03.前世を思い出します


「う、……んー」

「セルディ、大丈夫か?」


 目を開けて見えた男の顔に既視感を覚えながら、セルディはまだぼんやりしている頭に手を当てながら起き上がった。

 周りを見れば、贅を尽くした家具の数々。そして感じる既視感。


(あれ、私、どうしたんだっけ……)


「セルディ?」

「あ……」


 そうだ、自分はセルディだ。

 二回目の再確認。名前を思い出した途端、頭の中を占めていた一人の女性の記憶は、ゆっくりと沈んでいった。


 そして気づく。

 今もし、父が傍に居なければ、自分|セルディ|という存在はいなくなってしまっていたのではないかと。それは杞憂ではない気がして、背筋に冷たいものが走った。


(お、お父さんが居てくれてよかったぁ……)


 冷や汗を垂らしながら、セルディは自分を取り戻してくれた父の存在に深く感謝した。


(でもこれってあの不思議な世界で言う異世界転生ってやつかしら?)


 そう考えるとなんだかすっきりと当てはまるような気がする。

 自分があの女性と同じ人間か、と聞かれると少し躊躇はあるが、でも違うとも言い切れない。


 とりあえずあの記憶はその世界で言うところの前世の記憶、という事にしておこう。

 セルディはそう決めた。


「……大丈夫か?」


 一人で青ざめたり安堵の息を吐いていたセルディが横を見れば、なんだかいつもより眉根を下げている気がする父の姿があった。

 ものすごく心配されている気がする。


「やはりホテルで待たせておくべきだったか……」

「え、いや、あれは……、そう、ただの貧血だから! 鉄分不足なだけ!」


 まさか自分の前世っぽい女性の人生を追体験していて、しかも陛下と近衛隊長がその女性が好きだった本の登場人物にそっくり、なんて言えるはずもなく、セルディは慌てて言い募った。

 このままでは王都見物をする間もなく領地に帰る事になってしまうかもしれない。


(それは絶対に嫌!! まだ見たいものいっぱいあるのに!!)


 しかし、なんとか説得できないかと考えて出てきた言葉は、余分だった。


「貧血……、鉄分……」


(しまった、この世界は魔化学が進歩しすぎてて前世の化学みたいな進歩は遅いんだった……)


 聞いたことのない言葉に考え込む父の姿に、セルディもなんと説明したらいいかすぐには思いつかず、頭を悩ませてしまう。

 そこに救いの手が現れた。


 ――コンコン


「失礼します! 国王陛下がお越しです!」

「陛下が!?」

「えっ!!」


 豪華すぎる救い主に、セルディはギョッとする。

 王様、という地位の人間とこんな間近で会う事になるとは、ホテルで起きた時には考えもしなかった。

 しかも、陛下は前世の自分がド嵌りしていたグレニアン戦記の主人公なのだ。


 セルディの心臓が期待と緊張でドクドクと強く脈打つ。

 従者に扉を開かれ、中に入ってきたのは陛下と――グレニアンの幼馴染で、今は近衛隊の隊長で、そして前世の自分が大好きだったレオネルの姿だった。


 彼を見た瞬間、セルディの思考は完全に停止した。


「セルディ嬢が目覚めたと聞いたが」

「陛下、ご心配をお掛け致しました。どうやら娘は旅の疲れが出たようで……」

「そうか、長旅で疲れたのだろう。こちらも子供への配慮が些か不十分だったようだ」

「いえ、そんな……」

「謁見の申し込みをしていたようだが、何分予定が詰まっていてな。ここで話しても構わないか?」

「はっ、ご配慮ありがたく……」


 父と陛下が話し合う中、ベッドで上半身を起こしたまま固まっているセルディは、陛下と、その後ろで守るように佇むレオネルが生きて、動いている姿をじわじわと実感すると、目を潤ませ始めた。


(やばい、生の二人の姿とかやばい……っ!!)


 セルディは自分を保っているつもりだったが、さすがに詰め込まれた膨大な情報すべてを忘れる事なんて出来るはずがない。

 特に前世の女性が一番大好きだった物語、グレニアン戦記の情報は忘れたくても忘れられそうになかった。

 前世の女性だけではなく、セルディ自身も好きになってしまったのだ。


 自身の運命に立ち向かうグレニアン陛下の姿とその陛下を支えるレオネル。

 王弟の反乱で両親と妹を一度に失い絶望する王子を頬を叩いて正気に戻し、復讐という生きる糧を与え、その後も傍に付いて支え続けたレオネルの姿は格好良いという言葉以外は思いつかない。


