18.ポンプを見せます
セルディはこの日、水時計を見ながら自室をぐるぐると回っていた。
レオネルが来るのは夕方の予定だと聞いてはいたけれど、二か月ぶりに会えるという興奮と、原作と違う展開の途中で何かあったらどうしようという不安が交互にやってきて、じっとしていられなかったのだ。
物音がするたびに足を止め、窓から玄関の扉の方を見てみる。
そこに誰も居ない事を確認した後、またぐるぐると歩く。
そんな事を繰り返していたら、玄関から今度こそ本物のノックの音が聞こえた。
セルディは勢いよく部屋を飛び出してしまったが、扉を開ける前に、母親に言われた淑女の礼を思い出し、レオネルに披露してみせた。
(ちょっと失敗しちゃったけど、笑ってもらえたからいいよね!)
そうだ、ポジティブに考えよう。
セルディは母親にバレたら怒られるであろう事実に目を背けながら、レオネルと一緒に馬を預けに町はずれの牧場へとやってきた。
「あれ、セルディじゃーん! どうしたの? 今日は淑女教育は?」
牧場の入り口まで行くと、飼葉をピッチフォークで持ち上げている少女が話しかけてきた。赤毛に大きな茶色の瞳を持ち、鼻元にそばかすが散った可愛らしい女の子、アイラだ。
彼女はフォークを置くと、セルディの傍まで来てくれた。
「アイラ! 今日は淑女教育は休みになったの。それで、あのね、このひ……、コホン。この方の馬を預かって欲しくて……」
すっと横にずれてレオネルを紹介する。
名前を言ってもわからないとは思うが、念のため教えはしなかった。
「この方? あ、もしかして税務官様!?」
「……えっと、税務官ではないけど、そんな感じの人」
なんと言えばいいかわからずに濁しても、アイラは気にせずにレオネルの馬に目を向けた。
このアイラ、なんと言っても馬に目がない。人より馬を優先する馬至上主義。領地に馬を連れた客人が来ると、いつも喜んで預かってくれるのがアイラだった。
「すまないが一晩よろしく頼む」
「喜んで!!」
レオネルから手綱を受け取ると、アイラは嬉しそうに、でも馬を怯えさせないように気を付けながら、その鬣に手を伸ばす。
「この子軍馬ですよね? すっごい綺麗な青毛……。名前はなんて言うんですか?」
「セントバーナードだ」
「名前も高貴!!」
一通り撫でさせてもらい、馬の方も大人しくしてくれる事がわかると、アイラはレオネルを伺うように見た。
「……あの、お願いがあるんですけど」
「なにかな?」
その瞳には熱があり、セルディは少しドキリとする。
アイラは可愛い。この領地でも人気の女の子だ。
元気で明るくて、しっかりしていて。でも男よりも馬が好きなため、恋人や好きな人が出来たという話は聞いた事がない。
(まさか、アイラ……、レオネル様に恋とか……)
身分的にはあり得ない話だが、貴族が減っている現在のアデルトハイム王国は、平民と結婚してでも血を残そうとする人も多いと聞く。
もしレオネルがアイラの事を好きになったら、結婚できてしまえるかもしれない。
(レオネル様の幸せが一番大事。原作から離れたら、それだけレオネル様の生存率も上がるかもしれない。だから、恋人が出来る事は悪い事じゃない。でも……)
セルディはなんだか胸がもやもやとして、言葉が出てこず、見つめ合う二人を見ている事しか出来ない。
でも、なんとかこの雰囲気を止めたくて、震える唇を開けた。
「あの、アイ……」
「うちの子とお見合いさせてもいいですか!?」
――ずるっ
アイラは、アイラだった。
転げそうになったセルディには気づかず、アイラは言葉を続ける。
「うちの馬すっごい面食いで、この領の牡馬全員振られてるんです……」
「ああ、シーラね……」
シーラはアイラが仔馬の時から育てている馬で、栗毛で澄んだ黒目を持つ牝馬だ。
恋人募集中だとはアイラから聞いていたが、まさか領内の牡馬が全員振られていたとは……。
「そうなの。私、シーラの子供を育てたいんです! だから、お願いします!」
「バーニーが嫌がらないなら俺は構わないが……」
「本当ですか!! ありがとうございます!」
アイラは頭を下げると、すぐにセントバーナードに向き直り、手綱を引きながら話しかけた。
「バーニー、一度うちのお姫様と会ってみて。少しわがままかもしれないけど、とってもかわいいのよ?」
そして、アイラはそのままレオネルの愛馬を連れて行ってしまった。
彼女にはもう、セルディの事もレオネルの事も見えていなかった。
「……戻るか」
「……そうですね」
風のように去って行ったアイラを見送り、セルディはレオネルとフォード家へと戻った。
***
「まだ帰ってないみたいです……」
「俺は扉に鍵をかけずに来たことに驚いている」
「えー、こんな貧乏な田舎町に泥棒なんて来ませんよー」
ケラケラと笑うが、レオネルはセルディの両肩に手を乗せると、真顔で言い切った。
「鍵はかけろ」
「ハイ」
セルディはしょんぼりしながらレオネルを自宅へと招き入れた。
