59.デザインを見せます


 次の日。

 早速チエリーが公爵家にデザイナーを呼んでくれたらしく、今日は午後から話し合いが持たれる事になった。

 セルディが応接室へと入るとそこには今の貴族社会では少し奇抜とも言える格好をした細身の紺色の髪を持った男性が立っていた。


「小さなレディ、この度は御呼び頂きありがとうございます。私は貴族御用達の裁縫店を営んでおりますマグガレ・ペシャスと申します」


 お辞儀をする姿勢はとても綺麗で、セルディを見る瞳に見下す様子もない。

 セルディはさすが高位貴族御用達の店を営む店長だと感心した。


「初めまして、私はセルディ・フォードです。公爵家には客人として滞在させて頂いておりますが、しがない子爵令嬢の身分ですので、率直な意見を言って頂けると助かります」

「は、はぁ……」


 渾身の笑みを返したのに何故かマグガレには戸惑われた。

 なぜだろう、と思いはしたものの、チラリとチエリーを見ても何も目線は貰えない。

 セルディはとりあえず席に座るようにマグガレを促した。


「その……、ご無礼をお許し頂きたいのですが……。お嬢様だけでしょうか」


 あ。と思う。

 さすがにセルディだけで話をするとは思っていなかったのだろう。

 もう十二歳とはいえ、体の小さいセルディは十歳くらいにしか見えないらしいのだ。

 そんな子供が大人と商売の話をするなんて思わなかったに違いない。


「はい。母はちょっと臥せっておりまして……」


 何があったのかは知らないが、母はベッドから起き上がれないらしい。


(ふふ、弟か妹が出来るのは案外早いかもしれないわね)


