58.コルセットを変えたい
「はー、緊張したー」
帰りの馬車の中、セルディは思い切り伸び上がった。
大人たちが話し合った結果。洞窟の調査は今後は国が主導で調査をしていく事になった。
大国が関わってくる可能性がある以上、セルディ達子爵家だけで対処するのは不可能と判断されたからだ。
魔石という資源が手に入るかもしれない、という点も考慮されている。
何せ火の魔石だ。
どの属性の魔石も貴重ではあるが、火の魔石は戦争で一番使われる魔石である。
水の魔石が手に入る伯爵領では、その魔石を狙った盗掘者や盗賊が領内に潜伏していたりして、街中でも治安が良いとは言い難い状態らしい。
今まで貧乏故にのほほんと暮らしてきたフォード領の民達に、突然自衛しろと言っても出来る訳がない。
ポンプと同じく、さっさと国に預けてしまった方が民のためだと父も決断したのだ。
「今日はよく頑張ったな」
「えへへ」
「だが、洞窟内の話もしたかったのなら事前にしておいてくれ。肝が冷えた」
「あはは、ごめんなさい。突然思いついたから……」
突然ではなかったが、セルディは笑って誤魔化す。
各家庭で動物を捌いたりするのが当たり前の世界に動物愛護の精神は薄い。猫などの愛玩動物を飼う人間の方が珍しいと言われる世界なのだ。
セルディ自身も鶏を捌く事が出来るのに、死ぬかもしれない動物が可哀想で、なんて言えなかった。
「ふう、これでしばらくはフォード領には戻れないな……」
「そうだね……」
なんとなく寂しそうに呟いた父に、セルディも同意する。
次にあの麦畑が見れるのはいつになるのか、そう考えて郷愁の念を抱いてしまうのは仕方ない事だろう。いつ帰れるのかわからないのだから。
しかし、もう賽は投げられてしまった。
この決断が吉と出るか、凶と出るかはわからない。
でも投げない方がよかった、とはセルディは決して思わない。
(これでレオネル様の生存率が少しでも上がるなら……)
物語では橋を占拠されたため、山側からフォード領に侵入しなければならなくなっていた。
という事は北国がフォード領に攻め入ってくるのは雨季という事になる。それ以外ではあの川は人でも普通に渡れてしまうからだ。
この国の雨季は丁度麦が収穫できるか出来ないかくらい。次の雨季はあと一か月ほどで来てしまうが、恐らく北国からの侵攻は大分遅れるだろう。
反乱編が起きたきっかけは水の魔石不足により国全体が疲弊したからだった。
セルディがポンプを作った結果、少しの痛手にはなったものの、国全体が疲弊するというほどの打撃は受けていない。海側に軍の船を調査に向かわせる事にもなったし、北国もここまで内密に動いている計画を無理に推し進めたりはしないはずだ。
(……今後は前世で見た物語は参考にできなくなるかもしれない)
セルディは変わり始めたのかもしれない未来を少し怖いと思いながら、空元気を出して笑った。
「……いい結果に繋がると良いね!」
「そうだな」
二人でそんな会話をしている間に、馬車はダムド家のタウンハウスへと入って行った。
そして、セルディと父がダムド家のタウンハウスへと戻ると……。
「セルディ、お勉強の時間ですよ」
「え?」
そこには母が待ち構えていた。
*****
「……前々から思っていたのだけど、コルセットはよくないと思うの」
セルディは母とマナーの勉強に久しぶりのお茶会をしながらそう苦しそうに呟く。
ある程度のマナーを復習し終えて、今は休憩タイム。セルディは遠慮なく弱音を口にした。
「あら、それならどうするの?」
「うーん……」
「今の貴族内での流行は美しいシルエットよ。ウエストを細く見せることの出来るコルセットを手放して、あなたはどうやって体型を美しく見せるの?」
美しい母親は顔色を変えずに綺麗な仕草でお茶を飲んでいる。
締め付けられるのに慣れればその領域まで行くことは出来るのだろうが、セルディは絶対に慣れたくない。
コルセットは良い面もあれば、悪い面もあると知っていたからだ。
だが、他の解決策となるとなかなか難しいものがある。
「うーん……、例えば腰を細くするんじゃなくて、胸を上げるとか?」
「胸を?」
セルディが想像しているのはブラジャーである。
コルセットでは内臓にも負担がかかってしまうが、ブラジャーであればそこまででもない。
腰ではなく胸を綺麗に見せて、ウエストは食生活や運動などで維持をする方が絶対に健康にも良いはずだ。
(それに、セクシーでもある!)