 そうして二人で幾度となく困難を潜り抜け、復讐を遂げて玉座を奪い返した二人が今目の前にいる。

 セルディは感動に打ち震えていた。


「セルディ、挨拶を……」

「ハッ、も、申し訳ありませんっ! フォード子爵家の娘、セルディ・フォードです!」


 父に促され、セルディは慌ててベッドから降りてスカートを持ち上げると、軽く膝を折った。


「こんなに小さいのに、きちんと挨拶が出来て偉いな」

「あ、ありがとうございますっ」


 完全な子供扱いにちょっと頬が引きつる。

 小さいと言われても、年齢は十二歳。あと三年もすれば結婚も出来る立派なレディだ。

 ちょっと文句を言いたくなってしまったが、王族に文句が言えるはずもないので、セルディは大人しく顔を伏せた。


「それでは陛下、準備をさせて頂きましたのでお座り下さい。フォード様とお嬢様はこちらの御席へ」


 さすが王室の従者。気付かないうちにテーブルにはお茶の準備がされていた。

 案内されるままに陛下の対面の席へと座ると、子供への配慮なのだろう、美味しそうなクッキーが乗せられた皿がセルディの前へと置かれた。

 思わず手を伸ばしかけたが、促される前に食べるのは失礼にあたる。

 セルディは伸ばした手を慌てて引っ込めて、膝の上でぎゅっと握った。


「ふっ、気にせず食べなさい」

「あ、ありがとうございます。いただきます……」


 陛下に勧められ、セルディの頬は恥ずかしさに赤くなる。

 これでは子供扱いされても仕方がない。

 しかし美味しそうなものを前に食べないという選択も出来なかったセルディは、せめて食べ方には気を付けようと、クッキーを手に取るとひとつを一口で食べることはせずに小さく齧ってみた。


(なにこれ、うまっ!!)


 サクサクの触感。舌に広がる控えめな甘さ。

 家で食べていた固くてしょっぱいクッキーとは比較にもならない。さすが宮廷料理人が作った代物だ。

 この瞬間、宮廷で作られたクッキーはセルディの中で一番おいしいクッキーになった。

 そうしてセルディがクッキーの美味しさに感動している間にも、大人達の話し合いは行われていく。


「それで、爵位を返上したいとの事だったが……」

「はい、我がフォード家にはもはや来年の税を支払えるほどの資産がありません」

「来年は被害の大きい領地は減税しようと思っているのだが、それでも無理か?」

「有難い申し出ではあるのですが、我が領は特産品もなく、荒れた農地を復興させる資金もないのです……。借金をするという選択肢もあるとは思うのですが、我が家が渡せるものは最早爵位くらいしかありません。それならば返上させて頂いて、資産のある方に新しい領主になって頂いた方が領民のためかと……」

「ふむ、そうか……。そなたの代になってようやく安定してきたと聞いていたのだが、残念だな」


 父が思ったよりも優秀だったらしいと聞いて、なんだか嬉しい。

 セルディはもぐもぐとクッキーを食べながら、引き続き二人の話に耳をそばだてる。


「しかし今は新参者を入れる余地は我が国にはない。しばらくは隣領のカザンサ侯爵に管理を頼むつもりだが、どうだ?」

「はっ、私に異存はありません。山を挟んだシャリアン伯爵様よりも川を挟んだカザンサ侯爵様にお願いする方が管理はしやすいかと思います。侯爵様には迷惑をかけてしまいますが……」

「そうか、ならばその予定で話を進めて……」


 二人の話に出てくる名前には聞き覚えがあった。

 隣の領地なのだから当たり前なのだが、そういう聞き覚えではなく、それはどちらかと言えば見覚え……。

 セルディが少し考え込むと、ふと一つの場面を『思い出した』。


『敵にカザンサ侯爵領の橋を占拠されました!!』

『なんだと!? なぜカザンサ領の橋を……まさか!!』

『どうやら敵は前フォード領の海側から来ているようです!!』

『ちっ、仕方ない!! シャリアン伯爵領の山を抜けていけ!!』


 レオネルはグレニアンの指示に従い、部下を連れて山を越えた。

 しかし、山に張り巡らされていた罠により先発隊の数を減らされ、最終的には本軍が到着する前に壊滅してしまうのだ……。


(え、フォード領って、うちのフォード領?)


 セルディは一気に流れ込んできた情報に混乱した。


(もしかして、うちが脆弱だったからあんな事が起きちゃったの? っていうかフォード領の海って、確か崖ばっかりで魚も捕れないはずなんですけど、どこに船を停泊させるような場所が……。いや、今はそんな事を気にしている場合じゃない!)


 セルディは混乱した状態のまま、慌てて立ち上がった。


「ま、待ってください!!」

「セルディ?」

「わ、私が領地を立て直します!!」


 突然の娘の奇行に、父は驚いて目を見開いている。

 それはそうだ、セルディは今まで平民になるという話を嫌がった事はなかった。

 今でも平民と変わらない暮らしをしているのだ。領地の税では補え切れない分を補填する必要がなくなる分、むしろ豊かになるかもしれない。


 でも、ここを引いてしまえば、領地は前世で見た映像と同じように敵に侵略され、領民の多くが殺されてしまうかもしれない。

 父も母も、死ぬかもしれない。


(それに、レオネル様だって……)