 セルディは思わず上がってしまいそうになる口角を抑え、マグガレに向き合った。


「わたしくが相手では不安でしょうが、きちんと話は母から聞いておりますので安心なさって下さい」

「はぁ、そうですか。わかりました……」


 釈然としない様子だったマグガレだが、すぐにスイッチを切り替え、真摯な眼差しでセルディを見てくれた。

 そこには子供だからと侮る様子はない。

 セルディは安心して微笑んだ。


「それで、何やらデザインに関してご要望があるとお聞きしましたが……」

「はい。わたくし、どうしてもコルセットというものに慣れなくて……」

「お若いお嬢様は皆様そう仰られます」


 ですが、今の流行は……と続けようとしたデザイナーの前に、セルディは昨夜の内に描き起こし、朝のうちに母に綺麗に手直しをしてもらったデザイン画を広げてみた。


「これは……」

「私はデザインの事はわかりませんし、描けません」


 まず大事なことはここだ。

 セルディは昨夜、前世の記憶を頼りに描いてみた。

 でも、素人が絵なんてそう簡単に描けるものではない。

 前世の女性が絵を描いていたのは趣味の範囲だったし、上手という訳でもなかった。

 だからセルディが描いたのは落書きのようなものだ。

 それを母やチエリーや、侍女やメイド達にまで話を聞いて回った。

 そのアイディアを詰め込んだのがこの一枚の紙だ。


「みんなでアイディアを出し合って、それを母が描き起こしてくれたものです」


 この世界、コルセットは服の中に着るものだ。

 ウエストをなるべく細くし、その上にドレスを着る。

 内側で努力している事を見せない。

 それが美徳とされる世界だ。

 そのことが悪いとは言わない。

 ただ、体に不調が出るほどやるべきことではないと思う。

 セルディが考え出した答えは、内側に隠していた努力を、外側でも見せる事。

 つまり、コルセットをドレスのデザインの一部として出す事だった。


「これなら苦しければすぐにウエストを緩められるでしょう?」

「……なるほど」


 デザイナーは唸った。

 コルセットというものは体を締め付けるために基本的に皮で出来ているのだが、セルディはそれをやめようとしているのだ。

 今までの常識に囚われる人物であればこんなデザインは受け入れられないだろう。

 内側にコルセットがあるから出来るドレスのデザインの方が今は圧倒的に多いのだから。

 しかし目の前に居るのは高位貴族専門のデザイナーだ。

 高位貴族というのは流行を作らなければいけないとされる階級。

 多種多様なアイディアを形作ることが出来る人間だとセルディは聞いていた。


「ふむ……。布でコルセットを作るとなると、胸元が寂しくなりませんか?」

「それはこちらの紙に描いてあるのですが」


 次に出したのはブラジャーの絵だ。


「これを、金属で出来た留め具で止めるのです。胸の部分には柔らかい金属を細くしたものを入れて固定して――」


 ドレスのデザインよりもブラジャーのデザインの方が説明しやすかった。

 形状もよく覚えているし、そんなに難しい作りではない。


「あと、ここに隙間を作って綿をいれたらお胸の小さい方でもボリュームがあるように見えるので良いのではないかと」

「……」


 デザイナーは黙った。

 なんだかものすごい眼力で紙を凝視している。

 セルディはさすがに男性のデザイナーに女性下着の話をするのはまずかっただろうかと少し焦った。


「す……」

「す?」

「素晴らしい……っ!!」


 マグガレは突然立ち上がると、紙を見つめてうろつきだした。


「なるほど、上にこういう補正下着をつけられるのであれば、下のデザインの自由度が上がりますね。それにコルセットが嫌でドレスを着たがらないご婦人にもお奨め出来ます。私は常々コルセットというものはドレスを脱いだ時に不格好に見えてしまうのが残念と思っていたのですが、これならばドレスを脱いでもお美しい身体がそのまま……!!」

「……」


 セルディはちょっと引いた。

 女性が言うのであればまだ大丈夫だったかもしれないのだが、女性が付く職業が限定されているこの世界、デザイナーは男性の方が圧倒的に多い。

 お針子に女性はたくさんいるが、高位貴族のデザイナーともなるとそれなりに権力が必要になり、権力が爵位なこの国では爵位を授かれるのは基本男性なので、女性デザイナーが居ないという事になってしまっているのである。


 そんな中で準男爵の地位を持ち、高位貴族の数々の無茶振りに応え、柔軟な発想とセンスで伸し上がった男マグガレがセルディ達が考えたアイディアを受け入れてくれたことにはホッとするところではあるのだが……。


(やっぱりどの世界でもアーティストって変わってる人が多いのね……)


 セルディは興奮して延々と話し続けるマグガレを見ながらチエリーが用意してくれた紅茶を一口飲んだ。


*****


「失礼致しました。興奮のあまり……」

「いえ、お気に召して頂けたようで何よりです。それで、この形状でデザインを考えて頂けますか?」

「もちろんでございます!! それでその……、デザイン料はいかほど……」


 こういう新しいアイディアを出して商売をする時、貴族は何かしらの料金を相手に要求する。

 その後売れるか売れないかは買った人物の裁量に寄って来る訳だが、その金額は貴族側が決める事になっている。

 セルディは初めて知ったのだが、無理やり買わせて財産の一部にする貴族も多いらしい。

 うまく売る事が出来ず落ちぶれる商会もあるのだとか。


 セルディはどれぐらいの料金を請求されてしまうのかと固唾を飲んでいるマグガレに、きっぱりと言った。


「デザイン料はいらないわ」

「えっ」

「今後このデザインはあなたが描き起こしていって下さい。私達に許可を取る必要はありません」

「それはさすがに……」


 マグガレも困惑顔だ。

 それはそうだろう。税金以外で受け取れる貴族の収入の一つなのだから。

 だがセルディは譲る気はなかった。


「最初に言ったように、私には……私達には鮮麗されたデザインを描く事は出来ません。だから、今後はあなたのセンスに任せたいのです」

「私のセンス……」

「そう。例えばこのドレスの裾に刺繍をするにしても、私達にそんな繊細なデザインは思いつきません。ほかに派生したデザインを考えてもいいですし、これからのドレスを考えるのはあなたです」


 マグガレの目に熱が篭っていくのが見えた。

 好きにデザインして、好きに売っていいなんて、夢のような事なのだろう。


「せめて、せめて何か対価を……」

「そうね……。なら、この下着の金具はキャンベル商会に注文して頂戴」


 そう言うと、マグガレはハッとした顔をした。

 このアイディアを出したのは母だ。

 ポンプの時と同じ。布やドレスに縫い付ける宝石の類は固定の取引先が決まっているだろうが、新しい金具の注文先は決まっていない。

 そこにキャンベル商会を食い込ませる。

 貴族のドレスは1シーズンずつで変わっていくものだ。特にブラジャーは普段使いも出来るもの。

 新しいドレスが普及し、ブラジャーが普段使いも出来ると気付く人が増えれば発注も増え、最終的な利益はフォード領に返ってくる。


(さすが商人の娘よね!)


 セルディは誇らしげに胸を張った。


「……わかりました。私が全身全霊を持ってこのドレスを流行の先端まで持っていきます!!」

「よろしく頼みますわ!!」


 セルディとマグガレは思わず熱い握手を交わした。

 もちろんこの握手は貴族女性としては減点されるものだったので、あとからチエリーに怒られたのは言うまでもない。


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