レオネルに自分を大人の女性だとアピールする一手になるかもしれない。
そんな可能性を考えて、セルディは拳を握った。
「私にはよくわからないわねぇ……」
母はイメージできないのか、おっとりと首を傾げている。
「あと前から思ってたんだけど、こんなぎゅうぎゅう体を締め付けたら赤ちゃんがせっかくお腹に宿っても出ていっちゃうと思わない?」
「……」
母がふと真顔になって自身の腹部を見つめている。
セルディは前世の女性の記憶にあった下着の歴史、という展覧会の事を思い出していた。
事実かどうかはわからないが、締め付けすぎて失神してしまったり、流産の原因になると言われた時期があったらしい。
最近の母は生活も楽になったためか、もう一人くらい子供が欲しいとこっそり思っているようなので、セルディとしては内臓を痛める可能性のあるコルセットをなんとか止めることは出来ないかと考えていたのだ。
「それならば、一度デザイナーをお呼びしましょうか」
壁際で立って待機していたチエリーが、近づいてきてそう提案してくれた。
「え、いいの!?」
「もちろんです。流行を作り出すのも高位貴族の務め。公爵家が懇意にしている服飾店に声をかけておきます」
「やったー!」
セルディが飛び跳ねんばかりに喜んでいる中、母は何故かぼんやりと紅茶を見つめている。
いつもなら怒られる場面での母の様子に、セルディは首を傾げた。
「……お母様?」
「あ……。いえ、なんでもないわ。セルディは本当に面白い事を考えるわね」
「えへへ、そうかな?」
「何か考えがあるのなら、そのデザイナーと話をする前に私にデザインを見せて頂戴。セルディが目立つのはまだよくないわ」
やっぱりそうなるか。
セルディは唇を尖らせた。
「はーい……」
「ごめんなさいね、セルディ」
「え?」
「我が家に公爵家のような力があれば、あなたは好きに生きられたかもしれないのに……」
「ええっ!?」
母のいつになく落ち込んだ様子に、セルディは戸惑った。
確かに自分がすべて一から考えたアイディアだったとしたら、自分の功績を親に取られたように思うのかもしれない。
だがこれは前世の記憶にあったもので、前世の自分が考えたものですらない。
ちょっぴり残念に思うくらいでしかないものなのに、そんな風に母を落ち込ませる事になるとは、セルディは申し訳なく思った。
「お母さん! 私が頑張ってる事を知ってくれてる人が居るから、私は大丈夫だよ!」
父と母、叔父、チエリーとジュード、そしてレオネル様。
他にも国王陛下とか、セルディが知らないだけで、セルディが何をしたのか知ってくれている人はいるかもしれない。
それが敵かもしれないけれど、でも、セルディは身近な人に認められているならそれで良い。
目立つ事で悪い人がセルディの大切な人たちを傷つける事の方がよほど嫌だ。
「セルディ……」
「だから、お母さんは安心して」
「……優しい子に育ってくれて、ありがとう」
母は泣きそうな顔でセルディの頭を撫でてくれた。
その時のマナーレッスンはそのまま終わったが、セルディは母の様子がおかしかった事を父に相談した。
そこでセルディは自分に弟か妹が居たかもしれない話を聞いた。
「あの時は大変だったからな。家財を売るにも買い叩かれては意味がないと、シンシア自身が貴族の装いであちこち出向いて……」
腐っても貴族だと、自分が持っている物には価値があるのだと、そう見栄を張って、頑張って、頑張りすぎて。
その結果、まだお腹の中で生まれたばかりだった命は消えてしまった……。
母はもしかしたら、原因がコルセットにもあったかもしれないとさっき考えたのかもしれない。
流れてしまった原因は他にもいろいろあっただろう。
食生活も酷いものだったし、ストレスだって感じていたはずだ。
でも、もしかしたら、と思う事はやめられないのかもしれない。
「……シンシアのところに行ってくる」
父も母を心配したのだろう、セルディにそう断ると足早に出て行ってしまった。
セルディはそんな父を見て、ふふっと笑う。
「もしかしたら弟か妹が出来るのかなー」
それはちょっと楽しみかもしれない。
「よし、ブラジャーは前衛的過ぎて無理かもしれないけど、せめてもうちょっと締め付けの緩いコルセットは考えないとね!」
コルセットに苦しめられている他の貴族女性のためにも。
セルディはデザインを考えるために部屋へと戻った。
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