ば無理やりに仕事を終えてタウンハウスへ足を踏み入れた時、屋敷の面々がそわそわと落ち着かない様子を見せている事に気付いた。

 いつも冷静に様々な事態に対処している者達にしては珍しい。

 レオネルは首を傾げながらも上着を従僕のジャーノンへと渡した。

 ジャーノンは口元を嬉しそうに緩めている。


「今日は早めに帰宅されて何よりです」

「なんだ、何か良い事でもあるのか」


 屋敷での予定があったかを脳内で確認してみても、特に思い当たらない。


「それはお楽しみですよ。今お呼びしておりますから、少々お待ちください」


 玄関で何を待つというのか。

 レオネルがわからないまま立っていると、人の気配が近づいてきた。

 聞こえてくる足音は軽い。

 

 セルディだ。


 レオネルはそんな予感に頬を緩めた。

 そして現れた少女の姿を見て、目を見開く。


「レオネル様、おかえりなさいませ」


 微笑み、ピンクの可愛らしいドレスを着た少女はレオネルの傍までやってくると、綺麗なカーテシーを披露した。


「セルディ……?」

「えへへ」


 はにかんだ少女の姿に、レオネルは目を瞬く。

 まず目に入ったのはウエストだ。女性というものはドレスを着る時、無理やりに細くしていた。それは年齢が上がった子供も同じで、レオネルはいつもその姿を窮屈そうで可哀想だと思っていたのだ。

 だが、今のセルディのウエストは緩く締められただけのように見える。


「どうですか、これ、新しいドレスなんですけど」


 くるりと一回転すれば、今までのドレスとの違いは明らかだった。

 女性たちはスカートがよく広がるようにと、腰に専用の器具を付けていた。

 器具はコルセットと一緒に付けられ、女性の動きを制限していたが、今のセルディにはそれが見当たらない。

 それなのにスカートの部分が裾に向かって大きく膨らみ、ふんわりと広がっているのだ。


「これは、すごいな……」


 レオネルはまじまじとドレスを見つめ、次いでふんわりと広がっているスカートを触ってみる。


「ゴホン。レオネル様……」

「ん?」


 ジャーノンの声にレオネルが顔を上げると、セルディが真っ赤になっていることに気付く。

 そして、自分が触っていた部分が腰よりも下である事にも……。


「す、すまん!!」

「いえ……」


 両手を上げ、一歩下がる。

 そうして恥らっているセルディの全体図を見てみれば、その姿はとても可憐で、なんだかいつも感じる癒しとは別の何かがレオネルの中で芽生えそうで、レオネルは戸惑った。

 戸惑いながらも、自分の顔にも熱が集まるのを感じる。


「レオネル様、何かお言葉を……」


 ジャーノンの耳打ちに、レオネルは赤らんだ顔を誤魔化すように軽く咳払いをした。


「綺麗に、なったな……」


 お前は父親か!!

 という使用人一同の心の声が聞こえたが、レオネルは他に何も言えなかった。

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