 セルディは陛下の後ろに佇むレオネルを見た。彼もセルディの突然の言葉に驚いたのか、僅かに目を見開いている。


「セルディ、お前は突然何を言って……」

「私が領地を立て直してみますので、五年……いや、三年下さい!!」


 父の言葉を遮り、セルディは頭の中で本の内容を思い出しながら言い募った。

 あの戦いは内乱から六年後に起こっていた。

 物語の中で陛下が言っていたのだ。『内乱が終わってからまだ五年しか経っていないというのに』と。

 陛下はその時二十二歳。レオネル様は二十七歳だったはず。

 それならば、まだ時間はある。

 なんとしても三年以内に領地を立て直し、防備を固められる程の財を手に入れる。

 その力を、今のセルディは持っている……はずだ。


「ほう。派遣した士官から聞いたが、飛躍的な収益など見込めない土地だ。お前のような子供がなんとか出来るのか?」


 突拍子もない事を言い出したセルディに問うた陛下の瞳は、子供に向けるものではなく為政者として何かを見極めようとしているように見える。

 その目の鋭さに思わず身を竦ませてしまったセルディだったが、ここで負けてたまるかと、しっかりと陛下の目を見返した。

 そこにあるのは、物語の登場人物へと向ける憧憬ではなく、一人の権力者を説き伏せようという気概だ。


「出来ます!!」


 キッパリと言い切った。ここで少しでも竦んだ様子を見せてしまえば、それだけ信用が減る気がしたからだ。

 それに、昨日までのセルディでは無理だっただろうけれど、今のセルディ・フォードなら、きっと打開できる。セルディはそう信じた。


「ふむ、では、何かしら策があると?」

「はい!」

「その策とやらを教えてもらおうか。口先だけの取引に応じることは出来んからな」


 セルディは、陛下が子供の戯言で片付けず、真摯に向き合ってくれた事に心から感謝をしながら、神妙に頷いて話し始めた。


「我が領地は現在、税は物納で納めさせてもらっており、特産品と呼べるものがありません」

「そうだな」

「ですが、一年の時間を頂ければ、その間に特産品を作る事が出来ます」

「……ほう、その特産品とは?」

「それは実物を見て頂く必要があるかと思います」

「なるほどな。つまり、一年は様子を見て欲しいと?」

「はい……」


 陛下は目を閉じて考え込むような仕草を見せた。

 ダメかもしれない、という考えがセルディの脳裏を過る。

 しかし、今までなかったものを作ろうとしているのだから、言葉で説明をしたとしても納得しては貰えないだろう。

 明確な根拠を示すことは、今は出来ない。

 セルディは祈るように膝の上の手を組んだ。

 長い沈黙の後、陛下は目を開いてセルディを見つめた。


「……いいだろう。元々今年分は免除する予定ではあったしな。しかし、来年からの税はしっかり払ってもらわねばならない。それはわかっているか?」

「来年分までならなんとかなるってお父様言ってらしたわよね!?」

「そうだが……」


 食い気味に問いかけると、父は何がなんだかわからない、という思いを瞳に宿しながらも肯定してくれた。


(それならよし! 一年あればなんとかなる!)


 夢での女性はレオネルを助けるために色々な事を考えていた。

 あそこでこうしておけば、ああすればもしかしたら、等、その妄想は多岐に渡る。

 その中には、彼女の世界の知識を使っての『チート』と呼ばれる方法を使って解決する策もいくつか考えられていた。

 『チート』という知識がこの世界でどのくらい適用されて、どのくらいの需要があるのかは今のセルディにはわからない。

 わからないが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。セルディは当たるまで何度だって挑戦するつもりだった。


(それに、我が家は貴族のツテはなくても、商人のツテはあるのだから、きっと大丈夫!)


 セルディは不安の中から自信を無理やりかき集め、言った。


「大丈夫です!」


 陛下が顎を親指と人差し指で挟むように撫でながら、セルディの目をじっと見つめ返す。

 その表情からは何を考えているのかを伺う事はできない。

 セルディは緊張に手汗を滲ませながら陛下の言葉を待った。

 数秒、もしくは数分だろうか。静寂のためか長く感じる時間の中、顎から手を離した陛下はゆっくりと口端を上げた。


「ふん、良い目をするな。では、ひとまずは一年様子を見よう」


 妥当な判断と言える。

 元々待つ予定ではあったが、それは来年以降も税が払える前提の話だ。

 来年分の目処が経っているのなら、最終的に失敗して領地を返上する事になってもまぁいいだろう。その分、返上時の手続きや引き継ぎの時間が減ってしまうが、そこはなんとかしてやってもいい。

 陛下はどうやらそう考えてくれたようだった。

 セルディとしては猶予を貰えただけでも御の字だ。


「っはい!!」


 やってやった。そんな気持ちを表情に乗せながら、セルディは満面の笑みで頷き、まだ他にも謁見の予定があるからと部屋を出ていく陛下とレオネルを、父と二人で見送った。


「おい、セルディ……。お前は何を……」

「お父様!!」

「……なんだ?」

「私、絶対やりとげて見せます!!」

「…………そうか」


 父がなんだか疲れているような気がしたけれど、そんな事は気にしない。

 セルディは没落寸前の家を立ち直らせるために、精一杯頑張ろうと拳を握りしめた。


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