レオネルが座ると窮屈で小さい椅子だが、これしかないので我慢してもらい、税務官などが徴収に来た時用のちょっと高いティーセットで温かいお茶を入れる。
「そういえば、今日はポンプを見に来たんですよね?」
「ポンプ?」
「えっと、水を汲む道具!」
「水を汲む道具はポンプという名前なのか。なんだか可愛らしいな。セルディが名づけたのか?」
「そうとも言えるかも?」
苦笑いしながら誤魔化すようにお茶をカップに注ぐ。
母に習った淑女教育の一つだ。
きちんと淹れられているかドキドキしながら、レオネルの前へとカップを置いた。
ほんのり甘い香りが室内に広がり、一口飲めばなんだかほっとした空気になる。
「おお、結構上手いじゃないか」
「えへへ、練習しました」
褒められると母に教えて貰っておいてよかったと思えた。
淑女教育は大変だが、その言葉一つで次も頑張る活力になりそうだ。
それから半刻ばかりたわいもない近況を話し合ったりしていたが、両親は未だ帰って来ず、セルディは待っていなくてもいいか、と思いレオネルに提案した。
「うーん、お母様達まだ時間がかかりそうですね。先にポンプ見ます?」
「見られるのか?」
「試作品はうちの中庭の井戸に設置してもらったんですよ。一応柵があるし」
「柵……」
あれが、とか言わない。
他の民家には柵なんて立ってないし、庭だってない。だから、これは立派な柵なのだ。
「これがそうです」
井戸の上ではなく、縁に付いた鉄の塊を、セルディは胸を張って見せた。
パッと見ただけでは何に使うものなのかはわからないだろうソレを、レオネルは興味深そうに眺めている。
「本当に魔石がないんだな……。どうやって使うんだ?」
「簡単ですよ。このレバーを何度も上下に動かすんです」
「これをか?」
セルディに言われた通りにレオネルがレバーを上下に動かす。何度か動かすと、反対側の穴から水が溢れ出た。
「うわっ!!」
驚いたレオネルが手を止める。
セルディは今までに見た事のないレオネルの慌てた様子に噴き出した。
「あははっ、みんな同じ反応するんですよねー」
「……いや、これは驚くだろ」
気恥ずかしそうに後頭部を掻くレオネルを、セルディはにんまりと見つめて、今度は自分でレバーを上下に動かしてみせた。
「ほーら、私でも出来るんですよー」
非力でも出来る事をアピールすると、レオネルはまた驚く。
「これは、すごいな!! ……誰が発明したんだ?」
「それはわ……」
「私ですよ、レオネル近衛騎士隊長」
突然現れた父に、セルディはビクリと体を揺らした。
振り向いて顔を見れば、いつもよりも幾分か冷めたような目でセルディを見ている気がする。
(え、なんか怒ってる? なんで? あ、もしかして勝手に接客しちゃ不味かった?)
父の発言よりも、その視線に困惑したセルディは大人しく口を噤んだ。
「フォード子爵が……。いや、これは素晴らしいですね。これがあれば魔石を買えない市民が餓えずに済みます」
「そう思ってこの度は陛下にこちらの設計図を献上させて頂ければと……」
「なるほど、とても助かります。この道具は制作にどのくらいの日数かかるのですか?」
「そうですね、元からある井戸に付けるのでしたら……」
そこから展開される大人の話。
セルディは入っていけない話し合いに拗ねて唇を尖らせる。そんなセルディを父の後ろからやってきた母が呼んだ。
「セルディ、あなたはこっちにいらっしゃい」
「あ、お母様。……はーい」
本当はもっとレオネルと話したかったが、呼ばれてしまっては仕方ない。
父と色々話す事もあるのだろうし、目的を果たさないと王都に帰ることも出来ないだろう。
セルディは大人しく母に付いて家の中に入った。
「セルディ、大人しくしていないとダメでしょう?」
特に何かしたつもりはなかったのだが、やんわりと怒られて、セルディは首を傾げた。
「……ポンプの事は私とルード様に任せておきなさい。ね?」
「え、あ、はい?」
「あなたが発明したという事は内緒にしておいた方がいいの。わかる?」
わからない。
セルディは自分が作ったと言えないという事なのだろうか。
それはちょっと……どころではなく、かなりガッカリだ。
(えー、たくさん発明してウハウハお金持ち作戦が……)
元々はセルディが考えた訳ではなく、前世のどこかの誰かの発明なのだが、この世界で使えるように試行錯誤したのは自分なのだから、何かしら関わっている事を主張したかった。
そんなセルディの気持ちに気づいた母は、セルディを宥めるように頭を撫でた。
「あなたは、女の子なの。女っていうのはね、公の場に出ると生きづらい事の方が多いのよ」
「……有名にならない方がいいって事?」
「そうよ。私みたいにどこかの悪徳貴族に目を付けられたくはないでしょう?」
なるほど、そう言われればそうかもしれない。
セルディはちょっと寂しい気持ちにはなったが、目立つ事は好きではなかったので、母の言葉に素直に頷いた。
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